日本代表にもう「外国人」監督は要らないのか?

結論を先に書くと「要らないわけがない=必要」ということになります。

競技によるのではとかいう声もありそうですが、あまり関係ないと私個人は思っています。そして、日本サッカー協会はこの点に関してもまた失敗をしてしまったかなと私は思っています。本稿ではその辺りの話を書きたいと思います。

1 国際化と「外国人」

本題に入る前に、一つ面白いレポートを紹介したいと思います。

少し古いデータになりますが、日本の組織というものを考える上で、意味のある内容が載っていると思うので、少しだけ紹介します。 

『2012年7⽉23⽇ 「本社の国際化に関する意識調査」』 NTTレゾナント株式会社

⽇本企業が国際化する中で、本社機能の実態と求められる要件を、従業員の考える「現状の実態」および「今後の必要性」からあぶり出したこの調査から、以下の興味深いデータが見られました。

1)⽇系グローバル企業に所属する従業員の国際化への必要性の認識は、「必要である」との回答が70%を超える。なかでも「⻑期的に必要である」と回答する割合が31.3%と最も⾼い。

2)⽇系グローバル企業に所属する従業員の短中期で必要性の認識が低い国際化施策は、経営陣に外国籍⼈材が配置(26.6%)、部⻑以上に外国籍⼈材が配置(28.6%)、社内外国籍⼈材と他⾔語(英語除く)での業務遂⾏(30.3%)である。

3)⽇系グローバル企業では、国際化施策にも着⼿していないという割合が34.6%、所属する従業員でも、「グローバル⼈材としてのキャリアアップを考えている」⼈(28.7%)は、「考えていない」⼈(35.5%)に⽐べて低い。

これを素直に読み解くと、以下のような傾向が出ると思います。

所属する会社の国際化は必要だが、会社としての対応も遅く、また自分自身がグローバル化していこうという社員も少ない。上司に外国人が来る必要はないので、海外業務は外国人の部下や同僚が処理すればいい。

グローバル日系企業という限られた人の意識調査なので、これで日本人全般の傾向について語ることはできませんが、なんとなく理解しやすいデータな気がします。自分の中にも同じような意識ないでしょうか?国際化ってめんどうだなということが良く出ている数字だと思います。

ただそんなことを言っても、外国人が上司になるケースは実際に増えている訳で、スポーツも例外ではありません。
サッカーでこそハリルホジッチ氏は解任されてしまいましたが、ラグビー、ハンドボール、バスケ、ホッケーなど、海外から監督を招致しているケースは多々見られます。

外国人監督ではいけないのか?いいのか?
今回はもう一つのフットボール、ラグビーから整理して、サッカーについても考えてみます。

2 ラグビーにおける外国人とは?

ラグビー関係者の間では海外から来たプレーヤーを外国籍プレーヤーと呼ぶことが多く、「外国人」というような感覚で接することはあまり多くはないと感じています。(極端に言うと、このような表記を目にすると素人感がある内容とさえ思ってしまいます)

なぜかというとラグビーには二つの成文化されていないルールがあるからです。

A ラグビーがそもそも国家を単位・基準にしていない

B 属地主義である

まずAから言うとですが、ラグビーはナショナリズムの波に乗り遅れたスポーツです。

フットボール史を学ぶと出てくるように、古いフットボールは、民俗の中に溶け込んだものでした。ラグビーにはその面影がいまだに残っています。(サッカーはFA発生時点で既にプロ化していたので、また違う歴史を辿りましたが)

ヨーロッパの最高峰の試合は「シックス・ネーションズ」と呼ばれる大会です。国の対抗戦ではありません。(*1) いまだに民族を単位に対抗戦が行われており、古い文化の匂いがします。

例えば、フットボール発祥の地であるイギリスは、多民族による国家です。なのでイギリス代表といっても、ラグビーを知っている人は、「どこだろう?」という顔をすると思います。イングランド代表、ウェールズ代表など、イギリス国内から複数の代表がワールドカップに出ることが可能だからです。(サッカー界でも、G・ベイル選手がウェールズ代表として、ワールドカップを目指すなど、ネーションに戻ろうという動きは存在します。)

ネーションを中心に判断していると、外国人というよりもアイルランド人、スコットランド人という見方が普通になってきます。イングランドはパワフル、ウェールズは柔らかいパスで巧みなアタックをするなど、それぞれの地域に応じたラグビースタイルが今でも残っています。
ラグビー界では海外からきた選手をあまり外国人扱いしない理由の一つがこのネーションの問題にあると思います。

(*1)ネーション、は複雑な意味をもった言葉ですが、ここでは民族ということでイメージしてもらえればと思います。ネーションは「生まれる」を指すラテン語に由来するといわれていて、生まれ故郷のイメージが強いです。カントリーはそれに土地・領域の要素が入ってきます。一般的には国家はステイト=組織のことを指すことが多いです。詳しくは「定本 想像の共同体—ナショナリズムの起源と流行」などを参考にしてください。

Bは、ラグビーの歴史から生まれたものです。代表になるための要件として、ラグビーは、永く、国籍よりも属地、つまりその地域に住んでいるか否かで判断してきました。(*2)
日本代表の試合を見始めた頃に、香港代表が、およそアジア系とは思えないルックスだったのに驚いた記憶があります。イギリス植民地だった流れで、英国出身者が香港などの旧植民地で普段プレーしていた場合、そのままその地域の代表になっていくことが普通でした。そのため国籍や血を問題にしないカルチャーが出来上がったともいえます。

なので、外国人といっても、ラグビーにかかわる人たちは、出身・人種関係なく、普通に受け入れることが多いです。ワールドカップで五郎丸選手が「これがラグビーだ」というコメントを残しましたが、それは国籍、出生、肌の色など関係なく、一つのチームで戦うことが、ラグビーなのだという誇り高いコメントでもありました。
https://twitter.com/goro_15/status/645663742466859010

このようなカルチャーがあるので、ラグビー関係者の間では大げさに外国人であることが問題になることはありません。マスコミや試合や練習を見慣れていない人などが、いたずらに問題にするのは、他競技と同じかもしれませんが。(*2)

(*2)7人制ラグビーが、国籍を重視するオリンピックの種目となったため、国籍問題が、近年、争点になり出しました。ただ過去の代表歴などと照らし合わせ統括団体が判断するといった方法論的な解決はあり、終わった議論になっています。どちらかというとNZ出身者の問題、アイランダーと呼ばれる特定地域出身の選手の特定ポジションへの偏りや日本の大学ラグビーの国外出身者3人許容問題など、戦力的、補強としての観点から語られることが多いのが近年の特徴です。

3 監督に必要なこと

日本人監督待望論はないわけではありません。とある日本人監督が、南アフリカ大会前に執拗に日本人化を発言していました。しかし、今ではそんな声はすっかり聞かれなくなりました。そんな文句を言わせないだけの結果を、外国人監督であるエディー・ジョーンズが残したからでしょう。

エディー・ジョーンズについては、たくさんの書籍が出ていて、もはや語りつくされてはいる感はありますが、少しだけ発言を整理したいと思います。

日本人の血が入り、日本人の妻を持つエディー・ジョーンズだからこそ成功したという人もいますが、彼自身が明確にそれを否定しています。その発言の中で監督に必要な能力についても明言しています。

「(ニュージーランド人の)ウォーレン・ガットランドがウェールズ監督に就任した際、ウェールズといった国やラグビーを一体どれだけ知っていたと思う?くだらない議論だ。重要なのは世界でチームを勝利へ導くノウハウを持っているかどうかだ」
(ウォーレン・ガットランドは世界最高の監督の一人と言われています)

「ガットランドがワスプス(ロンドン)へ行ったらワスプスが勝ち始めた。ワイカト(ニュージーランド)へ行っても結果を出した。ウェールズ代表でも同じ。ワスプス、ワイカト、ウェールズの唯一の共通点はウォーレン・ガットランドだけ。その点以外、この3チームは文化もプレースタイルも全く関係ない」

「なぜ今大会まで結果を出せてない日本ラグビーを知ることにこだわるのか?今プレーしているラグビーは日本の良さを出せていると思うが、次のHCがそれを受け継ぐかどうかは本人次第だ。ただこのスタイルで、国際舞台でコンスタントに勝てることは証明できた。南アフリカに勝利できたのは偶然でないことをはっきりさせたい」

「今までの日本のラグビーを理解しているか、理解してないかは重要でない。日本のラグビーを分かっていたところで何のアドバンテージにもならない。肝心なのは最高峰のステージで勝ち方を知っているかどうかだ」

https://www.rugbyworldcup.com/news/119460?lang=ja

「世界でチームを勝利へ導くノウハウを持っているかどうか」が大事。「肝心なのは最高峰のステージで勝ち方を知っているかどうかだ」。

なんかどこかで聞いたようなセリフですね。どこかの国がサッカーワールドカップで負けた時に反省して、こんな話してなかったでしょうか?

知らない方も多いかもしれませんので付け加えますが、エディーさんのプロコーチとしてのスタートは日本です。東海大学と契約し、コーチとなった時、さほど日本についての知識はなかったようです。
(本人もそう語っています)http://best-times.jp/articles/-/8069
実際に東海大学でエディーさんに指導を受けたという方にも話を聞いたことがありますが、コーチングの核となるメソッドは既に確立していて、それを元に、ハードトレーニングしていたようです。エディーさんの在任中から、東海大学は強豪校への道を歩みだします。

当たり前の話ですが、「言葉が通じにくいけど問題を解決する技術を持った人間」と、「簡単に意思疎通できるけれど解決する技術がない人間」と、どちらが問題を解決できるでしょうか?

ベストなのはもちろん技術を持っていて簡単に意思疎通できる人なのは間違いありませんが、「簡単に意思疎通できるけれど解決技術がない人間」はおそらく全く役に立たないでしょう。もっとも最悪なのは「意思疎通できない技術のない人間」なのは間違いないですが。

エディーさんによれば、第一に、監督として大事なのは、日本代表監督(ヘッドコーチ)としての一連のスキル>コミュニケーション能力ということになります。それをエディー・ジョーンズ風に言うと、次のようになると思います。

日本人「が監督をして、全選手が日本人。それが理想なんですよね? やってみたら、いいと思います。けれどもそれを実現させるには、かなりの努力が必要です。経験値が伴っていないと、世界レベルでのコーチングはできません。コーチング、スキルワーク、メンタル面の準備が必要です」
https://news.yahoo.co.jp/byline/mukaifumiya/20150903-00049108/

4 日本サッカー協会の失敗

今回のハリルホジッチ監督解任後に、またダメ押しのようなミスを日本サッカー協会はしてしまいました。

「ロシアW杯後も日本人監督を要望 技術委員会で意見」
http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/20180423-OHT1T50218.html

なぜ国籍や血の問題を引き合いに出すのでしょうか?(ちなみに日本は血統主義です)
クロップやグアルディオラですら日本に帰化しないと指導できないのでしょうか?

単にS級取得者に限るといえばよかったのではないでしょうか。

S級取得者は「日本人」がほとんどですし、日本サッカー協会が「監督をする技量に足りる」と判断した印なのですから、当然、要求したらいいと思います。
そうすれば、万が一、不測の事態で外国人監督を迎えなければならない時でも、国外ライセンスから書き換えを要求すればいいだけになります。不要な議論を巻き起こす必要もありません。
国外ライセンスを裏書きすることでS級の価値も上がるはずです。互換性の問題も出てきているので一石二鳥です。

それともS級ではダメな理由があるのでしょうか?S級ライセンスでは、監督としての技術的な評価ができないのでしょうか?だったら何のためにS級ライセンスがあるのでしょうか?代表監督を評価する技術評価委員とは何をしている存在なのでしょうか?ライセンスの管理をしているのは誰で、それが強化方針とどうつながっているのでしょうか?

日本ラグビー協会はJFAの方式を参考にした改革を進めていますので、ぜひ明らかにしてほしいポイントでもあります。評価と組織の問題はまた後で自分なりに整理したいと思いますが。

最後にもう一度書きますが、今後も「日本代表に外国人監督は必要」になります。もちろん条件はありますが。

外国人監督が就任するのは、「世界でチームを勝利へ導くノウハウを持っている」からです。

日本人がそのノウハウを持っているならば、コミュニケーションの時点で圧倒的に優位には立つので、検討する余地もなく、日本人が選ばれるでしょう。すなわち、ノウハウをもった日本人を作る努力こそが外国人依存から脱却する唯一の方法だと思います。

一方、田嶋会長の発言からはまったく逆のロジックを感じます。
日本人が「ノウハウ」を得るために、外国人を排除するといういような言い回しに聞こえなかったでしょうか?経験者に該当するのは「いつまもで岡田武史」という言葉が、恨めし気に聞こえたのは私だけでしょうか?

私が田嶋会長の発言から類推するのは、JFAには評価基準がないのではないかということです。

企業活動において何らかの組織変革や改善を行うときに、外部からコンサルタントを呼ぶことがあると思います。コンサルタントは評価し改善することが仕事なので、そのノウハウは、当然、保有しています。他方、改善される側は、その提示された内容が、自分たちの基準で正しいか照らし合わせて判断する必要があります。

しかし、依頼した企業側にそもそも自分たちの基準というものがない場合もあります。何が正しいのかさえ分かっていない状況です。その際には、コンサル側のいいなりになるしかありません。
ノウハウはすべてコンサル側にあります。コンサル側もビジネスなので数値基準など具体的なノウハウを開示することはないでしょう。外部コンサルに依存する体質が生まれる所以です。

外国人監督に依存する姿と、なんとなく似ていませんか?

自社の基準がしっかりしていれば、外部からの人選もしっかりできるでしょう。結果の評価も容易です。また内部の昇進も問題なくできるはずです。自分たちの力で改善する組織が出来ます。
すべては自分たちの基準が存在していることが前提になりますが。

この外国人監督の是非論が不毛なのは、何を基準にするかが提示されないことです。
血や国籍は書類で分かるので明確な基準ですが、それがサッカーの強化とどれだけ関係があるのか、明確ではありません。日本人監督だと勝てる証拠とされる過去の実績は「いつまもで岡田武史」だけだからです。

間違ってもいいので、基準を提示し、そこからの距離を図るべきではないでしょうか?地道な作業ですがこの距離感を縮めていくのが、日本人監督で世界に勝つために必要なことなのではないかと思っています。次はこのあたりのことを書きたいと思います。

でも、もし技術論は関係なく、コミュニケーションスキルだけというならば、S級試験の中にコミュニケーション講座を作り、田嶋会長直々に指導してほしいです(懇願)。

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