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アナログも生き残ってほしい。

CDは残っているけれどダウンロードになり、ストリーミングの時代になろうとしている。いや、もうなっているのか。

とある音楽同人即売会ではCDを買ってくれた子に「これどうやって聴くんですか?」言われた人がいるらしい。「ついに来たか…」と思わずにはいられなかった。

聞いた話なのだけど、世界がダウンロードに移行する時に日本はAKBグループの握手券付きCDなどがヒットし中途半端に残ってしまったのではないかと言われていた。変化を嫌う傾向があるからとも個人的には思う。

何はともあれストリーミングはもっともっと主流になっていくだろう。

本だってそうだ。Kindleなどを使ってスマホやパソコンで本が読めるようになった。

音楽にしろ本にしろデータになると持ち運びが楽だし、収納スペースも取らないし、すぐに呼び出せるし、コピーや送るのも早くて楽だし本当に便利でいいなあと思う。


だけど「物じゃないもの」ってなんだか心に作用しにくい。

部屋を大掃除した時に押入れに眠っていたCDたちを寝室の棚に移した。結局聴くのはiTunesだったりYoutubeなのだけど、「聴こうと思うきっかけ」は棚にあるCDが目に入ったからなのだ。

本もKindleに入っているものはあっても読まなくなってしまう。でも本棚や机に置いてあると読まなくても「この本がここにあるなあ」と思ったりする。

活動に悩んだり仕事で落ち込むことがあった時にふと手にとって読み始めることがある。

データって「そこにある感じ」がしないから目の前にあるのにドキドキしたり快感を感じたりせずにスルーしてしまうことが多くなった。

これは個人差もあると思う。紙で読む方が入ってくる人とスマホで読むほうが入ってくる人がいるらしい。それでいうと僕は完全なアナログの恩恵を受ける派だ。

考えをまとめる時も、発想を生み出す時も、言われたことを理解する時も、実際に紙に書いた時は記憶の定着率がかなり良くなる。

正直作り手からすれば「物」ってコストはかかるし、在庫管理は大変だし、郵送も手間だし、効率は悪いし、利益率も下がるしデメリットが多いのだけど、使う側としてアナログは「なくならないでほしい」と強く思える部分を持っている。

僕は物のよさも知った上でストリーミングもいいなあと思っているけど、物のよさを知らない世代が主流になっていくと、もしかしたらなんでも「使い捨て」になってしまうのかもしれない。

一瞬で燃え上がって飽きたらポイ。長く愛されるものはなく情報として流れていく。それは結けっこう寂しいことだなと思う。

数日前から時間割表をつくってバインダーに挟んで机の上に置いている。目に入る場所に「物」があるから起きてまずスケジュールを立てるようになった。

データ文化も素晴らしいのだけど、なんとかアナログ「も」生き残ってもらいたい。


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