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小説「ノーベル賞を取りなさい」第30話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




 十二月三日の土曜日、午前十一時。さいたま市浦和区の自宅リビングで、石ヶ崎は大画面の有機ELテレビを前にソファーにくつろぎ、「殿様のヒルメシ」を眺めていた。MCの女性をはじめ、自分よりもずっと若い出演者たちが芸能情報などを楽し気にしゃべるこの番組を見るのは久しぶりだったが、きょうは晴道学園大の認知の向上につながる大事な放送だ。中川が首尾よく役目を果たすのを期待して、話題本コーナーが始まるのを石ヶ崎は待っていた。

 港区白金台のマンションでもまた、「殿様のヒルメシ」を見ている二人の女性がいた。大隈大総長の留美と、秘書の亜理紗だ。加賀縄静也の著作が日本でベストセラーになったことがアメリカでも報道され、昨日スピルギッツ博士から説明を求める書状が届いたばかりだった。柏田が投稿したアメリカン・エコノミック・レビューからは、まだ査読完了の通知が来ていない。大きな不安を抱え、二人は話題本コーナーが始まるのを待っていた。

「殿様のヒルメシ・話題本コーナー。きょうのお客様は、発売以来二か月で十五万部を数えるベストセラーとなった経済書『富者たちは笑う 無重力の揺りかごで』をお書きになった、晴道学園大学の加賀縄静也さんです。どうぞお入りください」
 インタビュアーの広瀬みゆきの声に応じて、スタジオ中央のアンティークなテーブルセットの方へ進みでた中川は、沸きおこる拍手の中、正面のカメラに向かって礼をし、みゆきと会釈を交わすと、手前の椅子に腰を下ろした。
 テレビ局のスタジオなど初めてだ。大勢のスタッフや機器に囲まれ、緊張は募るばかり。しかも右隣に座ったみゆきは帝都大の文学部出身だと聞いた。鋭い突っこみに遭ったらどうしよう。
 いや、もはやそんなことはどうでもいいのだ。告白と謝罪によって、まもなく自分はこの生放送をぶち壊すことになるのだから。
「加賀縄さんがメディアに登場されるのは今回が初めてだそうですが、これは『殿様のヒルメシ・話題本コーナー』にとって、たいへん光栄なことだと思っています」
 そう言って礼をするみゆきに、中川は礼を返した。みゆきはテーブルに置いてあった本を手にとり、正面カメラのほうへ向けて立たせると
「さっそくですが、ご著書の『富者たちは笑う 無重力の揺りかごで』は、あのトマ・ピケティさんが書いた『二十一世紀の資本』の日本語版の総販売数十四万部を、わずか二か月で上回り、まだまだ販売部数が伸びているそうです。この大ヒットの理由を、著者としてどのようにお考えでしょうか?」
 と、中川に訊いた。
 用意してきた答を述べようとしたそのとき、脳裏に石ヶ崎の姿が現われ、その首から上がティラノサウルスに変化して大きな口を開け、鋭い牙で襲いかかってこようとした。思わず身震いすると、こんどは頭の中にガガの姿が出てきて、その首から下がいつの間にかネコになり、尻尾をくねらせたりピンと立たせたりを繰り返している。そしてその口からは「たすけてえー」と声が聞こえるのだ。
 ここへ至って、中川は覚悟を決め、口を開いた。
「十五万部も売れたのは、そのうち約十万部を晴道学園大学が自ら購入したからです。そもそもこの本は、晴道学園大学が秘かに入手した大隈大学の柏田照夫教授の英語論文を、私がそのまま翻訳したもの。つまり完全なる盗作です」
 そして椅子から立ち上がると、中川は声を張り上げた。
「日本全国の読者の皆様、ほんとうに申し訳ございませんでした!
柏田教授をはじめ大隈大学のご関係者の皆様、ほんとうにほんとうに、ごめんなさあーいっ!」

 テレビ画面が、突然CMに切り替わった。石ヶ崎は茫然自失の体でソファーに座っていたが、やおら携帯電話を手にすると、ダイヤルを押し、命令を発した。
「いますぐ中川を捕まえ、連れてこい。八つ裂きにするからよ」

 白金台のマンションでは、テレビの前で留美と亜理紗が抱きあって喜んでいた。うれし涙を流しながら、留美が叫んだ。
「神風が吹いたわねーっ!」

 TASの駐車場では、青いプジョーに向かい中川が駆けてきた。
すると後部座席のドアが開き、ガガを抱いた由香が出迎えた。
「あっ。き、君は、囮捜査で俺をハメた……」
「その節は、ごめんなさいね。お詫びのしるしに、ガガちゃんには毎日、但馬牛をご馳走してあげたわよ。キャットフードなんて嘘」
 そう言って飼主の腕に愛犬を抱かせた。
「おお、ガガ……。会いたかったよ、俺の大切なガガ……」
「おい、行くぞ」
 その声の主が、柏田であることを知り、中川はさらに驚いた。
「さあ、乗った乗った。由香ちゃんは助手席、中川さんとガガちゃんは後ろの席だ。行き先は熱海。花崎家の別荘だ。そこの住みこみ管理人が中川さんの新しい仕事。由香ちゃんのご両親に感謝しな」

          

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