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沖縄県北大東村を踏破 その3<日本全市町村踏破(制覇)>

2018年4月28日。ゴールデンウィーク沖縄未踏市町村集中踏破第一村、北大東村。
北大東島の最東端である「沖縄最東端之碑」が建つ「沖縄海」見学の後、島の南側沿岸を、西に向かって移動。

北大東島の外周は、ひたすら隆起サンゴの岩礁が続く。最東端を発ってしばらく走ると、最南端あたりに、「台風岩」という不思議な名前の岩があった。

これは、台風による猛烈な波風で、海岸から陸地に向かって吹き飛ばされ、道路の端の壁にぶつかって止まったという、何とも凄まじいもの。大東諸島は、南の海で発生した台風が、強い勢力を保ったまま近付く場所であるため、このようなことも起こる。なお、この岩が吹き飛ばされたのは平成21年と、まだ割と新しい。村が見どころとして案内板を設置しているのも面白い。

岩礁と海の向こうに、南大東島が見える。北大東島からの距離は約12km。南大東島の地形も、北大東島とよく似ていて、隆起サンゴ礁の島で、沿岸はは全て岩礁であり、中央は陥没して低くなっている。

周囲には全く島のない絶海なのに、よく似た二つの島だけが隣り合って存在しているのは不思議な事だ。元々一つの島だったのだろうか。

台風岩からも近い江崎港。北大東島には3つの港があるのだが、全て、このように岩礁を削って整地したもので、岸壁は海水面から高く、外洋に面していて波のうねりも激しい。その為、前回の投稿に書いたように、船の接岸が難しく、クレーンで人や積み荷の上げ下げを行う。

北大東島の南西にある上陸公園。

明治36年、北大東島の開拓に先鞭をつけた玉置商会の社員達が上陸した場所で、それを記念する公園。玉置商会は、南大東島開拓の主導者・八丈島出身の玉置半右衛門が設立した会社だ。

ただし、初上陸時はサツマイモの株を植えたくらいで、本格的に始まったのは明治43年以降とのこと。開拓の歴史は、南大東島の方が十年程古い。

玉置商会の社員達が上陸した場所は、その後「上陸港」と呼ばれて、長い間島で生産した砂糖積み出しの主力港となった。今も、砂糖樽を運ぶために敷設されたレールの跡が残っている。なお、先に北大東島には3つの港があると書いたが、現在上陸港は使用されていない為、上陸港は含まれていない。

北大東島の外周道路は、こんな景色が続いている。

北大東島では、テッポウユリを見かける事が多かった。南西諸島ではよく見かける。沖永良部島は一大生産地だ。

北大東島最西端近くの西港公園。西港を見下ろす位置にある。

西港は大きな港で、燐鉱石の積み出しの為、大正7年に作られた。ここが風下にあたり、凪になる事が多いからだ。岩礁をダイナマイトで割って作られたという。

西港公園には「国標」がある。これは明治18年に、政府から派遣された役人が、日本の領土であることを明確にする為に設置したものである。

東西おおよそ一里半(約5.8km)、南北おおよそ四里(約15.6km)、沖縄県本庁からの距離おおよそ百三里(約401.7km)、といった事が書かれている。

地図を見る限り、南北よりも東西が長いように思えるし、沖縄県庁からの距離もちょっと長いような気もするが、当時の計測技術の問題だろうか。

なお、この国標は、劣化した為、昭和12年にコンクリートで再建され、さらに、西港を整備する際、木製で再々建したと書かれている。

その時期については記載がないが、内容的に昭和47年の沖縄復帰後のことと思われる。現在の国標には、平成28年再々々建と書かれている。島の歴史を考えれば、その意義は大きく、繰り返し再建されて来たことにも頷ける。

西港公園内には、大型船舶のパーツの一部と思われるものが、オブジェのように展示されている。

西港公園の道の向かいには、金刀比羅宮が鎮座する。金刀比羅宮の総本宮は四国・香川県の琴平のいわゆる「こんぴらさん」。海上安全の守護神であり、海岸に多く、必然的に離島ではよく目にする。秋葉神社と同じく、八丈島の人々が持ち込んだ信仰だろう。

二つの赤い鳥居が並ぶ印象的な境内。

向かって右の祠の方が高く、神道祭式においても向かって右(祭式においては祀られる神の視点を基準として「左」という)が上位の為、そちらに主祭神が祀られているのだろう。金刀比羅宮ならば、祭神は大物主神だろうか。

境内には屋根付の立派な土俵もある。相撲が奉納されるのだろうが、境内の構造上、神事に用いられ、拝殿の役割も果たすものと思われる。また、奄美大島ではこうした屋根付の土俵が集落の集会所のような役割を持ち、祭祀的な意味合いもあったと思うので、何らかの形でそうした南西諸島の文化が持ち込まれたのかもしれない。

最近、行政の交付金で櫓や倉庫が整備された旨が書かれている。櫓と呼べるものは屋根付土俵意外になく、そのことだと思われる。倉庫は上の写真写っているもので、近くにある、かつて北大東島の管理をしていた東洋製糖の建物を模した様式なのだろう(次回投稿参照)。

市町村踏破数は前回投稿から変わらず。

沖縄県全41市町村のうち、30市町村踏破、残り11市町村、達成率73.2%。
九州・沖縄全274市町村のうち、262市町村踏破、残り12市町村、達成率95.6%。
日本全国1741市町村のうち、1722市町村踏破、残り19市町村、達成率98.9%。

サポート頂けると、全市町村踏破の旅行資金になります!また、旅先のどこかの神社で、サポート頂いた方に幸多からんことをお祈り致します!