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結婚写真

結婚して3年目だけれど、結婚式を挙げていない。結婚写真も撮っていなかった。

式に時間やお金を費やしたくなかったし、その1日で終わってしまうイベントにいろんなものを費やすくらいならどこかあてもなく旅していたいと思っていた。結婚して何年か経って落ち着いてから式を挙げる夫婦もいるだろうけれど、わたしには今のところその予定はない。

でも写真は違った。「結婚写真」と聞いてイメージされる一般的なものには興味がなかったけれど、自分たちが好きだと思える場所、自然豊かな森のような場所で、自分たちの好きな服を着て、かしこまった雰囲気じゃなく、ナチュラルな表情で撮ることができたらいいなと漠然と考えていた。

その人のことを知ったのは2月、真冬の北海道で仕事をしていたときだった。Twitterのリツイートか何かでわたしのタイムラインに流れてきたブログ。気になって、その「最後の狩猟」というタイトルの記事を読んでみた。文章と写真に、一気に惹きつけられた。過去の記事をいくつか読んで、フォローして、言葉を追いかけ続ける日々が始まった。

その頃のわたしは迷いの中にいて、心は常に落ち着きがなくて、それはそれはひどい状態だったように思う。自分のことばかり考えていて、かつてないほどに視野が狭くなっていた。大切にすべき夫を傷つけ続けていた。

その人の言葉や写真を追いながらたくさんの考え方に触れることで、自分の考えを再点検していくような感覚になっていった。食べること・食べ方について、人との関わり方について、人生の選択について、生と死について、家族について。

3月になる頃には、何も言わずにただ優しくわたしを待ってくれていた夫と、これからも歩み続けていこうと決心することができた。

4月は山梨で働くことが決まり、その前に東京に数日滞在することにしたのでずっと行きたかった高尾山に行く計画を立てていたわたしは、同時にもうひとつのことを計画していた。夫との写真を東京で撮ってもらう計画だ。ダメ元でその人へ依頼してみたら快諾していただけたのだけれど、結局タイミングが合わず、白紙になってしまった。

山梨で過ごすのは3週間とすこし、ほんの短期間なのだけど、何をしていてもやっぱり写真のことが頭から離れず、意を決して撮影の再依頼メッセージを送った。改めて快諾していただき、より自然豊かな山梨で撮影するということで計画が進んでいった。

4/25、撮影当日、その人、幡野広志さんにお会いして、簡単な自己紹介のあと握手をする。手はあたたかく、とても力強い。待ち合わせ駅の改札前にいてもなかなかいらっしゃらないなあと思っていたら「待ち合わせの1時間前には着くようにして周辺をぶらぶらするっていうめんどくさいやつなんです」とのこと。わたしも今度それやってみよう、と思う。

目的地まで、わたしの運転で向かう。

後部座席からさっそくシャッター音が聞こえてくる。撮影しながらいろいろ質問を投げかけてくださって、話していくうちに少しずつ緊張もほぐれていった。

だんだん目の前に緑色が広がっていく。富士山の五合目まで行く予定が、霧のせいで一合目までしか行くことができず駐車場で足止めをくらう。観光バスがたくさん停まる一合目の駐車場は、日本じゃないみたいだった。
姿の見えない富士山を探し、どんどん流れていく頭上の雲を指差しながら盛り上がる外国人たちにカメラを向ける幡野さん。わたしたちにとってはただの騒がしい光景だったけれど、果たしてこの人の目には、この光景がどんなふうに映っていたのだろうか。

そこからいくつかの場所で止まり、手付かずのままの原生林の中で撮影を続ける。
森の話をたくさん聞いた。
鹿の毛があって、今は冬毛から夏毛に変わるタイミングなのだということ。なぜかこういう場所には必ず瓶が落ちているということ。太陽の向きによって苔の生える場所が異なるということ。自殺者がこの樹海でどんな命の終え方をするのかということ。
「骨とかあったら教えてくださいね、持って帰りたいので」とのことで足元に注意を払いながら歩くけれど、それらしいものは見つからず。

わたしはカメラを向けられるのがどうしても苦手でカメラには緊張しっぱなしだったけれど、そんなふうに話しているうちに、幡野さんに対しての緊張はいつの間にかすっかりなくなっていた。

わたしたちはもう一般的な会社員には戻りたくなくて、旅行で数日だけどこかに滞在するのも嫌で、こうやって行ったり来たりしながらその土地その土地で少し働いては少し遊んで、というのを繰り返している。

こういう生活を続けていると、基本的には「自由でいいね」なんて言われるわけだけれど、身内には心配ばかりされてしまう。自分たちで働いて得たお金で美味しくごはんを食べて笑顔で過ごすことができているのだから、電車に詰め込まれて会社に向かって1日のほとんどを仕事に費やして心をなくしてしまうよりずっと精神的に健康健全だと思うのだけど、そう伝えてもなかなか理解してもらえないのだ。もう、理解されない方がずっと楽だなと思ってしまう。

でもきっと、この写真を見せたら、少しは安心してもらえる気がしている。

仕事をしすぎないこと。
好きなことをすること。
家族を大切にすること。
無駄な付き合いはやめること。
落ち着きを大切にすること。
いつか必ず死ぬ日がくるのを忘れないこと。

帰りの車では、そんな話をした。

わたしは自分の子ども時代が楽しかった、幸せだったとは思えなくて、今でも家族がどうしても好きになれずにいる。これまでは「家族を大切に」なんて言われた日には、綺麗事を言うなと反発してきたのだけど、幡野さんの姿をみて、少し考えが変わった。

「家族=親、きょうだい」だけじゃなかった。

結婚しているのに、こんなシンプルなことにずっと気付けずにいた。本当に視野が狭かったなと痛感する。
親やきょうだいのことが好きになれないなら、無理に好きにならなくたっていい。距離を置くことは悪いことじゃない。そのかわりわたしには、ありがたいことに、こんな勝手なわたしのことを受け入れてくれる夫=家族がいる。目の前のこの人を大切にすることが、今のわたしにとっての「家族を大切にすること」だった。

これは、これからもあなたのそばにいます。という、わたしなりの決意を表した写真でもある。

最初に待ち合わせた駅に戻り、別れ際に、3人で写真を撮らせていただきたくて近くのお土産屋さんのおばちゃんに声をかけた。わたしのデジカメを渡し、撮り方を伝える。慣れないデジカメに不安そうなおばちゃん。そこへ通りかかった中〜高校生くらいの女の子が、撮りましょうかとおばちゃんからデジカメを受け取り、シャッターを切ってくれた。おばちゃんは安心した様子だ。

一瞬の出来事だったけれど、その女の子の流れるような動作があまりに自然で、その場が笑顔に包まれて、なんだかものすごく幸せだった。

最後にもう一度握手をする。
「生きてたらまた会いましょう」と言われた。この言葉は、余命を伝えられている幡野さんだからこその言葉かもしれないけれど、きっと、わたしたちも使うべき言葉なのかもしれない。本当はわたしたちだって、いつ死ぬかわからないのだ。


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