9月20日の日記

今日も、お休み日。

「紺碧の空」を覚えたのは、早稲田と関係なく、高2のとき、体育祭の応援団に所属していたから。必然的覚えさせられた記憶。縦割りの組み分けでして、上級生が指導権を握り、かなり厳しかった。学ランではなく、性格に反する、チアのほうであった。おとなしくて、地味で根暗関係なく、じゃんけんに負けたから、ピンクレディの「渚のシンドバッド」を、歌って、踊って、おまけに、スケスケミニスカートで。4~5人組で、練習の時は、ジャージでして。家族にも、恥ずかしいので、一切話してない。記念写真もない。黒歴史なのだ。インナーが困ったもので、スクール水着を着て、スケスケミニを着て、誰かの手作りボンボンを両手に持ち・・。まるで、アホ。

でも、真面目にやらないと、上級生からにらまれるのが怖くて。我を忘れていった。今は、もう踊れない。完璧ではなく、それらしきダンスなのか、お遊戯みたいな感じ。ただ、声だけあげて、そこで、手足を他の連中がするように動かしていればよい。

この「紺碧の空」の応援歌の時は、更に真剣そのもの。その後、手拍子の、「ジャブ」という、いまだ、このリズムは覚えている。「ジャブ!・・・・◎◎・・・・◎◎・-・-・-・・-・・-・・◎◎ ジャブ!」このジャブが応援合戦で、いつも勝利をあげていた。かなり、本気。

「紺碧の空」は、応援歌でも、いい歌だなあと思うから、いつまでも忘れないようだ。

そういう自分の意思、性格に反することを、ジャンケンの弱さから、背負う羽目になり、何が何だか今でも時々混乱する。が、なにも変わらないのだ。

が、文化祭もあり、クラブでのだしもの、クラスでのだしもの。クラブは、なぜだか、ECCにつかまり、だし物、英語劇「ベニスの商人」、これもなぜだか、ポーシャ役に。発音は、留学生にチェックされ、whichの発音がおかしいから、thatに置き換えてみたらと・・。これが初舞台(初豚台)。それと、バンドを組み、Let it's be, 他ビートルズの曲。ドラムを借りて、アコギ、コーラス、タンバリン。何やら、放課後は、忙しかった。一人でボケっ~としているよりは、ましかもしれなかった。先輩たちは、Deep purpleを、本格的に、ボーカルもさまになっていて、カッコよかった。横眼で、先輩たちの姿に羨望のまなざしでみていた。

クラスのだし物は、部屋の中で、人形劇セットをつくり、人形は各々の手作り。セリフは、なし。ナレーションが別の人がいて、それに合わせて人形を動かすだけ。題目は、豚にちなんで、「3匹の子豚」。

3年生になって、最後の最後、の卒業前の在校生へのだし物。これも、断り切れなくて最後の恥さらしで、「わらしべ長者」の稚児役を。これは、無茶苦茶に顔になんか、くりくり、塗られて、ちょんまげ。おまけに、裾短かの浴衣のような、とにかくいじくりまわされた。みんな、先生も気合いが入っていた。ただ、稚児が、甲高い声をあげて、だだをこねるだけでよかった。チビだから、手製の駕籠に見事乗っかって、底が抜けない。担いでくれた。他は、本格的演技をする男子生徒。強靭英語の先生も、熱演。会場、大笑いだった。

恥さらしの、高校生時代。要は、要領がわるいのである。断ればよかった。「豚もおだてりゃ、木に登る」で・・。アホ。アホになるしかなかった。いや、みんな大人びていたと思う。自分だけ取り残されたように、子供じみていたと思う。それがいいのか、悪いのか?志望大学へのこだわりだけは、我を通して曲げなかった。誰にも知られたくなかった。黙り続けた。担任の教師と、親だけは、知っている。危ない?何とも言えない。データがない。と。未知数だった。それだけなのである。

と、高校時代のことをふと思い出していた。

今日は、ゴルゴ13。最近になって、ゴルゴが面白くなってきた。ゴルゴ13のように、冷徹、冷静に、なりたいものだと・・。

今日も、この辺で、やめておきます。時は、お彼岸だった。我に返る。体の声と自然が知らせてくれる。

#日記


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