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沖縄県八重瀬町を踏破<日本全市町村踏破(制覇)>

2018年2月13日。奄美群島南部全市町村をと踏破し、那覇の南の豊見城市、糸満市を踏破して、糸満市の東隣の、島尻郡八重瀬町へと歩を進めた。

海岸線から数キロ北上した八重瀬町の丘陵地に「富盛(ともり)の石彫大獅子」が建っている。

いわゆるシーサーであるが、実はこのシーサー、記録ではっきり分かるものとしては、最古のシーサーなのである。設置されたのは1689年。実に300年以上が経過している。

このシーサーを設置した由来は、次のように伝わっている。このあたりで、不審な火災が多かった為、風水師の蔡応瑞に相談し占ってもらったところ、火山(フィーザン)と呼ばれる八重瀬岳が原因と分かった。そして、八重瀬岳に向かってシーサーを建てると良いとの助言を受けて、建立したという。シーサーが八重瀬岳をにらむ事で、火を返すという呪術だ。視線によって魔をにらみ退けるという信仰は世界に広くある。それが神霊的存在であるシーサーであれば、より一層の効果が期待出来るということになるだろう。

このシーサー、高さ約142cm、全長約176cmで、なかなか大きい。シーサーと言うと、家の屋根や門柱の上にある、比較的小さなものを思い浮かべる事が多いと思うが、ここまで大きく、地面に近い位置にあると、完全に狛犬という雰囲気だ。もっとも、こうした狛犬のようなシーサーは、沖縄の他の場所にもあり、また狛犬との起源も同一と思われる。スフィンクスの存在するオリエントが起源で、シルクロード、中国を経由して入って来たものだろう。

旧暦10月1日には、竈のお願(かまのおがん)という防火儀礼があり、このシーサーを拝む。戦前までは、旧暦9月9日に、村の青年たちがこのシーサーの建つジリグスクに集まって、タントゥイ棒という棒踊りを演じた。そういうことが、傍らの石碑に書いてあった。

なお、前回の糸満市の投稿で書いた通り、このあたりは第二次世界大戦における沖縄戦の激戦地であり、日本軍が八重瀬岳に陣地を構え、米軍がこのシーサーを弾よけに使った為、今もシーサーに弾痕が残っている。

それにしても、最古のシーサーというからには、もう少し有名になっても良さそうなものだが、観光的には無名と言って良い。沖縄県の有形民俗文化財に指定されており、駐車場なども整備されているのだが。なお、写真の通り、周囲はところどころ森や林も残る住宅街で、これを見下ろす高い位置にある。

こちらはシーサーがにらむ八重瀬岳方面。頂上近くに何か施設があるが、後で調べたところ、自衛隊の駐屯地らしい。

この後は、那覇空港へ戻り、東京へと帰った。
徳之島から始まった、奄美群島南部全市町村踏破と、沖縄本島南部市町村踏破の旅は、これで終わり。

沖縄県全41市町村のうち、29市町村踏破、残り12市町村、達成率70.7%。
九州・沖縄全274市町村のうち、261市町村踏破、残り13市町村、達成率95.3%。
日本全国1741市町村のうち、1721市町村踏破、残り20市町村、達成率98.9%。

サポート頂けると、全市町村踏破の旅行資金になります!また、旅先のどこかの神社で、サポート頂いた方に幸多からんことをお祈り致します!