15歳の恋は15歳にしかできないように
朝起きてツイッターを見たら小学生の不登校Youtuberの話題が飛び込んできた。
学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生もロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。現在も「学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫いている。
これについて賛否が銃弾や矢のように飛び交っていて関ヶ原と化していた。
着火点は「宿題がやりたくないから学校に行かない」という理由。「そんなことで学校に行かないやつに何かを成せるわけがない」「それはただの甘え、舐めてる」とコメントが殺到し、さらにそこに「やりたいことを貫くのはかっこいい」「小学生に大の大人がこんなことを言える世の中の方が怖い」と言う人も出て来てぐちゃぐちゃになっている。
僕はどちらの意見も分かる。
宿題レベルのものに反発していたら世の中のほとんどのことに怒りを抱えないといけなくなりそうだし、摩擦も増えると思う。でもやりたいことはやればいいとも思う。
やってみて後悔するか、やらなくて後悔するか、それは分からない。でもやらなかった後悔はずっと残る。だから僕はとりあえずやってみたらいいんじゃないか派だ。
高校生の頃は「この人が僕が一生で好きになる最後の人だ」と本気で思いながら恋愛をしていた。けど今はいろんな未来があって「この先どうなるかなんて…」とどこかで考えている。その上で行きたい道を選ぼうとしている。
15歳の恋は15歳にしかできない。同じように宿題を無理矢理やらされるのが嫌だという気持ちをここまで強く感じられるのは今だけかもしれない。
ちゃんと学校を卒業して来た大人たちにはもう触れることのできないものなのだ。
糾弾されようが将来苦労しようが、今やらないことが1番の後悔になる。だからやっておけばいいと思う。
それは30歳の僕も同じだ。
20歳の頃の曲を今は恥ずかしくて歌えない。でもあの時はそう本気で思っていた。その時を踏みしめて生きてきたから今日の僕がある。
こうやって文章に書いたり歌に残していくだろう。そしてまた10年後。今作ってる歌が恥ずかしく思えるかもしれない。
それでいい。本気でやるから変わっていける。今の気持ちを純粋に歌えるのは今だけだ。
「やりたいことをやる=かっこいい」とは思わない。「やりたくなくても我慢する=素晴らしい」とも思わない。
何をやっても後悔はついてくるけど、○×二択の先に落とし穴があったとしても自分の心で選んだ道ならば「納得」できるはずだ。
経験論で説教をはじめてしまったらもうおっさんのはじまりな気がするのだ。
[この記事の元になったツイート]
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