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既知という無知

また、前回の固着に触れることがあるので合わせて読んでいただければ幸いです。 私がいままで出会ってきた人の中でハウツー本を読んでいる人にロクな人はいない。(ここでいうハウツー本とは自己啓発系のものを連想していただきたい) 総じて意識高い系などと言われるが非常に面倒くさい人種である。大抵の場合はそもそも人の忠告を無視する。なぜならばハウツー本が答えであるからだ。 ハウツー本の目的がそもそも模範解答として存在することである。実態は実体験等を交えた個人の意見にすぎないのだが存在

    • 「私」というフィルタの使用期限

      記事ごとに完結していなくて本当に申し訳無いのだが思想や信条は独自の過去から生まれるため独自性があるというのが前回までのあらすじである。 では、その思想や信条から醸成される個人の意見や考えというものに着目していきたいと思う。 思想や信条というものは他人の意見を取り入れることで徐々に、又は緩やかに変わるものだが変わるというのはあくまで能動的な話であって受動的な話ではない。 ここでいう「能動的」というのは講演会に出向こうとかそういう話ではなく、自分が知る意欲を持って接するある

      • 私の思う(あいでんてぃてぃ)

        アイデンティティという言葉は高校時代にはいやというほど聞くと思うし何かと少し考える材料、悩みのタネという表現が適切なのかわからないが何かと考えるものである。 例えば己の非力さを感じた時、何か現状に不満を抱えている時。人によっては「生きがい」にもつながってくるかもしれない。 まずはじめにアイデンティティとは独自性(他者と自分は確実に違う)とそこから派生する自分らしさ(それが生きがい等に繋がるのか)である。 私の恩師は「アイデンティティの本質は職業であるがアイデンティティ自

        • ここに書くこと

          自分が思うに思い出とか記憶とかいうものは一過性でさらさらと流れていってしまう。一年前の自分が何を考えていたかなんてわからないしその下にどんな思いがあったかなんてものは覚えてられるもんじゃないと思う。 自分が今何を思っているのか何故そう思っているのかを書き留めてこの溢れてしまいそうな記憶をなんとか手のひらで受け止めたいのである。 まぁそれだけならメモにでも書いておけと思うかもしれないが思想や信条がアイデンティティの本質(次あたりに書きます)だと思っているので自分の自己承認欲

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