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やっぱりあの人がすきだ

昔、車の中でavex所属アーティストの曲が集まったCDを聴いていた。2000年代の話だ。あゆとか倖田來未とかみひまるじーてぃーとか。その中にAAAの「ハリケーン・リリ,ボストン・マリ」という曲があった。
今日10数年ぶりにそのメロディーが口をついて出た。急に。
AAAはこの1曲しか知らない。
だが、とてもいい曲だ。
心地よい意味のわからなさ(感覚ではわかるけど説明は出来ないという類の)と温かさと男女のキャンプの、ファイヤーの感じ。心の中で飼ってる、思い出の、幻影の、あの子の話的な知らんけど。
検索して歌詞を改めて見ていたら、
ななななんと、作詞作曲マーシーではないか!
知らなんだ!
そらすきなるっちゅーに。
間違いなさスギ薬局なのよ。

小説でも、翻訳した外国の小説って日本語がとても綺麗でかなり散文詩チックなのだけど、
わたしはそういう歌詞がすきである。

マーシー!やっぱりマーシーなのだね。

あと関ジャニ∞の「どんなに離れてたって傍にいるから」もかなり夕暮れ渋かっこいい曲ですきなのだが、これはSIONが作詞作曲している。

こういう提供曲を、誰が作ったとは知らずに気になって見たらすきなあの人でやっぱり!って経験は何だか嬉しいやら誇らしいやら。

いい感じにその人の色が出ている。
ももクロの「天国のでたらめ」(作詞作曲志磨遼平)然り。

〜お笑いゾーン突入〜
コントをするにあたって、ネタを作る人は結構、「俺がやらん方がこのネタはウケるんよな。俺やと100%体現出来ない」と言っているのを耳にする。漫才とは全く異なる考えで、だからコントのコンビは得てしてネタ作成者&プレーヤー(パフォーマー)の組み合わせだ。プレーヤーの迫力たるや。台詞覚えの早さたるや(まるでキムタクである)。このバランスこそコントをコントたらしめている知らんけど。
いや、ネタ作成者で憑依型の演技の人も多いが、やはりもう片方が大振りで引っ張っている感じだ。そうしなきゃノッている感がないし。前のめりな、ウン、あの、その、
〜お笑いゾーン脱出〜

というように、俺じゃない方がこの作品のよさが100%出る、というのが提供曲の主たる存在意義であるゆえ、そのアーティストの特徴が色濃く出て非常によい仕上がりなんである。

何をえらそーに!

完!


ハマショーの『MONEY』がすきです。