タイトルなし

物書きの匂い 最終話

書斎に入った私は
インク、煙草、紙
幼い頃から浴び続けた
物書きの匂いに目眩が致しました
暫くして、聞きなれた足音がしました
戸がゆっくりと開き
先生のお姿が其処には御座いました
「明日、帰すと話してきた。」
光の加減でお顔を拝見することは叶いませんでした
怒られても
追い返されてもいいと飛び出したのだ
私は決意の下、たたみ掛けるが如く言葉を放った
「先生は嘘を仰いました」
「鯉はこのお池で死にとお御座います」
「月にも帰らないわ」
「何処へもやらないで、そんな事をしたら舌を噛みきって死にます」
戸口に立って居られた先生は倒れ込むように
抱きすくめて下さいました
「歳が親子ほど違うのだ」
「かぐや姫は月へ帰るものだ」
「君は宮家の血を引く由緒ある人だ」
先生の声は嗚咽混じりで
私は火がついたように泣きました
「先生、抱いて下さい」
あぁ
あの台詞がまたこの部屋で響いた
唇と唇が重なり
罪深い行為が始まりを告げた
煙草の味が致しました
先生は優しく頭を撫でて
おでこにも口付けを下さった
唇は瞼に落ち鼻を滑り
耳に辿り着いて
耳朶は甘く噛まれじわりと痺れた
指先から熱く燃えて溶けてしまいそうで
先生のお着物をきつく掴みました
「恐いかい?」
私は首を横に振って否定しました
ゆるりと帯はほどかれて
裸体は露になりました
鎖骨にも肩にも口付けは丁寧になされ
先生がお色を付けて行くような
私の全身は赤く熱をおび
恥じらいもなく恋しくて啼くのです
ペンを握る白く細い指が私の乳房に触れ
ビクリと恥部はわななき
呼吸が苦しくなりました
先生が愛おしい
先生が愛おしい
先生が欲しい
私は獣に還ってしまったのかしら
体内の女というぬらぬらとした一部が
歓喜し下品に快楽を求める
先生のお口は私の膣にまで到達し
舌先で舐め上げて
気が何処かへ行ってしまうのではないかと
味わったことのない強い刺激に
息を漏らすのが精一杯で御座いました
そのうちに、先生のお指がグリグリと
侵入し掻き回し
襞を逆立てるようにして
私は訳も解らないまま
啼きながら声を堪えきれず漏らし
導かれるまま受け入れたのです
先生は何度も私に優しく
「痛くはないかい?」
「苦しくはないかい?」
気遣いの言葉を下さるのですが
「うぅ…」
「ああぁ」
としか声に出来ず
頬も
太股も
濡らすばかり
そして、初めて男を知り
女になったので御座います

障子越しの朝日に気だるさを纏った身体を起こした
私はきちんと布団に寝かされ
身なりも寝間着の浴衣が着せられて居りました
お庭でお池の水かぴちゃぴちゃと音をたてておりました
鯉たちが集まっているのでしょう
胸元を整え髪を撫で付け庭へでました
先生がお一人でお池の鯉に餌を上げてらっしゃいました
突っ掛けを履くとそのお隣へ添いました
「死にませう」
私は静かに申しました
朝の庭にピンと響きました
ここの庭の木々も色づき
もみじは紅く血のように染まって居りました
「光君が一番愛し、求め続けた人は誰だと思う? 」
「母と私はそんなに似て居りますか?」
「生き写しだ」
背を向けてしゃがんで居られた先生は
鯉たちが去っていったお池を背にして振り返りながら、ゆっくりと御立ちになり微かに微笑まれた
見たことのない冷たい笑みで御座いました
「藤壺」
秋風が小さな声をさらって行きました
「優秀な教え子を持って私は幸せだよ」
私の中に、鬼のような嫉妬と
凍り付くような軽蔑が沸き上がりました
知っていた
私を通して誰を見ていたのか
誰を抱いたのか
先生が大事になさってた写真には
私によく似た婦人
それが、先生と過ごした最後の時間になりました
十一月初旬、大安
私は白無垢に袖を通し、三三九度を行い
艶やかな婚礼の義を恙無く終えました
そして、魂の緩やかな消滅
次の年の春、先生は自殺なさいました

連載を全て書き上げたのち
服毒だったそうで御座います
私は葬儀への参列は致しませんでした
数日後、一通の書簡が届きました
一枚の写真と、見馴れた文字の短い手紙が一枚
写真は例の婦人の写真
私の母の写真
手紙には
この人は君の母親です。
君を預かる時に泣きながらこの写真を渡して下さいました。
少しでも長く抱き締めて居たくて、急かされる中
幼い君を強く強く抱いて離さなかった。
写真は全て公にできる日が来たら渡して欲しいと託されたので、同封します。

私を恨みなさい。そして生きなさい。
滝田
写真の裏には見慣れない女文字で
愛する娘へ
一言書いてありました
私は手紙に頬をつけ
インクの匂い
煙草の匂い
物書きの匂いを噛み締めました

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