「信じる」とは、、、
「この人は信用できる」
「あの人に裏切られた」
人を信用するとは、どうゆうことでしょうか?
人に裏切られるとは、どうゆうことでしょうか?
とある会社では、こう言います。
「社長の言った通りだった。
信用してついていって行って本当によかった。」
「部長が言ったんじゃないですか?
どうして裏切るのですか?」
とあるチームでは、こう言います。
「僕は監督を信用する。
あなたなら、きっとやりきってくれる。」
「どうして止めるのですか?
もう信用できない。」
とある家庭では、こう言います。
「うちの息子は信用できる。」
「親なんか信用しない。」
世の中は「信用が大切」といいます。
ですが一方で、「信用しすぎだ」とも言います。
ある人にとっては信用に値しないこともあります。
ある人にとっては裏切に値しないことがあります。
そして、裏切られることは前提とし、裏切った方が当然悪いが、信用した方も軽率すぎるとされます。
信用と裏切りの境界線はどこにあるのでしょうか?
私はそのような物はないのではと感じています。
更に、信用と裏切の基準は、相手ではなく自分にあるものだと感じています。
自身が納得できれば信用、納得できなければ裏切、そう解釈しています。
これについて具体的な事例を体験からあげます。
私達は会社の上司と部下の関係でした。
歳は2歳しか変わらず、もはや先輩後輩の関係です。
先輩は、後輩思いの誠実な人でした。
常に周りに配慮ができ、社内の立ち回りもうまく、いわゆる仕事のできる人です。
私達は、会社が購入していたマンションの一室に住んでいました。
間取りは、確か4LDKくらいでした。
先輩は、新人として入社した私に広い部屋を譲ってくれました。
また、仕事のあれこれは勿論のこと、プライベートでも何かと付き合ってくれたり、いろんな人にも会わせてくれましたし、生活の知恵とかもマメに教えてくれました。
休みの日には、社用車をこっそり持ち出して、いろんな所に連れていってくれたり、誕生日にはお祝いをしてくれました。
そして、数年後に先輩の結婚式では、先輩夫婦の送り迎えをしたり、結婚式の様子を終始ビデオにおさめ、別注で引っ張った生まれ年のワインと一緒にプレゼントしたり、心の底から幸せになって欲しいと思っていました。
その後、引っ越ししてからも、これまでと変わらず面倒を見てくれる本当に優しい人柄の方でした。
私にとっては、初めての東京生活、初めての一人暮らし、初めての社会人でもあったため、全てにおいて素直に嬉しかったのです。
しかし、この良好な関係は少しずつ少しずつ壊れていきました。
目に見えないヒビは、徐々に鮮明化し、ある事をきっかけに破損し、もう二度と修復不可能な状態になります。
人間関係としては、おそらく最悪な状態で、いっそのことヒビなど入らず一気に壊れた方が楽なのかもしれません。
勤めていた会社は、そこそこ老舗の歴史ある企業でした。
当時は、パワハラなどの言葉はなく、社長の言葉の暴力など当たり前、会議会議、数字数字、既得権益、社内政治、社内不倫と一般的な社風だったと捉えています。
(社内不倫は違うか、、、)
昔からの名残か、社内の部署分けはあったものの、業務分担はなく、いわゆる個人商店の仕事内容でした。
当然、社内教育などはなく、社会人知識0で得意先に行き、訳も分からず怒られ帰社する毎日です。
世の中には無関心で無知、商売の原理原則など知ってるはずもなく、分からないことが分からない、そんな底辺中の底辺でした。
そんな中で、少しずつ諦めからか得意先に可愛がってもらい、同業者にも面倒をみてもらえるようになりました。
どちらかというと社外に教育していただいた認識の方が強く、とにかく1日1日がギリギリの状態だったんです。
そうやって、少しずつ商売を知り、社会人を知り、社外を、社内を理解していった訳です。
その結果、少しずつ数字も上がり、徐々にメンタルに余裕がでてきました。
それでも当時はまだ20代半ばです。
何かと一喜一憂はします。
若僧が他人を評価したり、一方で初歩的なミスを重ね、大損することもありました。
(何回、ネクタイをしめたことか、、、)
因みに、失敗する3原則として以下があります。
『過信・慢心・情報不足』
こんなことは簡単という過信や、何の問題もないという慢心、海千山千のような勘違いからくる情報不足です。
過信と慢心は振り返り気づけることが多いですが、情報不足は認知していないことが多いです。
いくつになっても言えることなので、みなさんも肝に命じておいて損はないので、、、
そこそこ数字ができだした頃、おそらくは過信と慢心の状態の時だったと思います。
周りからの指摘がノイズに聞こえてしまう時期がありました。
周りから確信をつかれるような事を指摘されると、反骨心からか相手のそれも探そうというマインドが少なからず生まれてきた記憶があります。
具体的には、仕事のやり方だったり、会議の在り方だったり、企画や管理の手法であったり、指摘をされると、相手のそれも探し、次言われた時のために積み上げ準備しておくといったものです。
(仕事しろよ、ですよね、、、)
そんなこんなで、頭のキレが違う方へと行ってしまったわけです。
そしてこの辺りから先輩との関係性にも、目に見えないヒビが入りだしてきた認識があります。
ちょうど、私の数字が上がり、先輩の数字が下がり、その差もなくなってきたくらいの頃だったと思います。
当初、小さな得意先しか持っていなかった私は、ある時、このままでは駄目だと思い、数字の目処をつけるための方法を考えました。
そして、その解決策は新規の取引で数字を埋めるしかないと考え、自発的に飛び込み営業を繰り返しました。
門前払いを繰り返し、既存のルートも周り、とにかく無我夢中でした。
しかし、結果は思わぬ方向からでてきました。
ほぼ休眠口座化していた大手の取引先から大きな売上でした。
新規開拓で繰り返した情報や商談の積み重ねから考えていた企画は、当たり障りない商品しか仕入れていなかった大手からすると魅力的だったようです。
このチャンスに全力投球し、これまで売上がなかった先で一億程の売上になりました。
これはきっかけに、別の部署や同業内でも噂が広がり、いろんなお声がけが増え、結果的にしばらく数字の見込みがたつようになりました。
ようやく、これまでの苦労が報われ、肩の荷が降りた感じを今でも覚えています。
一方、先輩の取引先は縮小傾向にあり、売上が激減している最中でした。
少数の取引先で数字を作っていたため、この補填かきかず、また、これまで種まきをしていなかった分、下降へと向かっていたのです。
その解決策として、取引先を別の担当者からもらうことで下降を緩やかにしたいった内容でした。
ですが、社内の評価はそれに見合ったものではありませんでした。
面倒臭い作業は私にまわり、手厚い対応が先輩へと流れるわけです。
私がこれまで苦しんできた仕打ちや試練は、彼には訪れません。
その要因は、社内営業の差でした。
社内営業のうまい先輩は会社の上層部から好かれており風当たりは弱く、社内営業の下手な私はいいように使われるわけです。
それでもしばらくは辛抱していました。
ですが、徐々に雲行きがあやしくなってきました。
ちょくちょく聞いたことがない話や、言った覚えのない発言が耳に入ってくるようになりました。
細かいマニアックな内容なので割愛しますが、何かと私が言ったことになってたり、何かと私がするように仕向けられたり、私の知らない所で、いろんな人に嘘を並べ、負担がくるような吹き込みがあったそうです。
当然、そんな関係は長く続くはずもなく、現場の人達は徐々に事実を理解してくれるようになります。
でも、上層部は分からないんですよね、、、
要領のいい人は楽をし、真面目な人は損をする、この会社はそんな言葉の代名詞でした。
このように、私と先輩の関係性にヒビが入り、私は先輩に対しても、会社に対しても疑心暗鬼になりつつありました。
そんな毎日の中、私は会社のグレーな現実に次から次へと遭遇していきました。
当時は、見つけた!感の方が強かったと思います。
伝票の先切りや在庫の隠蔽による月締の操作、ひどいものは、架空伝票の売上、取引先からの借金隠蔽、個人的な金銭の受け取り、事務員による横領とその隠蔽などなど。
当然、懲戒免職もでました。
横領は、その人が若いこともあり内々で処理していましたが、返済のために風俗で働いたらしく、体調を壊し、そのままドロンしました。
一番ひどかったのは、そういった悪事から逃げ切れず行方不明となり、地方において、風俗で働く女性に強迫紛いのことをして、逮捕された人もいました。
無論、次から次へと優秀な人ばかりが転職していきました。
当時の私には異常というまでの認識はなく、変な会社だなという印象までで、ましてや、転職という選択肢などありませんでした。
むしろ、自分が結果をだして、良くしていくんだとまで考えていました。
いま思うと、よくそんな会社で働いていたなと、、、
そして、そんな思い抱えつつ、
遂に、私も堪忍袋の緒が切れてしまう出来事がおきました。
借金の肩代わりです。
借金の肩代わりといっても、プライベートではなく仕事においてで、また、大きな金額でもありません。
端的に言うと、先輩が工場にしていた仕事上での借金を、私が工場と契約した商品に上乗せしていたのです。
少しずつ返済をする予定だったらしく、とりあえずは少額の上乗せでした。
契約書があるので普通にバレます、、、
馬鹿なのか、、、と、思いました。
工場に突き詰めて自白させ、本人も謝罪してきましたが、流石に、これまでの積み上げもあり、キレてしまいました。
パソコンを叩きつけ、即、帰宅です。
その後、どうやって、日々を過ごしてきたか記憶にありませんが、その後も、会社のちょっとした隠蔽は続きました。
特にこれといった基準はないですが、いまだに在庫を隠しつづける行為に対して、我慢がならず、全てを暴露し、自主退職しました。
ここまでの会社の状態で、私もまだ20代ということもあり、気にかけてくださる方達のおかげで転職することができました。
しばらくして、私の耳に入ってきたのですが、その先輩は、また何かやらかしたらしく、懲戒免職となったそうです。
もう、その理由も経緯もどうでもいいなと思いました。
改めて問います。
人を信用するとは、どうゆうことですか?
人に裏切られるとは、どうゆうことですか?
私は、手取り足取り面倒を見てくれた先輩を信用し、借金の肩代わりをさせられ裏切られました。
数字競争は嫉妬や妬みを生み、数々の不祥事はこれを助長し肥大化させました。
そこに明確な境界線はありませんでした。
あれから15年。
改めて振り返ってみました。
解決する術は本当になかったのでしょうか?
もし、いまの状態で当時に戻れたらどう対応していたのでしょうか?
或いは、逆の立場だったら嫉妬や妬みは無かったのでしょうか?
しばらく考えていました。
もし仮に、もし仮にと。
いや、少なからずあったかもしれません。
決して気持ちがいいはずはなく、別の形で不満を表現していたのではないでしょうか?
その時、私の後輩に対する信用とはどういったものだろうかと考えました。
いつまでも、かわいい後輩だったのではないだろうか。
数字ができなくて、不器用だけど、とにかく必死に頑張る姿を支えていこうと、、、
それがある日、抜かされそうになった時、どんな応対をしていたのだろうか。
そして、ふと思いました。
人を信じるとはどうゆうことなのか。
おそらくは、こうなのではないだろうか。
その人自身を信じている訳ではなく、
「この人はこうゆう人だ」
そんな理想の人物像を作りあげていませんか?
そして、それに期待していませんか?
だから、その理想と異なる部分が見えたとき、
「裏切られた」とか、
「期待していたのに」とか、
そう感じるのではないですか?
大切なことは、理想と異なる部分が見えた時、
「それもまたその人」
そう受け止めることができること、
そういった揺るがない自分がいるということ、
これが、「信じられる」ということだと思います。
私達は自分を律している時ほど、
律していない人の行動が目に余ります。
周りを腹立たしく思うかもしれません。
でも、それでも辛抱している、
そうゆう人がいるからこそ、
世の中は保たれているわけです。
すぐに足並みは揃わないけど、
その思いは必ず誰かに届き、誰かを動かします。
どんな人にも大切な人がいる、
その背景を常に抱き歩くべきではないでしょうか。
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