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感動なき学びはもはや勉強ではなく苦行だ。

昔から嫌な事は後回しにするタイプであった。

小学生のころ「漢字100字」という宿題はなかっただろうか。正方形のマスが100並べられた漢字練習帳をひたすら埋めていくあれだ。

自分の背丈よりずっと高かった鉄棒が、今見ると「こんなに低かったっけ」と感じるように、辛かった宿題も大人になってみればなんて事はない、なんて事はなく同じ漢字100字は今でも普通に辛い。

やがて字を覚えることではなくノートを早く埋めることが目的になり、何の楽しみも見いだせずじわじわと勉強が嫌いになっていくのであった。


問題は夏休みだ。休みと銘打ってはいるがばっちり宿題が出る。白木屋の店長が休みの日でも店のトラブルを危惧して思い切り休めないように、子供たちもどこか満喫できないでいる。

と思いきや無邪気なもので宿題のことなどすっかり忘れて遊び三昧。この集中力が大人になるとうらやましい反面、僕のようなコツコツと物事をやれないタイプはしっかりと地獄を見ることになる。

もちろん漢字100字も課題に含まれており、約40日分、つまり4000の漢字を狂ったように書かねばならない。もはやDEATH NOTEである。何ひとつ計画通りにいっておらず、というか計画を練りさえしておらず新世界の神にでもなって宿題という制度を廃止したい気持ちでいっぱいだった。

ちなみにこの文章はここまでで約600文字だ。これの6倍以上の漢字を一晩で書ききるとかジェバンニかよ。それこそ心臓麻痺でぽっくり逝ってしまいそうだ。

しかもそれだけの苦行を行なった挙句、全く頭に入っておらず普通にテストで間違えるのだから悲しいものである。

好きなマンガのキャラクターの口癖や、何となく覚えてしまう言葉は覚えようとしなくても頭に入っている。あんなに鉛筆と精神をすり減らしても消しゴムのカスほどしか記憶できなかったものが自然にテストで解けるのだ。


今日は編曲に苦戦して参考曲を聴きながら発狂しそうになっていたのだけど、気分転換に好きなバンドの曲を聴いたら「ここどうなってるんだろ!」「ここすごい!」「こんな風にギター弾きたい!」と意欲が溢れ出てきた。

勉強をする前にドキドキやワクワクを見つけることだなと思った。感動なき学びはもはや勉強ではなく苦行だ。

本当の勉強は遊びの中にこっそり潜んでいて、後になって学びになっていたと気付くものなのだ。分からなくて壁にぶち当たった時に遊びを見つけるゆるさを持っていたいと思う春の入り口。

[この記事の元になったツイート☺︎]

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