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恋の蛍 太宰治と山崎富栄

周防色の細い紐で、脇の下辺りを固く結び
太宰氏は富栄さんの脇の下に手を通してしっかり抱きしめ、富栄さんは同氏の首を両腕でかい抱いていた。
(毎日新聞 昭和二十三年六月二十日付)

一週間という時間を掛け読み終わりました。
桜桃忌のガイドさんに勧められ帰宅時、図書館で早速借りました。
先生の死後、多くの書物がその死を飾り立て虚言を吐き良いように金の種にして来たのです。
生前の先生がそこまで考えていたかは疑問ではありますが。

富栄さんについて
芸者、玄人、知能の低い女、文学など解らぬ女、独占欲の末殺人鬼、毒殺説、絞殺説、 突き落とした説(下駄の後より)

あほらし

冒頭に在るように、発見翌日の毎日新聞には、事細かく二人の遺体の模様が搭載されたのに、人は己の都合の良いように画像編集していく生き物のようです。

しかし、私もこの本を読むまで富栄さんの生い立ちや性格を知らず
ただただ羨ましい方だと思っていました。だって先生のお供が出来たのですから。
死の直後、彼女の日記が公開されたことも知りませんでした。
そちらも拝見しました。
真実に近づく資料は溢れていたのに、それを無視して
皆、先生の死を餌にした文士達。
先生は草葉の陰で、富栄さんと笑っておいでだったと思います。

「ほらね。みんな悪人だよ。酷いよね。お金が欲しいのさ。」

浮世は先生が生きるには汚過ぎた。

何を信じて何を信じないか、これは戦中、戦後とケロリと思想を変えた国民性を感じる。
出された料理を疑うことなく食する
口元をべたべた汚してはしたなく。考えないのさ。たとい誰かがそれで深手を負っていたって、「知らなかったんだ」で済んでしまう。

知ろうともしなかったくせに

私も同罪だ
敬愛、敬愛と声高に言って、お墓に御花を供えて
墓前で手を合わせ愛を語り、恋の真似事。
そんな、軽率な自分が急に恥ずかしく、また虚しく感じた。
知ろうとしなかったのは同じじゃあないか。

奥様とお子様の事を思えば、愛人と情死など褒められたことではない。
それはまず前提に置くべきこと、誰とでも何処ででもどんな形でも、家庭を捨て子どもの育児義務を捨てた事は悪である。

著者は富栄さんの生まれから入水までと、先生の生まれから入水までが交互に書かれており、先生の弱さが改めて生々しく伝わってきた。
先生は乳母と叔母に育てられ生母にはほぼ愛を貰っていない、乳母と叔母も結婚なりで、修治少年の前から突然消えてしまう。

寂しい、甘えたい、居なくならないで、僕を見て、そして繊細

甘ったれの寂しがり屋が先生の根本にはあり、芥川先生の死により(修治少年、当時18歳)は死への憧れ退廃的な物への甘美な陶酔

死の理由は色んな憶測があり、個々の納得の仕方が在ってよいのだと思う。
遺族、友人、読者、編集者、野次馬

本当の気持ちは先生にだって富栄さんにだってわからなかったかもしれない
死にたい
ではなく
生きるのが辛い
だったかもしれない
先生は数回の心中未遂があることから、一人では死ねなかったのは確かと思う。

一緒に、ずっと一緒にいてくれる人が欲しかった

そんな先生の声を、悲痛な叫びを強く感じた

それが、私の初の桜桃忌

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