ごーやー荘の秀-沖縄古民家民宿オーナー

秀(ひで)といいます。沖縄市コザにあるごーやー荘という古民家民宿のオーナーやってます。…

ごーやー荘の秀-沖縄古民家民宿オーナー

秀(ひで)といいます。沖縄市コザにあるごーやー荘という古民家民宿のオーナーやってます。沖縄の観光とか歴史とか芸能とか料理とか。でもどっちかというと路地裏散策的な、あんまりメジャーではない沖縄の情報を発信したいと思っています。 http://goyahso-okinawa.com/

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ごーやー荘が通販を始めた本当の理由

お久しぶりのnote投稿です。今日のタイトルですが、なんでこれをブログではなくnoteにしたか。 よくわからんのですが、なんとなくブログって個を出しにくいというか情に訴えるのが難しいというか。フォントとか画像の配置とかが、なんとなく心の中を吐き出すのにブログは向いてないと思って。まず「宿」があるのでどうしても前向き投稿をしてしまう。結果、商売っ気のある話になってしまう。 ちょっと心の中を吐露したいときにnoteっていいような気がする。フォントとか画像の配置とかがなんとなく

    • 第二回-洗面コーナーの壁塗装

      屋根の防水塗装が完成して、いよいよ洗面コーナーにさしかかります。 ジェット洗浄ジェット洗浄ドレッサーなど主だった備品をどかして、ジェットで壁の洗浄をしていきます。 汚れやホコリ、古い塗装もはがせるだけ落としていきます。 半屋内なので自然乾燥ではなかなか乾かないので送風機(サーキュレーター使いました)で風を送って乾燥させます。 お客様が不在の間は回し続け、約1日半でプライマーが濡れるくらいには乾燥しました。 プライマー塗りプライマーは前回紹介したのと同じもの。コンセント

      • 第三回-20数年非正規で働いてた女性が勇気を出して一人旅旅行に出た話

        民宿ゲストハウスの経営で出会った人、起きた出来事から人生を豊かにするヒントをお伝えする「人生の旅コンシェルジュ」。 数ヶ月前にご宿泊のお客様。20数年非正規で仕事を掛け持ちして生活してこられたと。 こう書くとだいたい想像つくかもしれないけど、この方も生活するために働きづめの毎日で、数日の旅行に出かけるのなんても考えもしなかったらしい。 そもそも旅行とは誰か友達と一緒に行くものという考えもあり、なかなか休みの都合も合わなかったりして、旅行をするのは希望の引き出しの奥にしまっ

        • 第一回-古民家リフォームのはじまりはじまり~

          ごーやー荘エナジャイズ エナジャイズとは「活性化」という意味らしいですが、単なるリフォームではなく、これをきっかけにごーやー荘がますます盛り上がっていくようにすることが目的です。 ごーやー荘では昨年12月から1月下旬まで、クラウドファンディングを行いました。 水周りのリフォームと客室の静音化、そしてウェブサイトのリニューアルが目的です。そしてたくさんのご支援を頂きました。 最初、リフォーム業者に依頼することを考えていましたが、クラウドファンディングで得られた金額の予算

        ごーやー荘が通販を始めた本当の理由

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        • 古民家リフォーム-ごーやー荘エナジャイズ
          2本
        • 人生の旅コンシェルジュ
          3本
        • 古民家民宿15年の歩み 開業から運営のお話
          6本

        記事

          第二回-アイドルに教えられたこと

          民宿ゲストハウスの経営で出会った人、起きた出来事から人生を豊かにするヒントをお伝えする「人生の旅コンシェルジュ」。 今日はつい先週のお話 自称「ゲストハウス・アイドル」。略して「ゲスドル」。 ニックネームの響きはまあアレとして(笑)、彼女との出会いは去年の年末頃かな? 私の経営するごーやー荘のクラウドファンディング「エナジャイズプロジェクト」のパトロンになっていただいたことから。 パトロンになっていただきSNSで連絡取り合って初めて「ゲスドル」の存在を知りましたが、

          第二回-アイドルに教えられたこと

          第一回-風になった仙人

          今から10数年前、ごーやー荘に3~4年くらいリピーターとしてお越しになられていたお客様がいらっしゃいました。 自称「風の仙人」 関西のおっちゃん。病気を患いそれから身体が片麻痺に。それでも暑い夏は北海道に、寒い冬は沖縄にと長期滞在をするのが年中行事でした。沖縄にはミーニシ(新北風)が吹く頃にやってきます。というと「風の仙人」っぽく聞こえますね。 あちこちの旅先で旅人のファンを作っては仙人の便りを送ってました。私にも夏は北海道の消印の絵葉書が届いていました。 そしてごーや

          感謝!

          このマガジンでごーやー荘の歩みを連続回で書き綴りました。これに先立ちごーやー荘ではクラウドファンディング(以下CF)をやっていました。ごーやー荘のウェブサイトをリニューアルしたり古民家ならではの問題である老朽化。これを改修するためのCFです。 CFでは多くのパトロンからの支援を頂きました。このノートを読んでいらっしゃる方の中にもパトロンがいらっしゃるかもしれません。本当にありがとうございました。 開始当初は仲の良い人から早速支援ももらえたのですが、すぐにパトロン数も伸びなく

          第五回- 「沖縄のど真ん中でこれからを叫ぶ」

          沖縄への観光客1000万人時代を目前に控え、この沖縄市もこれから一万人収容のアリーナが出来、泡瀬ベイ東部海浜エリアにビーチが開発され、沖縄市も観光客やイベント目的の旅行客が増えてくると思います。これからコザの街も少しずつ観光客・旅行客向けのお店も増えてくるかもしれない。そんな中で、ごーやー荘と自分の役割としての想いを綴ってみます。 原点現在も行政が進める中心市街地活性化事業、それでもまだ寂しいコザの町中にあるカフェバーのマスターに言われたのは「それぞれのお店が楽しそうに営業

          第五回- 「沖縄のど真ん中でこれからを叫ぶ」

          第四回−「人生の旅コンシェルジュ」

          何回かに分けてお客様との思い出を語ってきましたが、なにも三線やエイサーなど伝統芸能を目的とした人たちばかりではなく、普通の旅行客、ビジネス客、学生さんの合宿そして沖縄では移住者もいらっしゃったりするので、そういったいろんな方々との出会いも、この宿業の醍醐味です。 最初の頃は観光というより旅人といった感じの人達が多かったです。情報交換したり料理を持ち寄ったりして酒を酌み交わす、そんな出会いを求める人達が多かったです。ごーやー荘繁盛記も開業から3ヶ月ほど経った7月下旬からは連日

          第四回−「人生の旅コンシェルジュ」

          第三回−「三線とエイサーが取り持つ輪」

          三線とエイサー。どちらも沖縄の伝統芸能です。 三線は言わずと知れた沖縄の伝統楽器。ニシキヘビの革が見た目にも特徴的な楽器ですが、この音に「癒やされる」「沖縄に来た気分になる」といろんなお客様に言われます。 そしてエイサー。旧盆に踊られる沖縄の先祖崇拝の伝統芸能。三線の音に合わせて太鼓をたたきながら踊る勇壮な芸能です。 この2つはごーやー荘の代名詞と言ってもいいかも知れません。 三線の輪私の三線経歴はごーやー荘の歴史と同じ年数。初めて演奏した曲は「てぃんさぐぬ花」という沖縄民

          第三回−「三線とエイサーが取り持つ輪」

          第二回−「助けられた一冊の本」

          晴れて営業許可も降り、開業した古民家民宿「ごーやー荘」。しかしそのスタートは華々しいものではありませんでした。 営業許可を取得して1ヶ月も経たない4月中旬、GWに間に合わせようと予約体制も整っていない中での見切り発車で、最初のお客様が来るのに1週間近くかかりました。 それでも初めてのお客様は今でも覚えています(実はウェブサイトのトップページに15年変わらずに写真が載ってます(笑))。 全国デビュー2003年当時はインターネットのISDNやADSLと言った常時接続が家庭でもほ

          第二回−「助けられた一冊の本」

          第一回「ごーやー荘の誕生秘話−不思議な巡り合わせが生み出した古民家民宿」

          沖縄本島のど真ん中。生活に観光に便利な街 沖縄市。そんな街の中心部にほど近い場所に佇む瓦屋根の古民家。 開業から15年、地域に根ざした宿として時を刻む「ごーやー荘」は、これまで延べ1万8千人近くの国内・海外のお客様にご宿泊頂きました。 オーナーは皆から「秀」(ひで)と呼ばれる私 野下秀広。長崎県出身。というと「民宿をやりたくて移住した島ナイチャー」というイメージを持たれることもしばしばですが、1987年から4年間大学時代を沖縄で過ごし沖縄の人と結婚した「ウチナームークー」(

          第一回「ごーやー荘の誕生秘話−不思議な巡り合わせが生み出した古民家民宿」

          エイサーのことを熱く語る その1

          先週末、沖縄市のミュージックタウンで今年最初のエイサーナイトが開催された。沖縄市では10年前からエイサーで町おこしということで6月中旬から毎週末、どこかしらでエイサーのイベントが行われている。 本来エイサーとは旧盆にやる伝統芸能で特定の時期にしか行われないものである。しかしエイサーのイベントをやるとなると多くの人が集まるので小さな集落(中学校の校区くらい)での夏祭りや秋祭りでも行われるし、店舗の新規開店なんかでも踊られるし、さらには賛否あるが沖縄の結婚式の余興でもカリーづけ(

          エイサーのことを熱く語る その1

          この街(コザ)のこと その3

          前回のつづき 活性化の名のもとにハコモノが建ったりイベントが行われたり。このこと自体はたぶんどこの地方自治体でも似たり寄ったりなのだと思う。 私自身も関わってきたのであまり悪くはいいたくないが、コンセプトはいいんだ。 「音楽のまち」「エイサーのまち」。 ただこれらのコンセプトを掲げても、人が集まるのはイベントの時ばかりで、それも「無料だから」来る人がほとんど。イベントに行くとだいたいいつも同じ顔がいる(私もその一人だが(苦笑)) 本来は無料イベントで人を呼び込んだな

          この街(コザ)のこと その2

          前回の続き。 前回は伝聞調でこの街(コザ)のことを書いた。「~と言われていた」「~と聴いている」。それもそのはず。私は1960年代~70年代のコザ市時代をしらない。私は民宿の主の仕事の傍ら、「コザまちまーいガイド」としてこの街の観光ガイドとしても活動している。その活動の中でこのコザ時代のことは自分なりにも勉強したつもりだ。 私の出身は長崎県。1987年、およそ30年前に大学進学で沖縄に来た。なのでそれからの沖縄しか目にしていない。その頃は大学の近くの宜野湾市というところに

          この街(コザ)のこと

          沖縄県沖縄市 と言っても県外の人にはあまりピンと来ないらしい。沖縄県といえば那覇市くらいしか市名が出て来ないのではないだろうか。 人口約14万の県第二の都市。といえばそんなに大きな街なの?と意外そうに驚かれる。 音楽のまち、エイサーのまち、スポーツコンベンションシティ、国際文化観光都市、こどものまち。この街を表すとき、いろんなキャッチフレーズがある。 最近ではバスケットリーグの琉球ゴールデンキングスのホームタウンと言うと、結構知名度がある。 しかし、ちょっと年配の人なら