泣きたい時に泣ければ苦労しない
「泣きたい時ば泣けばいいよ」と言われて「みんな泣けるのだろうか」と思う
悲しいのに、苦しいのに、涙が出てこないことがある。いや、そっちのほうが多いかもしれない。
たとえば僕は仕事中は泣いちゃだめだと辛さを押し殺してしまうタイプだ。いっそ感情を解放してしまった方が伝わることもあるかもしれないのだけれど、どうしてもストッパーがかかる。
「泣きたい時に泣けばいいよ」という言葉を聞くたびに「それができたら苦労はしないよ」と思う僕がいる。
そうやって気持ちを心の奥の箱に押し込んで鍵をかけるのが癖になると、しまってあることが日常になる。そして何かを感じているのに何を思っているのかわからなくなってしまうのだ。
悲しみを麻痺させると、喜びも麻痺してしまう。心は複雑に同じ場所で時に矛盾していることまでも同時に感じている。
腕が麻痺していたとして、ナイフで切りつけたら痛みはないだろう。だけど確かに傷はついているし血も出る。放っておいたら出血多量で倒れてしまう。
徹夜続きでハードワークなはずなのに全然疲れない、無敵になったような気分になる。人間の身体はそんな風にもなることがある。その状態は実は危険で、疲れを感じられないぐらい疲れている、つまり倒れる前兆なのである。
悲しいのに涙が出ないのはそういうことだ。
そんな時に漫画を読んだり、映画を見たり、歌を聴いたりすると、たまに今の自分のことを言ってくれているんじゃないかと思える作品に出会うと、いつの間にか箱の鍵が静かに空いて涙が止まらなくなったりする。
芸術というのはそんなところが素敵だよなあ。
泣けない人ほど心が壊れないように気をつけてほしい。僕の作る音楽や言葉が誰かの、あなたのそういうものになれたらいいなと思うのだ。
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