音楽やっててよかったというために
カラオケで歌がうまくても3曲も歌えば盛り上げじょうずな人が人気者になる。
ギターが弾けてもちやほやされるのは学生で2週間ぐらい。大人になったら長くても次の日の夕方ぐらいまでかな。
でも僕は人と繋がることを7割、8割ぐらい音楽に頼ってきた。
陰でキモいと言われたり、受験の時トイレから帰ってきたら消しゴムに筆記用具を全部突き刺されていたりもしたけど、ギターが弾ける、歌が歌える、たぶんそんな理由でプラマイ0とまではいかないけどひどいいじめの対象にはならなかった。
それにオタク系とヤンキー系には何人か友達がいた。こんな教室で一人でいるようなやつがヤンキーグループと気が合ったのは、いわゆるはみ出しもの同士だったからなんだろう。
大人になってからもコミュニケーションを取るのが下手で、アーティストやライブハウスの人を嫌な気持ちにさせたり迷惑をかけたりしまくった。
それでも見捨てずにいてもらえたのは自分なりに一生懸命だったのもあるけど、聞いてみたら「曲が良かったから」という普通では考えられない理由だった。
ミュージシャン周りでは本当にこういう受け入れられ方がある。
90%約束の時間に来ないけど「歌うまいからまあいいか。」とかめちゃくちゃなことをしても「あいつはアーティストだからなあ。」と笑い話。なんてことは少なくない。
楽屋でしゃべりかける勇気がないから有名な曲のイントロを弾いて「うわ!GTOのポイズンやん!」と反応してくれた人とちょっとセッションみたいになる。みたいな仲良くなり方は今でもしたりする。
だけど学校で一目置かれても、楽屋で話すきっかけができても、ステージでいい歌が歌えても、カラオケで歌がみんなより上手くても、最後は人を好きになって、言葉にして、行動して、好きになってもらえる人にしか人は集まって来ないんだなと思う。
たくさん曲も書いた。CDも3000枚ぐらいは買ってもらったかな。遊びではじめた路上ライブから、姫路のBetaというライブハウスに出て、大阪でもよくしてくれた場所があった。
たまに遠征もして路上も合わせたら10000回以上はステージに立ってきた。ギターもそれなりに弾けるようになったし、いい歌詞だねって泣いてもらえたこともある。
そういう中で人とぶつかり、凹んだり立ち上がったり開き直ったりして、人の気持ちをわかりたくて心理を調べたり、自分のことを掘り下げてみたり、どういう風に話せばやわらかくなるかなって考えたりもしてきた。
でも、時間差はあっても人は僕から離れていく。
寂しがり屋で自分のことを知ってほしい、頼ってほしい。
同時に僕のこと何も知られたくないと思ってる。
まだ怖いのかもしれない。自分を知られること。
ちょっと面倒くさいんだと思う。人と関わること。
だから僕はいつも自分と人の間に音楽や言葉を置いてきた。
作品を磨くことが接着剤になればと思ってきた。
作品が好き=僕が好きになってくれたらいいのにと思ってきた。
もしかしたらそれは間違った努力だったかもしれない。
いや、間違ってはいないけれど作品はただのきっかけだったんだな。
接着剤みたいにずっと心をつないでいてくれたりはしない。
僕がちゃんと心を開いて、「ただの後藤大という人」でいる勇気を出さないと、一生誰かを失い続ける寂しさと共存していかなくちゃいけないんだろう。
人とうまく繋がれないから音楽をやっていたのに、そこをクリアしないと音楽をやってる意味を落としてしまうなんて。
でも、音楽をやってたからこのことにも気づけたことだ。
「音楽やっててよかった。」
心からこの言葉を言うために、少し視点を変えてみようと思う。
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僕は僕を諦めてない だから涙が出るんだよ
後藤大
シンガーソングライター/作曲家/文章書き
自分をみとめてあげられる瞬間が好き。
Twitter https://twitter.com/gotodai0926
MUSIC VIDEO https://goo.gl/E1ebEPjlVG
提供曲視聴 https://bit.ly/2EmR6sk
Next Live→1/30(月)22:00 ツイキャス定期ライブ
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