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芝山町で千葉県全市町村踏破・後編<日本全市町村踏破(制覇)>

前編の続き。

芝山町内の観音教寺、通称芝山仁王尊へ参拝。ここは、全国でもトップクラスの初詣参拝者数を記録する、成田山新勝寺と並ぶ大寺院だったという。成田山と大きな差がついたのは、近代以降、鉄道網が発達した為ということだ。

さて、前編から見ていた方は、「はにわ博物館はどうした、なぜ寺なのだ」とお思いのことだろう。
実は、この寺の境内に、芝山はにわ博物館があるのである。

……と、ここまで書いて、改めてネットで調べたところ、重大な事実に気が付いた。実は寺の近くに、芝山町立の「芝山古墳・はにわ博物館」が別に存在するのである!てっきり、寺の境内の博物館が、町立博物館だと思っていたのだが、しかし、それも奇妙だな、とは思っていた。

おかげで、町立博物館の方には、行きそびれてしまった。関東近県という事で、事前調査をいい加減にしてしまった結果か。まあ、その気になれば、芝山くらい東京からいつでも来れるので、いいと言えばいいのだが。

それにネットの情報では、寺の博物館の方が展示は充実しているらしい。もちろん私設なので、入場料は寺の博物館の方が高い。

しかし、何でこのようなことになってしまったのか。寺の博物館には、一帯で本格的に発掘が始まった際、出土物を寺に集めたというような事が書いてあった覚えがある。近隣にこれ以上保管にふさわしい場所がなかったのかもしれない。

あるいは主要な発掘場所が寺の境内だったとか、発掘費用の多くを寺が負担したとか、そもそも発掘自体寺の主導だったとか、色々な事が考えられるが、寺の博物館の方に、町立博物館に関する言及は一切なかったので、何かしら確執がありそうではある。

町立博物館の方は、自分の目で見ておらず、どちらがいいとかいう事も言えないのだが、寺の博物館については、私のようなマニアの部類(苦笑)からしても、十分に見ごたえがあり、解説も優れていたと思う。

展示物と解説を一通り見て、一番印象に残った事は、このあたり一帯を古くは武社国(むさのくに)と言い、6世紀に朝廷の有力豪族で、渡来系である事が有力視される和邇(わに)氏の一族が派遣され、巨大古墳が築造されたということである。

このあたりから出土する埴輪の特徴として、前編にも掲載した、帽子をかぶり、長いひげをのばした像というものがある。写真のものはもちろん複製だが、同じもの、または同系統のオリジナル品が、寺の博物館に展示されていた。確かに、埴輪としては変わった姿形だ。

解説によれば、この帽子と長いひげという特殊な習俗であり、渡来系の証と言えるらしい。個人的には、黒いひさし付の帽子をかぶって、あごひげを長く伸ばすユダヤ人を思い起こした(別にここで日ユ同祖論を展開したい訳ではない)。

また彼らが派遣されたのには、関東・東北の蝦夷制圧の目的があったというようなことも書かれていた。確かに、千葉県北部の香取神宮と、そこから利根川を挟んで茨城県南部に鎮座する鹿島神宮は、天皇の祖先の神々に逆らう神々を平定する軍神であり、両神宮の鎮まる日本水郷周辺は、常陸国風土記において、「まつろわぬ民」を討伐する話が非常に多い地域である。

つまり、この地域の古墳や埴輪は、朝廷によって渡来人が送り込まれ、前線基地として発展した痕跡なのである。

解説では、芝山仁王尊を創建した藤原継縄(ふじわらのつぐただ)が、蝦夷征伐の総大将・征東大使であり(ただし継縄はろくに任務を遂行していない)、当時の寺院跡の遺跡も多く、武社国と芝山仁王尊が征夷で結ばれていることにも言及していた。

また、継縄の妻が渡来系氏族の出で、その為に渡来系の血を引く桓武天皇の覚えがめでたかったことなども、関係していそうである。なお、奈良時代に東北で日本初の黄金発見に貢献したのは、百済王氏の一族であった。古墳・埴輪と今に残る芝山仁王尊との連続性は、なかなか興味深い。

そうした古代と現代の芝山の連続性を物語るものとして、町内には宮門神社がある。

当神社の祭神は、彦忍人命(ひこおしひこのみこと)であるが、この神こそ、武社国造に定められたと記録が残る、祖神なのである。

現在、芝山の代名詞とも言える古墳・はにわの文化を築いた始祖が、こうして今も神社に祀られているというのは、これまた非常に興味深い。

芝山古墳群を代表する殿塚・姫塚も訪ねた。想像よりもはるかに大きい前方後円墳だ。武社国の繁栄ぶりが窺われる。実は、意外なことに、日本で一番前方後円墳の多い都道府県は、千葉県らしい(専門家でもなければ、西日本だと思うのが普通だろう)。

古墳の規模としては、殿塚の方がずっと大きいが、考古学的に大きな発見があったのは、姫塚の方である。全国的にも珍しい「葬列はにわ」がほぼ完全な形で出土し、しかも元々置かれた位置にほとんどそのまま変わらずに置かれていて、形象埴輪の配置の意味が解明されたのである。形象埴輪とは、人や馬、家など具体的な形を持つ埴輪の事で、より古い時代の埴輪は、円筒埴輪など、抽象的な造形であった。

なお、「芝山古墳群」と名が付き、芝山町の案内板が立っているが、実は、芝山古墳群の所在地は、芝山町ではなく横芝光町である。現代の行政区分に関係なく、古くからこのあたりと「芝山」と呼んだのだろうか。

殿塚、姫塚にいても、頻繁に飛行機が上空を飛び交うのを確認出来た。確かに芝山は古墳と飛行機の町である。

これで千葉県54市町村、全踏破!
関東地方全316市町村のうち、311踏破。残り5、達成率98.4%。
日本全国1741市町村のうち、1693踏破、未踏破48、達成率97.2%。

サポート頂けると、全市町村踏破の旅行資金になります!また、旅先のどこかの神社で、サポート頂いた方に幸多からんことをお祈り致します!