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「成功」の定義、変更したり戻したり

こんばんは彭城吾朗(さかきごろう)です。

noteエッセイの投稿が習慣化してまいりましたが、
来年は長編小説の執筆に全精力を注ぎ込むつもりでいるので、
こちらはまた書かなくなるかもしれません。
まあ、
来年がどんな生活スタイルになるかにも依りますが。

自分という、
この年齢分の長さだけ付き合ってきた人格のことを客観的に見てみると、
この彭城吾朗って男はつくづくステイタス志向が強いと思います。
有名になりたい、
小説で芥川賞とりたい、
付き合う女は美人じゃなきゃいや、
ほかいろいろ、
みたいな。
まあ、
コーヒー飲むなら一番安いベローチェが気楽で好き、
みたいに、
逆にステイタス意識やこだわりがまったくない部分もいろいろあるのですが。

ずっと、
私にとって成功とは、
富と名声と自由を手に入れることでした。
好きなことを好きなときに好きなだけやれてかつ有名で才能が認められ大金を稼ぎ出し人にちやほやされる存在になること。
こうやって言語化するとかなりベタすぎる恥ずかしくなるような成功観ですね。

それが、
人生思い通りにいかずに右往左往してるうちに、
考え方にいくらか修正を施したり、
また、
何かのきっかけでちょっと大人になって、
人生の見方が変わっていったりして、
成功というものの定義も日々変化していってるように思います。
変化して、
また戻って、
それの繰り返しかな。

最近は、
成功よりも成長のほうが重要だと思える時もよくあります。

今現在の地点で胸に描いている成功は、
ずっとコンパクトになりました。
16歳から30歳までは音楽で成功求め生き抜いてきた。31歳から45歳までは絵で成功求め生き抜いてきた。
どちらも夢叶わなかったが、
ポテンシャル出し切ったのでもう後悔はしていない。
そしてこれから、
46歳以降(現在47歳)は、
60歳をゴールに見定め、
お金になってもならなくてもいい、
有名になってもならなくてもいい、
ただ作家としてポテンシャルを出し切れれば、
それだけで成功とする。
こんな感じです。

けっしてノンフィクションを書いているという意味ではありませんが、
小説書きとしては生きた分だけしか話が書けない性分なので、
これから先も生きた分を小説化する、
それがやれればもういい。

成功の代名詞でもあるお金。
欲しいですね。
それはもちろん。

ただ、
あるトンデモ系情報筋によると、
これから遠くない未来に富の再配分が行われ、
ロボット(AIですか)がこれまで人間がやってきた仕事の多くを代行し、
人間生活に余暇時間が増え、
お金があまり重要でなくなる、
という話もあります。
本当だったらいいですね。

お金が成功のバロメータでなくなった未来とは、
どんな未来になるのでしょうか。

それと、
これまでは1万人に1人が主役だった芸術や芸能などのシーンが、
これからは1万人全員が主役になっていく。
こういう話もあるでしょう。

未来を楽しく展望したいものです。






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