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鹿児島県和泊町を踏破 その2<日本全市町村踏破(制覇)>

2018年2月12日。沖永良部島南西部の知名町にある、島の最高峰大山山頂から降りて来て、再び島北西部の和泊町へ。

訪れたのは「世之主(よのぬし)の墓」。島の中央あたりにある、中世沖永良部島の領主(島主)の墓である。

琉球式の墓であり、岩壁を掘り込んだ「トゥール墓」という形式。「トゥール」などと聞くと、「トゥール・ポワティエの戦い」が思い起こされ、一瞬フランス語かと思ってしまったが、「通路」の訛ったものらしい。「あの世への通路」という訳だ。

また、人は死ぬと元へ帰るという琉球の死生観から、墓全体が女性器を象ってあると言われているようだ。言われてみればなるほどと。古代的な信仰が生き残り続けた琉球らしい。仏教的死生観とは大分異なる。本土でも古代にはこのような死生観だったのだろう。

ここに葬られている世之主は、琉球が統一される前の、三山時代の北山王の子で、真松千代(ままつじょ)という名だった。沖永良部島は、北山の領地だったのだ。しかし、中山王が南山、北山を滅ぼし琉球を統一。中山王は和睦の船を沖永良部島へ派遣した。世之主の妻は中山王の娘ではあったが、世之主は中山からの和睦の船を軍船と考え、妻、嫡子と共に自害した。

最奥の納骨堂には、世之主、妻、嫡子の三名の骨壺が安置されている。また、四方には、世之主の家臣であった四天王の遺骨も収められている。

それにしても、壮大な石造建築。沖永良部島に来るまで、このような遺跡の存在は全く知らなかったが、もっと有名になっても良いものだ。

世之主の墓を見学した後は、そのすぐ北あたりにある、越山(こしやま)公園を訪れた。

ここは緋寒桜の名所と、観光パンフに書いてあった。徳之島でも緋寒桜が見事に咲いていたので、今まさに旬だろうということで訪れてみたのだが、正解だった。実に見事である。

ここ越山公園は、沖永良部南西部丘陵地帯の北西端にあたり、ここからは北西に細長く伸びる島の様子が見て取れる。

越山の麓には、和泊町歴史民俗資料館があるので訪ねてみたが、祝日は休業だった。

敷地には、島の古民家や高倉があり、雰囲気は良かった。高倉は奄美大島で見たものとよく似ている。

市町村踏破数は前回投稿から変わらず。
鹿児島県全43市町村のうち、41市町村踏破、残り2市町村、達成率95.3%。
九州・沖縄全274市町村のうち、257市町村踏破、残り17市町村、達成率93.8%。
日本全国1741市町村のうち、1717踏破、未踏破24、達成率98.6%。

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