見出し画像

白練 ①

何に驚いたかと問われれば、僕は即座に答えるでしよう
雪仁様との初対面の時だと。

山村で生まれ育った私は、貧乏小作農家の三男であり
土に塗れ、白くない米を食し。ボロを纏って友人たちと真っ黒に日焼けしながら駆け回って遊んでいたのです。
皆、同じようなもので貧乏でありました。

奉公先が決まり、山村に似つかわしくない背広を着た田口という男の人に連れられ東京へ着いたのは、初等科を出たばかり十二歳の春。

兎に角、人が多く行き交い、御婦人方の洋装も鮮やかで目が回りました。
田口は駅の売店でチヨコレイトを一枚買ってくれて、その初めての味に興奮を覚えなかったと言えば嘘です。僕は外聞もなく終始無言で貪り、田舎者の其れで御座いました。
見渡せば店がひしめき合い、それは郷里とは別の世界でした。
なので小さな村から出てきたばかりの僕にとっては、全てが衝撃的で興奮を誘いました。
自動車というものを初めて目にしたのもこの時で、黒光りするボデエが眩しく目が離せませんでした。
そんな驚きの連続で始まった東京暮らしですが、冒頭に戻ればそれは不思議な程に掠れてしまうのです。あの瞬間に比較すると。

奉公先のお屋敷に着いたときは日がやや西に傾き始めて居りました。
大きな門扉は見上げる大きさで、重々しく片手では動かなかったのを覚えて居ります。門から本館の入り口までは、森ではないかと見紛う規模の緑の庭でありました。小川まであり鳥の鳴き声も聴こえて来てそれが敷地内だなどと思えませんでした。多種に渡る植物、整備された芝生、遊歩道のように石畳が道になっていて方々に伸びて居りました。
都会の只中という事を忘れてしまう自然の豊かさでありました。
風は駅前の埃臭い其れとは違い清涼であり、郷里の山を思い出せ、暫しのノスタルジアに苛まれました。しかし同時にもう当分はあの埃にまみれて生活するのかと覚悟していたので、嬉しく思ったのを覚えて居ります。
田口は終始無言であり、恐い印象がありましたが、特に乱暴をされた訳でもないので徐々にその端整な横顔に上品さと優しささえ感じるように成って居りました。
導かれるまま本館の扉に辿り着いたのはかなり門から歩いてからでした。僕が右へ左へ興味を取られ時間が掛ったのも否めませんが、その広大な敷地のせいもあったでしょう。
田口が先だって扉を開け、僕の大きな背カバンを軽く後押ししたので館内にゆっくりと入りました。
全体が洋風な造りであり玄関フロアは二階の方まで吹き抜けでした。
靴を脱ぐ所はなく何だかどこから家なのか変な心持で御座いました。何人もの使用人が居るはずなのですが、しんと深海のような静寂が埋め尽くしていました。
ぽかんと口を開けてシヤンデリアを見上げて圧倒されていると、数人の使用人が出てきてやっと人の気配が戻りました。挨拶を済ませて早速、御主人へ挨拶かと身構えて居りましたら、只今は、お留守という事で帰宅後との御達しがありました。これから生活する使用人部屋へ案内され、カバンを下ろしました。
部屋はとても清潔でベットとタンスがあり、こんな贅沢をして良いものかと郷里の家族に申し訳なく思いました。
荷物といっても殆ど無く全部納めても収納は余るほどありました。僕にはそれ程、服も本も何もかもが少量しかなかったのです。

詳しい仕事内容は聞いていませんでした。只、十二歳くらいの男の子が相応しいといわれて連れてこられました。どんな奉公であれ行き先が決まっただけで安堵したものです。初等科しか出ていない身分でありますから大したことなど望めません。
道中、田口が話してくれたのはお屋敷にお住いの御子息が同じ年頃なので、お相手を務めるのが主な仕事だという事でした。
お身体があまり丈夫では無い為、学校へは行けず友達が居ない上、ご主人様もお忙しくお留守が多いので一人で過ごされて居られてお可哀想だと、今回の話が出たとの流れでした。
お相手だけでお給金を頂いていいのか子どもながらに思いました。しかし所詮は山村の貧乏小作農家です。仕事の話が来ただけでも家族が喜んで二つ返事だったのは事実です。

窓に差す西日が広大な敷地の木々に隠れん坊するように徐々に降りて来たころ、田口が部屋の扉を叩き僕はあの瞬間へと向かったのです。
そう、雪仁様との対面の瞬間へ。

僕は生れて初めて、神様に感謝しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?