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みかんの色の野球チーム・連載第39回

第4部 「熱狂の春」 その11
 
 
 4回の表、津高の攻撃が始まった。
 先頭打者の2番五十川はピッチャーゴロに倒れたが、3番の矢野がセンター前ヒットで出塁。続く4番岩崎の打席のとき、ランナー矢野、勢いよくスタートを切って、盗塁成功。ワンナウト二塁の先制チャンスを掴んだ。
 湧き上がる、三塁側スタンド。ここで、津高ブラスバンドの演奏が鳴り出した。応援部員、バトンガールたちの動きが活発になって、チャンスの気運を盛り上げる。
「そーれっ! チャカチャチャッチャチャーン、チャカチャチャッチャチャーン、チャカチャチャッチャチャッチャチャッチャ、つー、くー、みーっ!」
 コンバット・マーチだ。一昨年の秋、東京六大学野球の神宮球場で、早稲田大学が鮮烈にデビューさせた勇壮なる応援曲。(※注)
「チャッカチャーン、チャチャチャ、つーくーみ! チャッカチャーン、チャチャチャ、
つーくーみ!」
 画期的なこの応援曲は、たちまちプロ野球へ、そして高校野球へと広まり、最強の演奏兵器として甲子園のスタンドでもお馴染になっていた。
「チャーンチャ、チャーンチャ、チャーンチャ、チャッチャ、チャッチャ、高知を、たーおーせーっ、おーっ!」
 この大声援に力んだのか、4番岩崎の打球はセカンドゴロ。だが、一塁送球の間に、二塁走者の矢野は三進。なおもツーアウト三塁と、チャンスは続く。
「高知を、たーおーせーっ、おーっ!」
 ここでバッターボックスに入ったのは、5番前嶋。コンバット・マーチの声援パワーを吸収したそのバットは、ピッチャー強襲の鋭い当たりを放ち、投手三本が打球を弾いた隙に、三塁から矢野がホームイン。打った前嶋も、一塁セーフ。
 ラッキーボーイの内野安打で、とうとう津高が1点を先取した。
「いいぞーっ! 前嶋―っ!」
「おまえは、ほんとに、強運じゃあーっ!」
 スタンドからの賞賛に気を良くしたのか、次打者山田の打席のとき、前嶋いきなり二盗に成功。ここで山田の三遊間への内野安打が飛び出し、前嶋、三進。ツーアウト一塁三塁と、またも得点のチャンスだ。
 押せ押せムードを高めたのは、山田の足。次打者山口のとき、思いきってスタートし、見事セカンドベースを陥れた。これで、ツーアウト二塁三塁。さらに山口がストレートの四球で出塁、ついに満塁となった。
「いいぞーっ! 津久見―っ!」
「この回で、一気に、決めちゃれーっ!」
「頼んだぞーっ! 広瀬―っ!」
 大声援を受けて打席に入った、8番の広瀬。しかし、応援団の期待も虚しく、その打球はショートの正面へ。セカンドへ送球されて、スリーアウト。
ビッグチャンスは潰えた。
「あああ……。惜しかったのう、とうちゃん……」
 気落ちする私に、
「まあ、とにかく、1点取ったんじゃあ。これで、吉良の投球にも気合が入るじゃろう」
 と、父。
 
 その言葉に、間違いはなかった。
 4回の裏、5回の裏、6回の裏、7回の裏。
 津高のエースは、力のこもったピッチングを続け、この4イニングをヒット3本、無失点で切り抜けた。
 だが、高知のエースも、追加点を許さない。
 5回の表、6回の表、7回の表、8回の表と、粘り強い投球で、津高打線を抑えこんだ。
 
 そして、8回の裏。ツーアウト、ランナーなし。
 あと4つのアウトで優勝と、三塁側のスタンドがざわめき始めたそのとき、黒潮打線が火を噴いた。
 バッターボックスに入ったのは、2番の武市。吉良の直球を思いっきり叩くと、打球はレフト大田の前へ転がった。ツーアウトからの、しぶとい出塁だ。
 続く3番の前田。やはり直球を弾き返した打球は、三遊間を破りレフトの前へ。これで、ランナー一塁二塁。
 一塁側スタンドが湧き上がり、三塁側スタンドが静まり返った。
 ここで登場したのは、4番の西森。高知のキャプテンだ。
 吉良の投じた勝負のドロップ、その落ち際を捉えた打球は、三遊間のど真ん中へ転がった。あわやレフト前に抜けようかというそのゴロを、ショートの矢野、横っ飛びに捕球したが、体勢が大きく崩れた。それに乗じてセカンドランナー、三塁を蹴ってホームへ突進。ショートからの返球をかいくぐって、同点のホームイン。
 後続は断ったものの、津高のエースは、ゲームの終盤で痛い1点を失った。
「はああ……。これで、試合は、振り出しじゃあ……」
 力の抜けた声を私が出すと、
「何やら、昨日の報徳戦みたいになってきたのう」
 ハンカチでメガネを拭きながら、父が言った。
 
 1対1のタイスコアから、試合は再び投手戦になった。
 9回の表、津高、無得点。
 9回の裏、高知、無得点。
 
 延長戦に入っても、両校エースの力投は続く。
 10回の表、津高、無得点。
 10回の裏、高知、無得点。
 11回の表、津高、無得点。
 
 そして、11回の裏、高知の攻撃。
 ここまで踏ん張っていた吉良が、とうとう崩れた。
 この回の先頭打者は、8回の裏に同点のタイムリー内野安打を放っている、4番の西森。黒潮打線を牽引する高知のキャプテンは、またしてもその重責を果たし、センター前ヒットで出塁した。
 続いて打席に入ったのは、5番の光富。吉良の投じたドロップを見送ると、落ちたボールがキャッチャー山田の後ろへ逸れ、そのまま転がって行った。
 一塁ランナーの西森、すかさずセカンドに達し、ノーアウト二塁。
 光富セカンドゴロの間に、西森サードへ進塁。
 ついに、ワンナウト三塁と、津高は、サヨナラ負けの大ピンチを迎えたのである。
 凍りついた、三塁側のアルプススタンド。
 その上方の席で、私は頭を抱えこみ、父はメガネをずり落としていた。
 
 
 
 
(※注)1976年の4月、早稲田に入学した筆者は、初めて訪れた神宮球場の学生応援席から目の当たりにしたコンバット・マーチの応援風景に陶然となった。吹奏楽団の奏でるあの勇ましいメロディーに乗って、学生服の応援部員たちが右腕を繰り返し前方に突き出すあの動きが、なんとも凛々しくてカッコ良かったのである。学友たちと酒を飲んで酔っ払うたびに、その動きを真似て、高田馬場や新宿の路上でみんなで踊ったものである。


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