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「そんなことより」が傷つける心

ZOZOの社長 前澤友作さんと 女優の剛力彩芽さんの交際が発覚した。

同じ日にワールドカップを観戦した写真をお互いSNSに載せたことから炎上。
賛否が飛び交っていた。


その中で気になったものがあった。


ひとつは はあちゅう さんが書いてくれていたのでこちらを読んでほしい。

ぼくは気になったもうひとつについて書こうと思う。


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前澤さんのこのツイートに対してもいろんなコメントがあったのだけれど
そのなかに「そんなことより○○しましょう!」というメッセージがあった。

この「そんなことより」という言葉、ニュアンスは違えど僕らが普段生活する中で触れること、もしくは自分が使っていることはないだろうか?

きっと善意からくる表現なのだと思う。
切り替えて行きましょう!という励ましのつもりなのだと思う。

だけど他人から見たら些細なことでもその人にとっては重大なのだ。

例えば風邪って実際にひいたら毎回めちゃめちゃ辛い。毎晩咳は止まらないし喉も痛いし、お腹の調子も悪いし身体も重い。だけどなんとなく「風邪ぐらい」ってイメージもある。他人事になった途端に「気合いで乗り切れる病気」に変換されてしまったりする。

ぼくは男だから女性の生理や出産の痛みはわからない。わからないとつい軽く流してしまうことがあるけどほんとうに辛いらしい。地獄らしい。
逆に女性もきんたまに衝撃を受けた時の痛みを知ることはできない。
あれはなんというか、SEKAI NO OWARIだ。

よくブログやツイッターでも書いているのだけどぼくは「わかる」には「体感」するしかないと思っている。体感したことがあったとしてもリアルタイムじゃない想像にも限界があると思っている。

風邪ならしんどさが想像できるけど今 自分が元気なら元気基準で考えてしまいそうになるし、女性の痛みは知ることさえできない。

それでも感じてしまったことに「そんなこと」なんて存在しない。

「そんなことより」は「あなたの気持ちはどうでもいいから」に聞こえてしまうのだ。

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「人の気持ちを考えなさい」というセリフがある。

ぼくが鈍感すぎるだけかも知れないけど人の気持ちなんてわかりっこない。
ぼくのことをわかってると言ってきた人でぼくの気持ちをちゃんと理解しようとしてくれた人はいない。

だから「人の気持ちはわからないことを知る」ことが大事だと思っている。
考えてもわからないから聞いてみる。聞いたら辛いとかしんどいって気持ちを持っているんだなとわかる。逆に怒ってると思ったら全然怒ってなかったなんてこともある。

「人の気持ちを考える」は自分が勝手に想像して作り出したイメージなのだ。


「そんなことより」みたいなことを言ってしまうとき、ぼくらは相手のことをちゃんと見ようとしているだろうか?

善意が善とは限らないよなあ。


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