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鹿児島県与論町を踏破 その2<日本全市町村踏破(制覇)>

2018年2月12日。与論空港に着き、北側を周って、東側の大金久海岸を見学、さらに南下して、与論民俗村へとやって来た。

ここには与論島の伝統家屋や民具などが展示されている。

家屋の屋根を葺く為の茅は、本州に比べて太い物を使っていると聞いた。台風対策だろうか。

この伝統的なくりぬき枕は、園内の売店で売っていたので購入した。見るからに堅そうだが、実際に寝てみると、カーブが上手い事頭に沿って、意外にも大変心地いい。

酒を保管する為の甕がずらりと並ぶ。

奥に建つ建物は、屋根が沖縄赤瓦で葺かれており、完全に琉球の趣だ。

園内には様々な植物も植えられている。

与論ではバナナも育てられて来た。流石は亜熱帯というべきか。「実芭蕉」ともいう。バナナは芭蕉の仲間なのである。

これはサトウキビを絞る為の器具。その絞り汁から黒糖が作られる。

民俗村の敷地内には古代遺跡もある。今は看板くらいしか立っていないが、約3000年前、本土の縄文時代後期にあたる非常に古い遺跡だ。

民俗村の次には、島の中心部の集落内に鎮座する、按司根津栄神社へ。集落の内部の路地にあって、少々場所が分かりにくい。

前回の投稿に書いたように、按司根津栄は「アジニッチェー」と読み、神格化された伝説的な英雄である。写真にある境内の案内や按司根津栄神社の公式サイトには、按司根津栄の伝説が書かれている。

沖永良部島での投稿でも書いたが、南西諸島には、伊豆大島で討死にした源為朝(鎮西八郎)が生き延びて辿り着いたという伝説があり、琉球王朝の正史には、王朝の祖先と書かれている。ここ与論にも為朝の伝説があり、古、この島が「ユンヌ」と呼ばれていた時代に立ち寄り、地元の娘「ヌル」との間に一子設けた。それが按司根津栄だという。

按司根津栄は父譲りの弓術を身に付け、その武勇を見込まれて琉球王に仕え、与論より北の地を与えられ、領主=按司の位を授かった。やがて、与論へ帰還を申し出た際、形見を置いて行くよう言われ、妹・インジュルキから借りていた弓を献上する。

しかし、インジュルキがあまりにそれを憂えたので、按司根津栄は琉球王の城に忍び込み、秘かに奪還する。インジュルキは喜んだが、琉球王は按司根津栄の超人技に恐れをなし、千人の兵を与論に差し向ける。按司根津栄はこれをことごとく撃退するが、老兵だからと生かした飯炊きの老人が太陽に向けて放った矢が、偶然按司根津栄の頭に刺さり、息絶えた。

報告を受けた琉球王は死を確かめる為にもう一度千の兵を差し向けたが、直立不動のままの按司根津栄に恐怖した兵は混乱し、海に飛び込んだり自害したりで全滅した。これをもって「生きて千人、死んで千人」と言われる。

琉球王は按司根津栄の死を確認できたが、一族を生かしておくことを恐れ、さらに千の兵を差し向ける。今度はインジュルキが強弓を引いて奮戦したが、ついに斬られてしまう。しかし彼女の首は斬り落とされた瞬間に呪歌を歌いながら舞い上がり、それを見た兵達は恐怖して引き返した。そしてその船は大嵐に遭い、誰一人帰り着かなかったという。以上が按司根津栄の伝説である。

境内では御守りやおみくじなどを無人で授与している。

市町村踏破数は前回投稿から変わらず。
鹿児島県全43市町村のうち、42市町村踏破、残り1村、達成率97.7%。
九州・沖縄全274市町村のうち、258市町村踏破、残り16市町村、達成率94.2%。
日本全国1741市町村のうち、1718市町村踏破、残り23市町村、達成率98.7%。

サポート頂けると、全市町村踏破の旅行資金になります!また、旅先のどこかの神社で、サポート頂いた方に幸多からんことをお祈り致します!