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陰口は気にしてから流す。

陰口を言われていないかいつも不安になる。陰口を言われないのは無理だから気にしても仕方ないよなとも思う。

言われる方が主役で言う方は脇役。確かにそれはそうなのだけどやっぱり気になるものはなってしまう。

人に嫌われても自分に嫌われないように生きることを大切にしているのも、人に嫌われないように生きるほど疲れてしまうし、それぞれに良し悪しがあるから永遠にプレッシャーから解放されないから。

自分に嫌われないようにする方が慣れてしまえば圧倒的に楽なのだ。


信号の「すすめ」を見て青という人も緑という人もいるように、同じものを見ても違って見える。僕を見て好きと見るのも嫌いと見るのも相手次第で僕にはコントロールできない。

単純に好きだと思ってくれるのはいいところを探そうとしているからで、嫌いなところが見えるのは嫌いなとこ探しをしているからだ。ダメな人がいるのではなくて自分の基準でダメな部分を見つけるのが癖になっている人がいるだけ。

そう考えてみれば「この人はこういう視点なんだなあ」で終わらせることができる。苦しい感情にやられなければ陰口でさえ「確かのそういうところもあるかも」と参考にして成長していける。

良い悪いじゃなくて「何を見てどうしたいか」

気にしないことよりも、言われて気にしてからどこに気持ちや考えを流していくかがとても大切だと思う。


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