Q4:趣味人と求道者では、人間的に何が違うのでしょうか? また前者から後者への変身は可能でしょうか?

御山人:趣味人と求道者の大きな違いは、長期展望の有無でしょうな。「最早趣味ではない」と言われるかどうかはそこでしょう。塾長は確かJR全線乗車に13年掛かったと仰ってましたな。やつがれの全市町村踏破も、全生涯の集計結果でござるが、初集計からでも、既に3年が経ち申した。創作系に関しても、塾長の「英雄シリーズ」執筆開始より、既に2年くらいは経ってござろう。塾長と共同で出版した神社対談オーディオブック「高橋御山人の百社巡礼」は、毎月コンスタントに2~4本リリースし続けて、完結までに2年以上かかり申した。今も派生作品「高橋御山人の百社巡礼拾遺」をYoutubeにてリリース中でござるが、それを含めれば3年以上ですな。

やつがれのWEBサイト「邪神大神宮」は創建より13年が経ち申した。当初の計画からすれば未完成部分も多く、本腰を入れて構築に費やしたのは半分くらいの年数でござろうが、そうでない時間も電子書籍や紙書籍、オーディオブックなどというような別形態作品、派生作品を創っており、やつがれはそれらを一体となった一つの「庭園」のようなものと見なしております。

神社の境内というものをよく見ると、まず本殿・拝殿が建っており、そこから参道が伸びていて、途中や入口に鳥居がある。また摂社や末社といった本殿・拝殿とは別の祠もあって、神楽殿や宝物館、池などがある場合もある。それらの全てをもって〇〇神社と言いますな。寺院なども似たようなものでござる。これらは一つの「庭園」と言っても良い。世界の庭園も、浄土式庭園とかペルシャ式庭園とか、宗教施設の一部や、宗教的テーマを具現化したものが多うござるな。これは一種の「曼荼羅」であり、「宇宙」とも言えるのでござる。

やつがれはそのような思いで作っておるのです。「邪神大神宮」本サイトが庭園中央の、宇宙の中心を表す祠堂であり、書籍は摂末社、音声・動画は神楽殿、noteは池。長い時間を掛け、一つの曼荼羅を描き、一つの宇宙を創っているのでござる。単に長い時間掛けているのではなくて、少しずつ積み上げて行っております。体系的であり、統合的であると言っても良いでしょうな。それはJR全線乗車や全市町村踏破でもそうでしょう。この場合は、一つの宇宙を創るというより、一つの宇宙の全てを見る、ということになる。

いかに趣味に時間や金を掛け、凝りに凝っていようと、宇宙総覧、宇宙創造の意志を持つ趣味人というのはいない。いたとすれば、それは最早求道者でござる。「最早趣味ではない」のです。そして元気という事で言えば、宇宙総覧、宇宙創造は、元気の源泉そのものですな。内なる元気のビックバンがあり、無限に湧いてくる。求道者は内部に原子炉があり、元気を高速増殖しているのです。趣味人にも炉は有り申そうが、原理が異なるゆえ、エネルギーの量や密度が全く違う。

それならば、趣味人から求道者に変身するには、原理の転換が必要でござろう。趣味人が、自らの趣味に対し、宇宙的構造性を意識し、長期展望に立って、その構築を始めた時、原理が変わる。散らばっていた要素が、統合的目標に向かって動き出す。原子と申しましたが、電流に例えると良いかもしれませぬな。趣味人という金属の中では、自由電子が遊離してブラブラしておりますが、電圧をかけると、一斉に一方向に向かって動く。この電圧が構造構築の意志なのでござる。高電圧になれば稲妻の放出も可能ですからな。物凄いエネルギーでござろう。

この内的電圧とでも呼ぶエネルギーは、はじめに長期展望と言った通り、時間をかけ続けると増して行く傾向がござるが、であれば、世代を超えて継承する事で、一代では成し得ない高エネルギーになるのかもしれませぬな。それは血統や法統による継承はもちろん、典籍等を通じて叡智を得る場合も当てはまるでしょうな。事実、人類の文明も、そうして発展して来た。積み重ねというものがなかったら、人類は生命体としての進化が起こるまで、永遠に旧石器時代のままでござろう。

サポート頂けると、全市町村踏破の旅行資金になります!また、旅先のどこかの神社で、サポート頂いた方に幸多からんことをお祈り致します!