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4分33秒 と 4兆33秒 の間で音楽を考える

4m33s & 4t33s

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2つの単語でコラムを作る2単語コラム。今日は4分33秒と4兆33秒という2つの時間について考える。

4分33秒

音楽家 ジョン・ケージは、1952年、「4分33秒」と呼ばれる作品を発表・初演した。

その作品は、舞台に現れた演奏者が、楽器とともに何もせずに過ごし、一定の時間 (4分33秒) が経過したら退場するというもの。
楽譜に表現されるようなピアノの演奏は一切行われない。

これは、音楽に対する考え方の転換を提案したものとされる。
作曲家によって緻密に構成され、演奏家によって巧みに再現された音の構成だけを音楽と呼ぶのではなく、
演奏会場内外のさまざまな雑音、すなわち、鳥の声、木々の揺れる音、会場のざわめきなどもまた音楽なのだ、という考え方の転換。

ただし、ここにはおそらくたった一つ条件、
音楽を音楽たらしめるための条件、というものがあると思う。

それは聴衆の存在である。
聴衆の存在が、音の集合を音楽へと変える。

つまり、音楽というのは 圧倒的に聞き手による営み なのだ。

音楽だと思って聞く人がいるかぎり、ピアノの蓋をたたむ音も、誰かが咳き込む音も音楽である、ということだと思う。

しかし、逆に、聴衆がいなければ、どんなに緻密に構成されたバッハの音楽も、どんなにキャッチーなビートルズの音楽も、ただの音の集合に過ぎない。

自動作曲

自動作曲の技術はすでに当たり前のものになってきている。
かなり近い将来、バッハやビートルズのような音楽を生成しながら演奏するロボットも生まれるであろう。

さらにもっと先の未来を想像してみる。

人類は、地球にあまねく存在するロボット達と、共存して生きるような文明を進化させる。
そして、その後、人類は数光年離れたどこか別の惑星へと完全な移住を果たしている。
地球にはロボットだけをおいて。

ロボット達は捨てられた地球の上で、音楽を作り続けている。

バッハを超えて、ビートルズを超えて、音楽を進化させつづける。
何万年もの間、止まることなく作曲と演奏を続けている。

バイオリンロボやピアノロボが、常に稼働し続け、美しく構成された音が星全体に鳴り響いている。

ただし、それは音楽ではない。
なぜなら聞いている人間がいないから。

それは音楽ではなく、ただ緻密に構成された音の集合にすぎない。

4兆33秒

さらに未来、とある瞬間、たとえば、秒に換算して4兆33秒後の未来に一つの事件が起きる。

はるか昔に地球を捨てた人類がなんらかの事情で地球を”再発見”し、
ある日、ある瞬間に、一人の宇宙飛行士が、数百光年かなたのその星、”地球"をたまたま発見するのである。

その宇宙飛行士は星(地球)に着陸し、窓を開ける。
まさにその瞬間、美しい音の波が彼の耳に飛び込んでくる。

彼は、星全体に響く音楽に感動して涙を流す。

そして、聞いてくれる人、感動してくれる人が現れたことによって、その「音」は、12万年(4兆33秒)ぶりに「音楽」へと変わったのだった。

地球の上を流れた4兆33秒という時間を経て、
ついに、地球に音楽が再生される。

4分33秒という時間。音楽が存在する時間。

音楽として構成されていないが、そこに音楽が存在する時間。

4兆33秒という時間。音楽が存在しない時間。

音楽として緻密に構成されていながら、そこに音楽が存在しなかった時間。

4分33秒4兆33秒の間の時間を我々は生きている。


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