なぜハリルホジッチはこんなに嫌われたのか?

「頑固で風変わりなおじいさん監督がみんなと合わなかったのね」

サッカーにあまり関心のない人に聞くと、大体、そんな感じの答えが返ってきます。マスコミがそういう報道をしているからというのもありますが、代表OBをはじめ、関係者、サッカーを知っているはずの層にまで、ハリルホジッチ氏はあまりいい印象は持たれていないようです。

なぜ嫌われたのか、最初に嫌われた原因を書きたいと思います。
「ハリルホジッチ氏がすること一つ一について、なぜそうするのか、多くの日本人がまったく理解できなかった」からです。
なぜ理解できなかったのかというと「サッカーを理論的・数値的・構造的に理解することを拒む思考」が理解を阻んだからだと私は思っています。

解任された今でも、一部の戦略マニアやサッカーをサッカー理論大好き人間、分析家以外は、まったくと言っていいほど、ハリルホジッチ氏の手腕・業績を評価をしていません。この無理解が解任につながってしまった大きな原因の一つであることにおそらく間違いはありません。が、あまりに擁護の声が少ないのは寂しい限りです。


私自身は「この評価の差は、どこから来ているのか?」について非常に興味があります。科学的な論考とは言えないですが、また書いてみたいと思います。そもそもサッカーとは何かという話にもなりそうですが、なるべくコンパクトに書きたいと思います。

1.サッカーの勝ち方と受け止め方

まずサッカーとは何なのかという話からやはり始めるべきかもしれません。どうやったらサッカーは勝てるのでしょうか?


相手より失点せず、多く点を取ればいい。

おそらくこれで正解だと思います。
ただそこに至るやり方はいろいろあります。
頑なに守って1点だけとるイタリア流ウノゼロなのか、美しくなければサッカーでないといったクライフ風のサッカーなのか、様々なスタイルのサッカーが世界にはあると思います。
そして、そのサッカーを面白い、面白くないと判断する・感じる方には、各国違いがあります。イタリア国民はガチガチに守ってもつまらないとは言わないようですが、ブラジル代表が同じようなサッカーをしたら、自国民からは非難の嵐が起きるでしょう。
サッカーのスタイルが受け入れられる理由は一体、何なのでしょうか?それは国民性や文化とかいう曖昧なものが理由なのでしょうか?
私にはわかりませんが、受け止める側の考え方も、サッカーのスタイルに影響を与えているのは間違いのない事実でしょう。


川渕三郎最高顧問は、ガーナ戦を次のように評しました。

どうやらボールを回すことが日本代表らしいことなようです。メディアでも「ハリル時代には失われていた躍動感」などの活字も躍っていたようです。とにかくボールや選手が動いて、ガチャガチャしている方がスポーツらしいということでしょうか?

きっとハリルさんのサッカーは日本人が考えるサッカーらしくなかったのだと思います。位置すべき場所を指定され、そこから勝手に動くと叱られる、外される。選手の躍動感はなかったように見えたのだと思います。

2.ゲームをデザインするとは?

躍動感のあるなしを別にして、実際のサッカーで勝つには正しい方法というものがあります。

・いい選手を集める
・いい監督・スタッフを集める
・いいトレーニングをする
・いいコンディショニングに整える(環境)

これだけやれば勝つ確率は限りなく高くなるでしょう。まあどの競技でも一緒でしょうが。あとはいいゲームプランを実際にチームに落とし込めばOKです。では、いいゲームプランをチームに落とし込むにはどうすればいいでしょうか?どのようにチーム方針を定めて選手をコントロールすべきでしょうか?

「チーム方針を決める基本は、『どこでボールを奪うのか』、そして、『どうやってゴールするのか』を決めることです。また『それに適した選手はいるのか』」を考えて実施すべきです。」


なんかハリルさんが言ったようなセリフですが、でもこれは、Yahoo知恵袋に書いてあったウイイレの攻略法です。(戦術をどう使うかの質問に対する一般の方からの回答だと思います。)

この回答には(ゲームと比べるとまた怒られそうですが)ハリルさんが嫌われた原因を考えるヒントがあるように思われます。

回答者は「ゲームをデザインする」などと言われる形で攻略法を語っています。誰がどこでどのようにボールを奪い、どうやってゴールするのかを、先に決めておく形です。

ウイイレでゲームをデザインできるのは要素がはっきりしているからです。選手能力の数値もプレーパターンもはっきりしていて、なおかつ動きはAIでコントロールされています。そのため、ゲーム内で選手は合理的に動き、想定通りの結果を出してくれます。


一方、実際のサッカーはどうでしょうか?選手が規則に沿って、合理的に動いているようには思えません。もちろん結果も想定外です。

ただデザインされたプレーというのは年々増えているようにも感じます。
昔からセットプレーで守備側のパターンや癖を見抜き、あらかじめ用意したプレーを行うことはありましたが、最近では、さらに進んだことが行われているのは、詳しい方ならご存知のことでしょう。フォーメーションの配置とメンバーの能力以外の部分からも弱点を探り出す分析官という仕事があることからもそれは明らかです。
選手もそのデータに沿って活動する必要が出てきていることは、様々な人によって語られています。ドイツでは「ラップトップ監督」なる言葉があるほど、データ分析がいまのサッカーシーンに与えている影響は大きいと言えます。

3.戦術ありか、なしか? 


でも振り返って考えると、ウイイレやるときに、戦術部分は、ほとんどデフォルトのままでやっている自分にも気付きます。ざっくりしたフォーメーションと好調のメンバーを並べるだけでなく、細かく設定してやる方がいいのはわかっています。強い人にも勝てないのも分かっています。

でも面倒くさい。時間がない。自分の操作だけで勝ちたい。いろんな理由はありますが、そんなに戦術には重きを置きたくない自分がいることが一番の理由だと思います。これはたぶん私だけではないはずです。
戦術やゲーム構造など理解したくないけど、ゲームは楽しみたい層というのは、確実に存在します。そして、(推定の域を出ませんが)サッカーはこの層がかなり厚いのでしょう。

白面さんも言っています。

ハリル解任を協会や選手として非難する声が圧倒的に大きいのですが、私は自分自身の問題としてこのことを捉えています。ハリルが残してくれたものはとてもとても大きなものだったからです。もっともっとサッカーを知りたいと思えるようになりました。ハリル、ありがとう。

まとめます。

「真実というのは心が傷つくものだ。でも、それから耳をそむけてはいけない」

川島選手の言葉です。ハリルは正直すぎたので嫌われたのでしょう。理解することを拒んだのは私たちです。ハリルに嫌われる原因がなかったとは言えないかもしれませんが、ハリルを拒んだのは他でもない私たちです。

もう少し理解する努力があれば、能力があれば、ハリルとワールドカップを楽しめたかもしれないと思うと残念でなりません。


最後になりますが、とある人の言葉を、自戒の念を含めて書いて終わりにします。

「サッカーのチームは、単にポゼッションやプロフォンダー(縦への速くて深い攻撃)などの戦術を考えればいいのではない。それだけではチームとはいえない。代表チームとは『誇り』を体現するものであり、その国の価値を体現するものだ。」                  P・トルシエ 

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