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北海道栗山町を踏破<日本全市町村踏破(制覇)>

10月7日、長沼町に続き、同じ夕張郡の栗山町を踏破。
栗山町は、昭和24年まで角田村(かくたむら)という名前だった。これは、明治期にこの地を開墾する為に入植した人々の出身地が、仙台藩領角田、現在の宮城県角田市(かくだし)だったからだ。

北海道には、このように開拓者の出身地が付く地名は非常に多いが、特に宮城県、仙台藩、伊達氏に関係したものは存在感がある。伊達市が有名なせいだろう。伊達市への入植が明治3年、角田への入植が明治21年ということだが、角田への入植には、先行する伊達市の影響があったかもしれない(なお、現在の伊達市「伊達」の地名が付いたのは明治33年の伊達村発足が最初)。

栗山町西部には、現在も「角田」という地名が残っている。そこに立派な「開拓記念館」も建っている。

今回、時間の都合で、開拓記念館を見ている時間はなかったが、栗山町には上に書いたような歴史があるので、気になるところである。

開拓記念館の敷地内には、「泉記念館」も建っている。これは、開拓時のリーダー、旧仙台藩士・泉麟太郎を記念するものだ。

建物は、明治31年、栗山町発祥地に建てたものという。角田への入植が明治21年なので、入植から十年経った頃の建築。当時、原野だったこの地に、こうした茅葺家屋を建てて住み、開墾に励んだ様子が、窺い知れる。

彼らの開墾の甲斐あって、栗山町には広大な農地が広がっている。
なお、栗山町の北部には、鳩山和夫なる人物が開拓した「鳩山」という地名がある。鳩山和夫の孫が、鳩山一郎元首相であり、曾孫が鳩山由紀夫元首相である。

開拓記念館に入れなかったから、という訳でもないが、おまけとして、宮城県角田市にある、高蔵寺の写真を掲載。高蔵寺の阿弥陀堂は、1117年、平安後期の建造であり、国の重要文化財。奥州藤原氏が建てたものであり、中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂と同様の建築様式。また、東北地方に残る平安時代の建築は、この三つのみで、宮城県最古の木造建築でもあり、貴重なものである。

空知総合振興局管内残り1町。
北海道全179市町村のうち、173市町村踏破、残り6市町村、達成率96.7%。

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