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小説「升田のごとく」・第2話

 通勤電車は揺れに揺れ、増田耕造も大きく揺れる。
 12月初旬の着ぶくれラッシュ。職場へと向かう耕造に苦痛をもたらしているのは、何十人もの厚着の壁に、痩せた小柄な体を圧迫され、身動きひとつできず、吊り革だけを頼りに電車の揺れの為すがまま、だだそれだけではない。
 月曜、朝の出勤。虚しく辛い、一週間の始まり。揺さぶられているのは、体よりも心だ。
 持病のウツが、ただでさえ悲観的な耕造の性格に拍車をかける。はたして今週は何回、仕事の不出来で上司の叱責をくらうだろうか。どれくらい、周囲の連中に蔑みの目を向けられるだろうか。そして、どのような形相でクライアントに怒鳴られるのだろうか。まだ午前8時半だというのに、彼の心は深夜のように暗かった。
 満員の乗客たちで塞がれた空間のわずかな隙間から、車内吊り広告が見える。分譲戸建て住宅の広告だ。CGパースのイラストで描かれた家並みをバックに、生き生きとした笑顔を浮かべる4人家族と、毛つやの良いゴールデンレトリバー。大きくレイアウトされたキャッチコピーは、「緑が暮らしに元気をくれる。ようこそ、ここは伸びざかりの街」と、自然の豊かな郊外の新興住宅地で家庭生活を営むことの幸せをうたっている。
 たしかに、長すぎる通勤時間を苦にしなければ、恵まれた自然環境の中で暮らすことは幸福な人生を送るうえで、ひとつの有力な選択肢だろう。ただし、愛する家族の存在があればこその話だが。
 それは、今よりもずっと若かった増田耕造が思い描いていた、幸せの姿に良く似ている。耕造の幸福な夢は10年前に実現され、そして5年後、はかなくも消えていった。残されたのは、一人ぼっちで寝起きする千葉県柏市郊外の4DKの一戸建てと、住宅ローンの残りが25年分。それと、毎朝7時50分のバスに乗り、最寄り駅から電車を4本乗り継いで、東京都中央区新富町のオフィスへ9時30分までにたどり着く、片道1時間40分の通勤生活だ。
 皮肉なものだな。前後左右からぎゅうぎゅう押し潰されそうな満員電車の中で、耕造は自嘲する。家を売るためのコミュニケーション手段として、家庭生活の素晴らしさを讃える広告ばかり作ってきたこの自分が、それらとはまるで正反対の、家庭崩壊の残骸に成り果ててしまうとは。
 妻も、娘も、愛犬もいなくなった。その代わり、ウツ病という厄介者がやってきて、耕造の心の中に棲みついた。
 この5年間続けている、2週間ごとの心療内科通い。なあに、心がちょっと風邪を引いたようなものです。薬を飲めばすぐに治りますよ。医者はそう言ったが、病気は慢性化した。いったんは良くなっても、薬の服用を止めると、ぶりかえしてしまうのだ。通院先を変えてもみたが、結果は同じことだった。春や夏の間はまだ症状は軽いが、秋の深まりとともに気分はだんだんと重しを載せられたようになり、冬ともなれば最悪だ。
 朝と夕方に、抗鬱剤と自律神経調整剤を一錠ずつ。就寝前に睡眠導入剤と精神安定剤をまた一錠ずつ。これらの錠剤のおかげで、耕造は電車の下敷きになることを何度か思いとどまり、かろうじて今、車両の中央に立っていられるのだ。しかし、彼の精神のほとんどは、恐怖心と被害妄想に支配されている。
 かくて平成16年の冬の朝、職場で待ち受けているに違いない災厄の幻影に怯え続ける哀れなコピーライターは、日暮里駅で3本目の通勤電車に乗り換えた。
 そう、増田耕造は広告代理店に勤務するコピーライターなのである。
 広告会社にもピンからキリまであるが、彼が籍を置く「新富エージェンシー」は、業界の上から数えて20番目くらい。年間広告取扱高にして4百億円ほどの、いわゆる中堅どころだ。
 バブル崩壊後、スポンサー企業の広告費の著しい削減という厳しい現実の中で苦難の道のりを歩んできた広告業界だが、その後、各代理店の存亡を賭けた吸収合併などの統合が繰り返され、現在ではほんの一握りの勝ち組と、その他大勢の負け組とに、完全に二極分化してしまった。
 勝ち組の筆頭は、言わずと知れた「電広」で、その年商は約2兆円。耕造の勤める新富エージェンシーの、ざっと50倍のスケールだ。負け組は負け組で、それなりに経営の知恵を絞り、得意の分野に特化するなどして生き残りを図ってきた。
 新富エージェンシーが選んだのは、不動産広告の専業代理店というスタイルだ。
 昨今、盛んに行われている都市の再開発計画事業には、必ずと言っていいほど大規模なマンションの建設がセットされている。眺望の魅力に加え、最新の設備や機能を備えたタワー型マンションに代表される交通利便の良い都心の物件に人気が集中する一方、郊外型のマンションや戸建て住宅も、バブル期の半値ほどの価格で、倍以上の快適な居住性能を持った物件が次から次へと供給されている。
 週末ともなると、新聞各紙に折りこまれた不動産広告のチラシの量はたいへんな厚みを築き、新聞本体があたかもチラシのバインダーの役目を担わされているかのような観さえある。
 人間が家を欲しがる限り、家の広告は不滅である。不動産広告オンリーの道を選んだ新富エージェンシーの経営哲学とは、まさにこれであり、十分とは言えないまでも、420人の社員たちの毎月の給料はまかなえている。ささやかではあるが、年2回のボーナスも支給される。
 有楽町駅で地下鉄に乗り換えて、4本目。通勤電車は、またも揺れている。会社の駅が近づくにつれ、耕造の心もますます揺れる。
 できることなら、今すぐ反対方向の電車に乗り換え、家へ帰ってしまいたい。ベッドに潜りこみ、布団を引っかぶって、じっとしていたい。
 だがそれは、どだい無理な話だ。病気を理由に、たとえ会社が休職を認めてくれたとしても、それから先、こいつにはもう現場の仕事はできないとの烙印を押され、コピーライターとして職場復帰する道は閉ざされるだろう。仮に他の部署へ配転されたとしても、適応力のない自分は、無能ぶりを露見させ、結局会社を辞めざるをえなくなるに違いない。
 そうしたら、どうなる? 職を失った49歳の男に、社会の風は冷たいだろう。しかも、このご時世だ。再就職のチャンスは巡ってこず、一切の収入は絶たれてしまう。
 完済まであと25年、住宅ローンがある。娘が成人するまであと4年、養育費を送り続けなければならない。そうなんだよ、耕造。お前は会社にしがみついていくしかないんだ。電車の下敷きになれば、すべてから解放されるけど、もちろんそんな勇気、お前にはないよな。ウツ病と仲よくして、とにかく会社に行くんだぞ。
 そうだ。会社へ行くしかないんだ。幸いなことに、今年もあと3週間で終わる。そしたら、5日間の正月休みに逃げこめるじゃないか。とにかく乗り切るんだ、平成16年を。
 心の中で、彼は祈った。神様、お願いです。今日いちにち、何事も起こりませんように。明日も、明後日も、何事もおこりませんように。来週も、再来週も、再来週も、何事もおこりませんように。年内の残りの日々、何事もおこりませんように。無事、正月休みを迎えられますように。
 午前9時15分、電車が新富町駅に滑りこんだ。多くの乗客とともにドアから吐き出された増田耕造は、しばし、ホームで立ち止まった。それから改札口を出ると、駅の構内のトイレへ。
 手洗い場に立つと、上着の内ポケットからピルケースを取り出し、今朝自宅で飲んだばかりの抗鬱剤と自律神経調整剤を、もう一錠ずつ口に放りこんだ。そして、蛇口をひねって両手で水を掬い、薬を胃の中へ流しこんだ。
 ハンカチで口を拭うと、ふーっと、ため息をひとつ。鏡を見ながら薄くなった髪を掻き上げ、トイレを出ると、のろのろとした足取りで路上へと続く階段を昇っていった。

 新富エージェンシー本社ビルの正面ドアを通り抜け、受付嬢の会釈を受けながら、他の社員たちとともにエレベーターに乗る。3階の制作本部フロアで降り、ロッカールームのハンガーに脱いだコートを掛け、フロアの片隅にある自分のデスクへ向かう。着席した耕造は、ちらりと腕時計を見やり、いつもと同じ定時前の出社完了を確認した。
 間もなく始業時刻なのに、人影はまばらだ。そもそもこの会社には、タイムレコーダーがない。残業手当の出ない職場に、そんなものは不要だからだ。大手はいざ知らず、中堅以下の広告代理店やプロダクションは、ほとんどそうだ。徹夜の業務だって日常茶飯事のこの業界で、いちいち残業ごときに人件費を使っていたら、あっという間に会社は倒産してしまうだろう。そういう事情もあり、従業員の遅刻は大目に見られているのだ。
 だが、小心者の耕造には、遅刻をする度胸などない。
 ウツ病を患ってからというもの、仕事に集中力と思考力を著しく欠き、以前の自分には考えられないようなミスを犯すことも少なくない。情けないが、今となっては制作業務のクオリティにおいて、他のコピーライターたちの後塵を拝していることは、自分でも良く分かっている。せめて出勤時刻くらい守らなければ、何のとりえもない社員と見なされてしまうではないか。
 仕事の出来はいまひとつだが、実に規律正しく真面目な人間。会社の上層部が、ほんの少しでも自分のことをそう思ってくれればいいのだ。それで、地方転勤やリストラといった処遇から逃れられるのであれば。つまり、これは一種の保険なのだ。発病以来、耕造はずっとこの保険を掛け続けてきた。組織の中で生き残っていくための、この苦労。神様だけは分かってくださるだろうか。
 しかし、神様は意地悪だった。
 9時30分ジャスト。耕造のデスクの上で、内線電話がけたたましく鳴った。ギクリとする耕造。全身を貫く、悪い予感。出社の定時ちょうどに電話をかけてくるとは、無遅刻を遵守する自分の習性を熟知している者のしわざに違いない。しかも、週明けの月曜日の、朝一番の緊急連絡。吉報であろうはずがない。耕造の背筋を、冷や汗が伝っていく。
 まるで脅迫電話のように、コールは鳴り響く。3回、4回、5回……。ありったけの勇を鼓し、6回目のコールで耕造は受話器を取った。
「増田か。俺だ。ちょっと来いや」
 野太い声。たった3言で電話は切れた。
 だが、耕造の手はぶるぶる震え、受話器を戻すこともできない。冷や汗は背筋だけでなく、顔面を滝のように流れ落ちていく。
 予感は、ものの見事に当った。最悪の的中だ。電話の主は、増田耕造がこの世でいちばん怖れている人間だった。

 そいつは、新富エージェンシー常務取締役制作本部長、大浜強志。

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