完全には不完全が足りない
自分のことを「仕事ができるやつ」だと思っていた時期がけっこう長い。実際は穴だらけなのを周りがフォローしてくれていたことに気づかず、逆に誰かのミスには不満を持って悪口を言ったりしていた。
ああ、書きながら恥ずかしくなってきた。
「できるやつだと思っていた」と書いたけれど、正確には「できるやつと思われないと不安だった」のである。
本当はダメダメだったり、実は結構サボっている自分を見ぬ振りしてもしっかり見えていて、完璧主義な心がそれを隠そうとしていた。ちゃんとしなきゃと自分にプレッシャーを与えていた。
自分に課したルールは人にも当てはめてしまうもので、自らに完璧を求めるがゆえに他人にも完璧を求めた。僕の仕事は穴だらけだったはずだから周りは僕への不信感が大きかったんだろうなと今では思う。
残念ながら僕はできるやつではなかったけど、それを認めた時に「人はできないことがあって当たり前」「失敗はするものだ」と思えるようになった。
そりゃ高いレベルで物事がやれるほうがいいけど「できるしかできない」よりもよかったかなあと思う。
業務を完璧にこなすことよりも、それぞれができないことを1つでもできるようになっていくことや、うまくいかなくてもがんばろうとしているところに幸せを感じるのだ。
やらない人に怒るよりも、なんでやりたくないのかを知りにいくほうが建設的だと信じているのだ。
最近は「許すこと」「話を聞くこと」を出来事や言い方を変えてずっと話している。今の僕にとても大切なテーマなのだろう。
そしてこの2つさえできれば大体のことは解決するのではないかというぐらい、いろいろなことの根っこなんじゃないかと思っている。
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