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青銅村

さる地方都市の市街地を歩いている。
大きな通り沿いに店が建ち並び、多くの人が歩いている。通りの中心には公園もある。

公園を進んで行くと、大きな斜面があった。この街は、山岳部を切り拓いて造ったもののようだ。

斜面の中央に、黒灰色の大きな岩盤のようなものがある。岩盤は妊婦の腹のように、丸く突き出ている。
その角度は急で、とても登れたものではない。

まさに妊婦の腹のように、下の方はぐっと奥にへこんで、最後は垂直に近い角度で、地面に繋がっている。
その為、岩盤の下は岩屋のようになっている。

ただし、岩屋の屋根の高さは低く、かがまなければその下に入り込むのが難しい程だ。
妊婦の腹が、地面ギリギリ近くまで垂れ下がっているからだ。

岩盤には、いくつもの小さな穴が開いている。下の方にも開いているので、近寄って、中を覗き込んでみた。
真っ暗で何も見えない。思い切って、穴の中に首を突っ込んでみた。
暗闇の中、うっすらと、上部をカットされた腰掛けのような石が、斜面に階段状に並んでいるのが見える。
それは規則的に並んでいると言えば規則的だし、不規則だと言えば不規則と言え、人工のものなのか自然のものなのかも分からなかった。

中に入って確かめようと、身を乗り出してみたが、肩の下あたりでつかえてしまい、それ以上中には入れない。

諦めて穴から出て、岩盤の脇の斜面を歩く。結構な高さまで登って行く。
斜面の下の市街地の、三、四階建てのビルの屋上が、そこそこ下に見える。こちらは七、八階くらいの高さにいるようだ。

妊婦の腹のような岩盤も、このあたりが最上部だ。そこに、扉がついた、中に入る入口がある。

中に入ると、銭湯を思わせる造りになっている。白い壁。人がそこそこいる。番台にあたるようなところに、女性が立っている。
番台の左側には、のれんが掛かっていて、入口がある。入口の奥は、暗くてよく分からない。

のれんの方へ進んで行くと、番台の女性と目が合った。黒髪が肩の下まである、痩せた中年の女性だ。
女性はこちらをじっと見ているが、口を開かないので、のれんをくぐることを、特に咎める様子でもない。
だから気にせずのれんをくぐった。

のれんの奥は、先程覗いた、腰掛けのような石が並ぶ階段の、最上部だった。
状況から言えば、照明が落ちている劇場や映画館に入ったようなものだが、特に舞台やスクリーンなどがある様子ではない。

ただ、照明が落ちている劇場でも、足元の明りが点いて薄っすら明るいように、この空間もわずかな明りはある。
中へ進んで、石の列へ入って行くと、ところどころ、地面にいくつか亀裂があって、そこから光が漏れている。

亀裂から、ずっと下の方に、シルクハットに背広を着けた紳士が歩いて行くのが見えた。
亀裂から漏れているのは、地下街の光だった。公園の下に、地下街があるのだ。
地下街と言っても、それは常識を外れた巨大なものらしい。公園の下の地下街なのに、そこにも公園があって、ベンチもある。

この街のメイン市街地は、この地下街だと言える程、巨大な地下街だった。実際、市役所も地下街にあるようだ。
それは地下街というより、最早地下世界というべきだろう。

こうして、しばらく亀裂から地下世界を覗き込むのに夢中になったが、ふと、何か、どうも、まずいことを自分はしているような気がした。
これは、外部の人間が知ってはいけない街の秘密のような気がする。
この暗い空間には、自分の他に誰もいはしないが、私がここに入ったことを知っている、街の住人はいる。そう、あの番台の女性とか。

この暗い階段状空間の、右下の方に、出口らしきものがあったので、そこから外へ出た。
白い壁。巨大な窓。そこは岩盤の入口にあった、銭湯のような空間の、続きのような場所を思わせた。
番台の右側にものれんと入口があったかどうか、記憶にないが、恐らく、あの番台のある場所と繋がっている。

ただし、岩盤にこんなに大きな窓はなかった。ここは岩盤の外のはずだ。
窓の高さは人の身長よりも高く、幅は人が両手を広げたよりも広い。ガラスのはまっていないガラス戸のような感じだ。
その向こうに、先程斜面を登った時に見下ろしたビルが見える。今いる高さは、そのビルと同じくらいだった。

窓の外を覗き込むと、そこはビルの外壁のようになっていて、向かいに見えるビルと同じ、四階程度の高さだった。
やはりここは岩盤外の建物の中らしい。窓の外の外壁に、ワイヤーが垂れ下がっている。

見てはいけないものを見たらしいし、出来るだけ早く立ち去る必要があったから、このワイヤーを伝って逃れることにした。
ワイヤーにつかまり、登り棒を滑り降りるような要領で、握る手を緩めたり締めたり微調整しながら、するするっと、地面へ降りた。

地面には雑草が生えている。周囲はビル工事現場にあるような、白い屏風状の簡易な壁が巡らされている。
これまた、立ち入ってはいけない空間のようだが、仕方がない。幸い、この空間にも特に人はいない。

夕闇が迫って来ていた。ここも立入禁止の空間らしいし、とにかく、立ち去らなければならないだろう。

草ぼうぼうの空間を少し歩くと、石を並べて囲った中に、樹木が植えられていて、樹木と同じくらいの太さの棒で組み合わされた木組みで保護されいるのが見えた。
日本中の公園や緑道などで、よく見かけるものである。
ただ、ここは立入禁止の空間の為か、石囲いの中、樹木の根元まで草ぼうぼうだ。

その石組みの中の、草ぼうぼうの地面に、亀裂がある。暗い階段状の空間で見たのと同じ亀裂だ。その亀裂の向こうに、やはり地下街が見える。

ここは外だから、陽の光が地下にも注いでいる。しかし、今は夕闇が迫っている。それでも、地下街は明るい。
地下街には、手押し車を押す人のブロンズ像があった。地下公園のオブジェだろうか。

外が暗さを増して行く中、そのブロンズ像の部分部分を、オレンジ色の光が駆け巡る。チューブの中を、発光する液体が駆け巡るように。
像の中を一通り光が駆け巡り終わると、何と、そのブロンズ像は、人間となって歩き始めたではないか!

肌の色も、服の色も、最早ブロンズはなく、動きを見ても、生命体の肉体であり、手押し車も、素材は分からないがとにかく最早ブロンズではなかった。

「青銅村へようこそ。青銅村はこうして凝固と融解を繰り返し、永遠の循環の中にあります。そして地下だけが青銅村なのではありません。外だと思っているあなたが今いるその場所も、青銅村の一部です。もう永遠に逃れる事は出来ません」

と、番台の女性の声が聞こえたような気がした。

カバー写真は、2005年に訪ねた、アイルランドの首都・ダブリンの市街地に建つ、手押し車を押す女性のブロンズ像である。
ダブリンの中心部には、こうしたブロンズ像がいくつも建てられている。イギリス植民地時代、カトリック解放に尽力した英雄オコンネルとか、文豪ジェームス・ジョイスやオスカー・ワイルド、ケルト神話の戦士クーフーリンなど、様々なゆかりの像があって、観光名所にもなっている。

この手押し車を押す女性の像もその一つで、この女性の名はモリー・マローンという。ダブリンで古くから親しまれている「モリー・マローンの歌」の歌詞に描かれる物語の主人公だ。
モリー・マローンは、架空の女性であり、実在のモデルがいるかどうかも定かではないが、魚売りを営んでいた美しい娘、モリー・マローンが、熱病のため若くして死ぬ、という物語である。

そして、その歌詞の最後は、幽霊となった彼女が、車を押してあちこちの通りを、声を掛けながら、魚介を売り歩く、という内容になっている。

私は今回の夢を見て、ダブリンのこのブロンズ像を思い出したが、名前すらも完全に忘れていて、この文を書くに当たり、改めて調べたのだが、この由緒を読んだ後に、夢の内容を思い返すと、何だか薄ら寒くなった。

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