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今は動くときではない

・僕はじっとできない

 僕の性格上、あまりじっとすることが得意ではない。だから思いついたら行動してしまう。でもそれで火傷もした経験があるから、じっとしてみることにした。するとじっとしていてはやっぱりダメだということに気づいて、行動するようにしてみた。今がまさにここの状態である。ごちゃごちゃしていて、ややこしい話だと思うかもしれないが、今は動くことを意識していて、元の状態に戻ったということだ。これを誰かに言うとするとおそらく、「それはじっとするより動いた方がいい」という反応が返ってくると思う。確かにそれが正解かもしれない。いや、行動するほうが大切だと僕も思う。しかし、この「偏り」というのが、僕がじっとしてみたり行動してみたりを繰り返す原因になっているのではないかと思う。この期間で気づいたことがある。

 「時として人間はじっとする時間が必要である」と僕は思う。初めにも述べたように、僕は何度も何度もこの状態を繰り返してきた。その度に一喜一憂してきた。これのどこが悪いのだろうか。別に自分がやろうと思ってやったりやめたりしているのだから良い。いやそれは違う。何が悪いのか。それは「タイミング」だ。僕は最近すごくこのタイミングが重要だということに気づいた。身の回りのことから国のことから世界のことから全てこのタイミングが重要だと僕は感じた。先に言うと、僕にとって今はやはり「じっとするタイミング」であると思っている。何をするにも考えを寝る時間が必要ということではなくて、動くタイミングと動かないタイミングのこの両方をうまく使い分けないといけないなという考えに至った。これはあくまで僕自身の中で何か大きめな取り組みをする時の話である。

・見極める力

 簡単にいうとボクシングみたいなものだ。ボクシングは試合開始のゴングが鳴ってから、少しづつ動いて、防御して、ジャブを打ち、タイミングを見計らってストレートを打つ。また、始まってすぐ不意をついてストレートを打ちにいくこともある。常に少しづつ、ジャブを打ち、いい頃合いでストレート、またはいきなり打つというこの作戦をうまく使いこなせると自分に余計な労力もコストもかけずに何かに取り組む時は有効なのではないかと思う。

 今日は短くなってしまったがこの「タイミング」について考えてみた。周りのライバルが動いている時に動いてもしょうがないからみんなが静かな時に勝負してみたり、逆にそこに向かって正面から戦うこともありえる。自分に今何が必要かとか、何をするべきかとか、そういうことをしっかり周りを見ながら見極めなければいけないと思った。何にしても絶対に少しでも動き続けて、周りを観察していれば自分にとっての「ここだ!」っていうタイミングがあると思う。だから僕も少し状況に応じて時にはじっとしてみることもしようと思う。

・ついでに

 今日は文末の表現を変えてみた。何か糸がある話でもない。ただ練習ついでで、この書き方にしたら自分はどんな表現をしながら文章を書くのかが気になっただけだ。でもなんとなく「だ、である」という書き方だと少しだけ自分が強くなった気分になる。ただそれだけだ。この言い切る感じが好きだったりもする。ここも臨機応変に使い分けてみようと思う。すると皆さんにも「あ、今日はちょっと強めにいいたいときかな?」とか色々感じてもらえそう。僕の文章書く練習にもお付き合いください。


ということで今日も読んでくださってありがとうございました!

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