9月21日の日記・・お彼岸モード

本日は、なりすまし坊主としてなすべきこと。懺悔文を3回唱え、写経開始。それから、経文をもってないので、動画で大悲新陀羅尼を、見ながら、ソモコー、ソモコー・・とお経をあげていた。

懺悔文は何回唱えても、足りないぐらい悪い行いをしてまいりましたから、当然、行先は地獄なのである。地獄へ堕ちても、地獄で鬼退治をすればいいのだろう・・・。

それから、心を静めるために、折バラをおり・・。

メールを開くと、スライドショーを送った知人から、「素晴らしい!!」とおほめの言葉が。だが、所詮、70%はお世辞、30%は、「歳がいもなく・・」、00%ぐらいが、すこし、ぐらいなもんであろう。

まあ、その前に、訃報の話を聞いて、下手に動かないという自分の決断に、同感してくれたことは、やはり、あの家族に違和感を感じてみえたと受け取ってもいいと。が、本心は、「草枕」に登場する女性、自分がいわゆる「き」印であるもんだから、ギクシャクしてしまったわけだ。全て、自分が捲いた種なのであった。「きじるし」であるからにして、人のいう事は、あまり信用しないほうがいいし、まともに受け取って、喜んだり、悲しんだり、精神が高揚等、波風をたてないのが、ベターなのである。話がフランスまでとびまくるが、だから、「感情教育」Éducation sentimentaleとなってしまう。

所詮、素人の作るものだから、ある程度は、遊びと冒険が入り交じり、実験段階で。まあ、そんなことだ。

あまり、深く悩む必要もなく、それよりも、前向きに生きたほうが、天に召された方々が、より安心されると。

不思議なのは、お盆の入り、彼岸の入りの日には、自然と、鰯に手が伸び、山椒煮をぐつぐつやっている。不思議でもなく、そこにイワシがあるから、手が伸びるだけであって。山椒の実が、冷凍ストックしてあるから・・。グツグツであって・・。何も特別でもなんでもない。

わかった。音神経症みたいな。あまり、イヤホンは長くつけないほうがいいということ。生活音半分、イヤホンの音半分。いやほどほどにしておかないと、ものすごく、心が悲鳴をあげていたのだった。そして、体も悲鳴を・・。それだけ、気が付けば、十分かもしれない。やっぱり、「きじるし」の自分の限界ってものを知る。

今日も、お疲れ様でした。では。

#日記


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