「神道」の確立と中華思想、そしてそれ以前のシャーマニズムと伊勢の深層

さる人と、神道についてのやり取りがあり、またも長大な文を書いてしまったので(苦笑)、これまた独立したコンテンツとして、noteに記載します。

神道とは?伊勢の神宮とは?なかなか難しいテーマです。非常に多面的であり、ここに書いたことは、その一面でしかありません。しかし、あまり一般には知られていないことです。
伊勢の神宮の、私が思う深層については、最後の方に書きました。

また、先にかいつまんで書きますと、神道には道教の中華思想的支配原理の大きな影響がある、という事があります。

さて、このテーマは、律令期まで遡らねばならないでしょう。
記紀の成立から考えて、律令期には、現在よく知られる天照大神という神格は確立していたでしょう。

律令期、仏教の影響を受けつつも、朝廷が「神道」というものを確立したはずであり、その時の神道は、明治のものとはまた違う形での「国家神道」であったと思います。

明治の国家神道は、欧米列強への対抗から、欧米的な要素、つまりはキリスト教的なものへと編成されたところがありますが、律令期の国家神道は、隋唐への対抗として、中華思想的に編成されたものと思います。

よって、よく言われるように、仏教も深い関係があると思いますが、恐らくは、道教がモデルだと思います。そもそも「天皇」という名称は、道教の「天皇大帝」がルーツです。

日本全土を、中華思想的に支配する、その原理として、「神道」が確立されたのでしょう。律令制など、まさにその中華の支配システムそのものですし。

伊勢の神宮は、ルーツをどこに求めるか、難しいところもあり、伊勢から伊勢津彦という出雲系豪族を追い払ったという話や、元々猿田彦の領土であったことなどから、朝廷成立以前から何がしかの聖地ではあったと思います。

しかし、記紀の記述通りとしても、崇神朝とかには、まだ存在しておらず、国家の宗廟として確立されたのは、天武朝とか、要は律令期と言われていますね。

その時が、「神道」誕生の時と言っていいのかもしれません。それ以前にも、もちろん神祇信仰というものはありましたが、「神道」と呼んでいいかどうか……「道」が付いていますからね。これは道教を意識した言葉。

ただ、ご存知の通り、律令制は結構早く崩壊して行きました。隋唐が直接的な脅威にならず、894年に遣唐使を廃止している程ですから。

だから、明治の国家神道ほど、律令期の、中華的国家神道は、影響力を持たなかった。まあ、文明レベルが違って、交通とか通信とかもレベルが低く、そもそも大して徹底されなかったということでもあるのでしょう。

その為、中世には、各々の土地や神社の信仰が、ルネサンス的に盛んになったものと思います。仏教的要素も取り入れて。

なお、伊勢の神宮は、神仏習合が進行して行く時代にあっても、かなり遅くまで、仏教的要素を拒んでいます。西行も、僧であった為社殿が見えるようなところまで行って参拝出来ず、「なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」とかいう歌を残しています。

これは、伊勢の神宮は、非常に当時の「国家神道」的色彩の強い神社だった為です。「私幣禁断」といい、個人的な祈願や祭祀をする事が禁じられていました。

朝廷は仏教を国家支配原理に使いましたが、一方で、支配原理の核心たる伊勢が「侵食」される事を拒んでいたのです。

それは仏教が、本来は個人の救済を目的としており、支配原理とし続けるには無理があったからかもしれません。

行基とか、役小角とかの出現に見るように、早期に、支配原理としての仏教が揺らいでいますから。

仏教の教理をとことんまで突き詰めると、中華的支配原理を脅かします。仏教は、世俗の王より仏陀の方が上位の存在になりますから。このへんは王法と仏法という住み分けとか相互補完をして行く訳ですが、究極的には相容れない。それゆえに、侵食を拒んだのでしょう。

それも、中世には朝廷が伊勢の祭祀に関与出来る政治力や財力がなくなった事で、崩れて行くのですが。

皇族の女性を最上位の巫女として伊勢に仕えさせる斎王、斎宮も、後醍醐天皇の時が最後です。
まあ、斎宮制度なんか見ると、中華的ではない、神祇信仰も結構力強かった事が見て取れるのですが。

中華思想による支配原理には、こんな皇族の巫女というものはないですからね。
一方琉球王朝には、王に対して聞得大君という、最上位の巫女が存在しました。このあたりは、どうもかなり太古に遡る信仰のようです。恐らく、ルーツは卑弥呼まで遡るでしょう。そういう意味では、天照大神は、太古の女王信仰を伝える、ルーツの古い存在だと思います。

シャーマニックな信仰をかなり後世まで伝えた神社であり、何と斎王が朝廷を糾弾する神託まで告げた事件もあります。このあたり、私は結構伊勢に親しみを持っています。中華的支配原理に収まらない何かがあります。

私は伊勢で神職資格を取り、一年住んでいて、別宮摂末社全125社を参拝し、その全ての由緒を調べました。そこでは、倭姫という存在が非常に強い。なので、中華的国家支配原理とは違う何かを感じています。

恐らく、朝廷は、卑弥呼以来のシャーマニズムを完全に無視出来なかった。それは、そもそも伊勢の成り立ちを、天皇が天照大神を宮中に祀っておく事を恐れたから、という何とも奇妙な説明をしていることからも言えます。

中華的支配原理を持ちつつ、中華的には「非文明的な」太古のシャーマン女王による支配原理というものを、排除する訳にも行かず、どうか都から離れた伊勢に鎮まっていて下さい、お願いします、というのが、真相ではないかと思います。

そして中世、朝廷がほとんど伊勢に関与しなくなったのに、それでも熱狂的に支持される事もあった背景には、古くから伝わる、伊勢を聖地とする共通認識が日本に広くあり、その根幹には女王的シャーマニズムがあるのかもしれません。

最後に、私が神宮125社を全参拝した時の記録を、Kindle電子書籍化したものがありますので、そのリンクを貼っておきます。
全125社、全写真付き、全マップへのリンク付きで、スマホやタブレットに入れて、現地で活用出来ます。読み放題にも対応しています。
お正月も近いので、興味のある方は是非。最後は宣伝になってしまいましたが(笑)
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