シチューをご飯にかけて食べるのが普通だった。

寿司を食っていたら病院にいた。

小学生のころ母親と回転寿司屋に行き、ひとりエビ祭りをしていたら身体中が痒くなり湿疹まで出て医者へ直行する羽目になったのだ。

幸い火を通していれば食べられるのだけどそれ以来、生のエビが食べれなくなってしまった。食べ物は摂取しすぎるとアレルギーになることがある。

アレルギーは体内に異物が侵入したときに異常に免疫が働いてしまう状態だ。エビは特に症状が出やすいらしい。

そして言葉にもそういうことがある。


僕は「常識」という言葉に拒否反応を起こしてしまう。さっきも流れてきたツイートにさりげなく入っていて痒くなった。もはやこのワードが入っているだけで文面全体が信用できなくなるほどにフィルターがかかっている。

僕がこうなったのはエビと同じ過剰摂取だ。ニュアンスの違いはあれど「これが普通だから合わせるべき」という空気にアレルギー反応を起こした。

言わんとしていることはわかる。このぐらいのことは理解してないと苦労するよということはある。だけどそれをその人が「知っているか」「心から良しと思えるか」は別の話。


僕の家ではシチューをご飯にかけて食べるのが普通だった。でも学校でそれを話すと「ありえない!」と言われて衝撃を受けた。どっちが多数派かはわからないけど少なくとも今まで聞いた感じでは「ごはんにかける」が少数派だ。

家庭や学校という小さなコミュニティーの中でさえ「常識」は共有できない。

「わかっている」を前提としたコミュニケーションはどこかのタイミングで「わからない」を生み出す。「みんなこうだから」という決めつけは「知ろうとする」を放棄すること。

「このぐらい知ってて当たり前でしょ」なんて考えは最終的に自分の自由や柔軟性も奪うことになる。

社会的に当然とされていることを知らなくても、僕はそれをさげすんだりしたくないなと思う。だって僕も知らないことばかりだから。

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常識とは18歳までに得た偏見のコレクションである。というアインシュタインの言葉が好きで歌詞に使いました。

後藤大
「弱虫のままで理想に嘘をつかない」
音楽と文章を中心にものづくりをしています。

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