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小説「ころがる彼女」・第15話

 山下公園は、花も美しい。
 四月に訪れたときはチューリップが、五月に来たときにはバラが見ごろだった。そして六月も終わりを迎えようという今は、アジサイが園内の所どころに咲いている。
 海と向き合って設置されたベンチに、邦春は腰を下ろした。月に一度の横浜港訪問。雨の季節の今回は、事前に気象情報を仕入れてやってきた。「横浜市中区の天気」とスマホに打ちこんで検索するだけで、三時間ごとの空模様を予報してくれるのだから、便利な時代になったものだ。
 ショルダーバッグを脇に置いた邦春は、なかから一冊のノートを取り出した。それは以前に、回文の勉強に使おうと、ボールペンといっしょに三セット買い求めたうちの一つだった。だが回文教室は立ち消えとなり、講師の弓子は入院中。ノートには回文ではなく、翻訳文が書いてある。
 注文して数日後、届いたCDを、邦春はさっそく開封した。
 ケースを開きブックレットを取り出すと、その中面の最後のページには、こちらを振り向いたリンダ・ロンシュタットのモノクロ写真があり、大きな目をしたあどけない顔が、弓子にとてもよく似ていて、ハッとさせられた。
 そしてCDを聴いてみると、収められた十曲はどれもこれも素晴らしいものばかりだった。曲が良いのはもちろん、それを熱唱するリンダのずば抜けた歌唱力が、たちまち邦春の心を奪った。
 船員時代を思い出させてくれる「私はついてない」は言うまでもなく、「ダイスをころがせ」もローリング・ストーンズのに比べると演奏がすっきりとして、なじみやすく、スムーズに聴けた。男まさりに力強く歌うリンダの声からは、どこか女の哀感のようなものが漂ってきて、何度も繰り返して聴くうちに「ダイスをころがせ」という曲を、邦春はだんだん好きになっていった。
 それから、歌詞。ブックレットに挟みこまれた日本語の小冊子の対訳を、西原から借りたストーンズのそれと比較しながら読むと、ミックの歌う「ダイスをころがせ」は女たらしの男、リンダの歌う「ダイスをころがせ」は男たらしの女、それぞれの思いが表現されたものであることが分かった。
 両者に共通しているのは「女はみんな卑しいギャンブラー」であり、「共犯者になる」のを相手に求めていることだ。
 ただし、どちらの訳文も、高齢の自分から見れば言葉が若すぎ、やんちゃで、はすっぱな感じがしたので、それらを参考にしつつ、それぞれの英文を読み返し、知らない単語はスマホで意味を調べながら、邦春は自分なりに意訳をしてみた。
 とくに、曲のさびは、双方の言葉を組み合わせ、このように言い換えてみた。

 愛しいあなた、
 私はもう、ここには居られません。
 私を、正しく理解してください。
 私を転がし、転がり回るサイコロと呼んでください。
 私の犯す罪、その共犯者になってくださいますか。

 素人の自分が、翻訳家の訳文をさらに意訳するなど、おこがましく、気恥ずかしくもあったが、五十三歳の女性の心情を、八十四歳の男が分かろうとするためには、こういう古めかしい訳詞のほうが向いているとも考えた。
「愛しいあなた」は、もしも弓子が自分のことをそう思っていてくれたとすればの、ずうずうしい呼びかけ。
「私はもう、ここには居られません」は、何となく分かる。「ここ」とは、西原邸のこと。さらには隣近所を含む地域社会のことか。
「私を、正しく理解してください」。もちろん、いつもそうしようとしている。だからこうして、へたくそな訳詞を作ったりしたのだ。
「私を転がし、転がり回るサイコロと呼んでください」。これがよく分からない。どうして、転がす必要がある? どうして、転がり回るサイコロなんだ、あなたは?
「私の犯す罪、その共犯者になってくださいますか」。その罪という言葉が、もしも不倫を指すのなら、はい、もうすでに共犯者になっております。でも、新たに犯そうとしている罪があるのなら、その内容を教えてくれなければ請け合えません。
 邦春の頭のなかで、疑問は繰り返される。答の見つからない問いが、堂々巡りをする。

 どうして、弓子を転がす必要がある? 
 どうして転がり回るサイコロなんだ、弓子は? 
 弓子が新たに犯そうとしている罪とは、何だ?

 考えあぐねた邦春は、ノートから面を上げた。
 梅雨曇りのなか、横浜の海を、船たちが往来している。その悠々とした姿に、船乗りの目は吸い寄せられる。
 船は生き物だ。邦春はそう思う。いろいろな器官が働いて生き物が活動するように、航海や機関や通信などいろいろな部門の働きで船は海を進むことができる。
 生き物にさまざまな種類があるように、船にもさまざまな個性がある。漁船。客船。遊覧船。貨物船。冷凍船。掘削船。説標船。調査船。観測船。砕氷船。病院船。練習船。海底ケーブル敷設船。潜水作業支援船。クレーン船。原油タンカー。LNGタンカー。LPGタンカー。セメントタンカー。石炭船。コンテナ船。巡視艇。消防艇。救命ボート。タグボート……。
 さまざまな船が、人びとのために役立ち、国や社会や暮らしのために大きな貢献をしている。なんと誇り高き存在だろう、船という生き物は。
 自分は、弓子に貢献する船になれるだろうか。彼女を救う船になれるだろうか。
 そうだ。なれるに決まっている。誇り高き船たちといっしょに、長い旅を続けてきた、海の男のプライドに賭けても。残りの人生のすべての日々を賭けても。
 女だけじゃない。男だって、ギャンブラーなんだ。


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