見出し画像

K One Year Later 12




著者:来楽零

第十二回、『これからの世界』


 あれから一年経って――。

 シロ――伊佐那社であり、アドルフ・K・ヴァイスマンである男は、何度もあの日の夜明けの景色を思い出す。
 自分が始めてしまった夢の宿業をずっと背負ってくれていた旧友が逝った、あの日の夜明け。
(ヴァイスマン……美しいな、新しい世界とは)
 國常路大覚は、シャッテンライヒ号のブリッジで、弱った喉を震わせて言った。窓の外では、雲海の向こうから太陽が姿を現し、世界を照らそうとしていた。
(いつか夢見たのも、こんな眺めだった)
 最大の《王》として生き続けた彼は、寿命を使い果たすその瞬間、夜明けの光を見つめていた。
(目を閉じるのが……惜しい)
 それが彼の最期の言葉だった。
 國常路が命を終えた場所であるシャッテンライヒ号は今、御柱タワーの屋上に係留されている。
 シロはシャッテンライヒ号のブリッジで、國常路を看取った夜明けの光景をまた反芻していた。
「《白銀の王》」
 老齢のウサギが音もなく現れ、シロに告げた。
「宗像礼司殿がお見えです」
「うん」
 シロが頷くと、ウサギはまた音もなく下がり、入れ替わりにコツコツと靴音を響かせながら青い制服に身を包んだ宗像が現れた。
 シロはにこりと微笑む。
「やあ宗像さん、久しぶり。旅はどうだったかな?」
 宗像がしばらく旅に出ることは事前にシロも知らされており、不在によって起こりうる不都合についての相談と対策も行っていた。
 帰還の知らせと面会の申し出を受けたのはついさっきで、ちょうどシャッテンライヒ号の整備が終わった今日であったことには何か運命的なものも感じていた。
「大変有意義なものでした。あなたはこの飛行船で何を? 私と入れ替わりに旅に出る気でしょうか」
「まさか」
 シロは笑って言った。
「僕はもう、地上から離れないよ」
 七十年近くもの時間を過ごしたヒンメルライヒ号と同じ作りの飛行船の内部を、シロは目を細めて眺める。
「この船、一年前の《jungle》との決戦のとき、無茶してボロボロになったのをそのままにしてしまってたんだけど、ようやく少し手があいたんで修理したんだ。……もう、どこに飛び立つつもりもないけど、中尉が長い間大事に保守してくれていたものだから、綺麗な姿に戻してから眠らせたくてね」
「なるほど」
 宗像は口元にわずかな笑みを浮かべて頷いた。
「宗像さんの方は、もう旅はいいの?」
「ええ。答えは得ましたし、旅先での多くの出会いにより、新たななすべきことも定まりました」
「そっか。……宗像さんが見てきた世界中の話、聞きたいな」
「私も、貴方に話すべきと判断してここに来ました」
 長い話になりそうだな、と思ったとき、若いウサギが数人、椅子と小さなテーブル、そして茶器を持ってやって来た。気が利きすぎる彼らに思わず苦笑が漏れる。
 用意された椅子にありがたく腰かけ、お茶を飲みながら宗像の旅の話を聞いた。
 宗像の話は子供が喜ぶ冒険譚のようであったり、学会における研究結果のプレゼンのようであったり、哲学的思索のつぶやきのようであったりもした。
 シロは時々質問を挟みながら、宗像の話に聞き入った。
 世界中の人々がどう過ごし、思い、考え、動いているのか。ニュースでは追い切れない、生きた人々の状況を、宗像を通して体感するような時間だった。
「……石盤があったこの日本ほどではなくても、やっぱり世界中で石盤解放の影響は出ているね」
「日本ほど異能持続保持者の数が多くないからこそ、世界の異能者の立場は日本よりもなお難しいという状況もあります」
 シロは顎に手を当てて考え込んだ。宗像は眼鏡の奥から真っ直ぐにシロを見据える。
「人類は新たな一歩を踏み出してしまったと言えるでしょう。その責任はあなたにあるのではないですか、ヴァイスマン」
 責める口調ではなく、静かに覚悟を見定める、落ち着いた声音で宗像は言った。
 シロの目の奥で、またあの日の夜明けの光景が瞬いた。
 夜は明けた。新しい世界は始まってしまった。かつて、クローディアと國常路と三人で夢見た光景と、現在は少し違うかもしれないけれど、朝が来たのならば起きて歩き出さなければならない。
「もちろん、そうだ」
 シロは頷いた。
「僕には責任がある。石盤に夢を見て、動かしてしまった責任が。その夢の影響を、比水流に与えてしまった責任が。……だから、僕は力の及ぶ限り努めるよ。もう、夢を見て祈るだけの人間でいるわけにはいかない。人の祈りを聞いて、それが叶う世界に近づけるように尽くす。それが、僕の仕事だと思ってる」
「結構」
 宗像は満足そうに頷き、立ち上がった。
「私も努めましょう。石盤の定めた《王》ではなくなっても、人々の前を歩く先導者として。《セプター4》の室長として。宗像礼司という人間として。――我らが大義に曇りなし」
 宗像は踵を返し、シャッテンライヒ号を降りていった。
 シロはしばらく宗像が去っていった空間を見つめ、自分がすべきことをもう一度噛みしめるとゆっくり腰をあげる。
 ウサギたちが現れ、命を待つようにシロの側に控えた。
「この飛行船のこと、お願いします」
「承りました」
「それから……改めて、戻ってきてくれてありがとうございます」
 一年前、シロは一度、ウサギたちの任を解いた。國常路の遺言でシロが地上に戻るまでは助けてもらったが、その後彼らは國常路が築いた体制の維持にのみ努めると陰へ消えた。
 けれど、今はまたシロの元で働いてくれている。ウサギたちがいなければ成せなかったことが多くあった。
 老齢のウサギが深く頭を下げた。
「貴方は御前の意志を継ぐ方。お仕えするのは我らの本懐です」
 ありがとう、と、シロはもう一度言った。

 透き通った床の下に今は何も存在しない、かつての『石盤の間』で、シロは彼方へ飛んでゆくシャッテンライヒ号を見送った。

ここから先は

9,988字

K~10th ANNIVERSARY PROJECT~

¥1,000 / 月 初月無料

アニメK放映から十周年を記念して、今まで語られてこなかったグラウンドゼロの一部本編や、吠舞羅ラスベガス編、少し未来の話など様々なエピソード…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?