見出し画像

小説「けむりの対局」・第6話

勝つのは、どっちだ? 升田幸三 vs 人工知能




「それでは、あらためて対局をお願いします。升田実力制第四代名人の先手で始めてください」
 朝比奈がそう告げ、ロボットがアームでお辞儀をすると、
「ちょっと待て」
 升田幸三が、低い声を出した。
「このワシが先手番とは何事じゃ。せっかく機械に先手番の有利を恵んでやろうと思っておったのに」
 朝比奈はあわてて答えた。
「この電人戦の対局は、事前の振り駒により、第一第三第五の奇数局がプロ棋士側の、第二第四の偶数局がコンピュータ側の先手番と決まっておりまして……」
「なんじゃ、つまらんのう」
 升田は口をとがらせた。
 そして
「ならば、別のハンデを与えてやろう」
 そう言いながら、自陣最下部の左端の桝目に置かれた香の駒を、ぶっとい指でつまみ上げると、それを駒袋のなかへもどし、駒箱にしまいこんだ。
「これくらいで、ちょうど良かろう。名人に香車を引いて勝った男ならぬ、コンピュータに香車を引いて勝つ男、じゃ」
 升田の信じられない言動に、対局場の者たちは腰を抜かしそうになった。いまや人間より香車一枚は強いだろうと言われているコンピュータに対し、逆に香車を一枚使わずに勝ってみせようとは。
 だが一人、早見だけは、冷静な表情でパソコンの画面と向き合っている。いくら相手が升田でも、この条件なら必勝と思っているのだろうか。
「では行くぞ、戦友くんよ」
 その掛け声とともに、八十一桝の盤面の、右から数えて7桝目、上から数えて六桝目の地点に、升田の右手は歩の駒をバシッと打ちつけた。
 これに対して戦友は、数分間の考慮ののち、指し手をロボットに伝えた。指令にしたがいロボットは、右から数えて3桝目、上から数えて四桝目の地点へ、アームの先端に吸いつけた歩の駒をピタリと置いた。
 三手目。升田の指は、先ほど動かしたばかりの歩を、さらにもう一桝、前へ押し進めた。
 それと同時に、テーブルの側の者たちから
「おお……」
と、ため息まじりの声がもれた。
 伝説の升田式石田流が、いま、進撃の狼煙を上げたのである。
「ワシが名人戦で使うて有名になったこの戦法はな、昔の将棋からヒントを得て創ったんじゃ。徳川幕府将棋所、その七世名人として君臨した伊藤宗看が指した香車落ちの将棋じゃよ。新手一生とは、温故知新と見つけたり」
 聞えよがしの大きな声で、升田が言った。
 すると、数メートルの先で、パソコンの3Dグラフィック画面を通して盤上の進行を見つめていた早見が、やはり相手に聞こえるように、凛然と応じた。
「こちらのデータベースに保存されているのは、平成、昭和、大正、明治の棋譜や定跡だけではありません。戦友は、江戸時代の将棋も学習済みです」
 対局場に、緊張が走った。
 升田は
「ほう」
 と言った。そして
「かしこい子や」
 と笑った。
 
 
                           
        
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?