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ちょうどいい豊かさと、愛おしき日常

鎌倉のホテル「aiaoi」に宿泊した。

まず、オーナーのご主人と名前が同じという親近感。生まれてからずっと同じ音で呼ばれてきたという、理屈を超えた親近感。

ご夫婦で営まれているこのホテル。宿泊というより、泊まりに行く感じ。

同じか。

いや、違うんだ。すべてが「ちょうどいい」という感じ。

とても穏やかで、にこやかなご夫婦。抜群の声色で気さくに話をしてくれるものの、ちゃんと距離感を保ってくれる。そしてそれがとても自然。

ただ話が好きとか、ただ人が好きとか、そんなことではない、接客のプロとしての距離感がそこにはあったように思う。

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晩ご飯を食べに行くにあたり、おすすめのお店を聞いた。好みに合わせていろいろ教えてくれ、近場のお店に行くことにしたが、生憎満席だった。「入れなかったら電話ください」と言うご主人のお言葉に甘え、ホテルに電話した。そしたら、ちょっと電車に乗るけどとてもいい店があるので、そこに行きましょうと、ご主人。すぐに予約してくれ、住所をメールしてくれた。おそらく3分以内の出来事。メールの最後には、「楽しんでくださいませ。返信不要です。」の一言。

そこのお店も最高だったことは言うまでもない。

美味しい晩ご飯を食べ、帰る途中、「あそこに帰れるのかぁ」という、温かい気持ちになった。これは、翌朝の海辺の散歩の後にも思った。

帰りたくなるホテルって、最高じゃないすか。

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そして、ホテルそのもの、いわゆるハードの部分も、とても素敵。

空間にあるのは、ちょうどいい緊張感。無機質なコンクリートや金属と、無垢の木。ちょうどいい。「無機と無垢の融合」とか、そんな「こんなん好きやろ?」的な小手先の空間ではない。

図面では表現しきれない、ライブ感もあった。こんな材料あるから、ここで使ってみようかな〜、みたいな。ちょっとくらいディテールが納まってなくても、全体が納まってる。

ピンと張りつめた緊張感がある空間にも魅力を感じたりもするが、ここは決してピンと張りつめていない。でも、なんとなく所作が丁寧になるような、ちょうどいい緊張感もどこかにある。

他の部屋に宿泊されている方が、廊下に出る音も聞こえる。扉の「キィー、バタン」という音も聞こえる。それもちょうどいい。

他者の気配を少し感じることで得られる安心感。ちょうどいい。

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そして、朝ご飯はメインイベント。とても贅沢。

それは、消費としての贅沢ではなく。

質素というと違うのかもしれないけど、とてもシンプルな日本の朝飯。土鍋で炊いたお米もツヤッツヤの「どや!」ということではなく、適度なツヤと適度な素朴さと安心感のある、とっても温かいご飯。ドカッと盛り付けられてるわけではなく、余白のある丁寧な盛り付け。食べる方の所作も自然に丁寧になる。ちょうどいい。

チェックアウトが12時。朝ご飯を食べたあと、近くをブラブラして、またホテルに戻る。そして、部屋でくつろぐ。寝る。こんな罪悪感や背徳感のない昼寝があるのか。

帰る際も、とても温かい笑顔で、すーっと送り出してくれた。ダラダラとおしゃべりをするわけでもなく、お別れの時をもったいぶる時間も流れない。

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「非日常という日常」とは、誰かが言った言葉であろうが、まさにそんな感じだった。

東京に戻ると、すーっといつもの「日常という日常」が始まった。一緒に泊まったパートナーも、「これが私の愛おしき日常」と言っていた。とてもいい言葉だ。

日常こそが尊い。旅に出ることで、人はその愛おしい日常を、再確認するのかもしれない。

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