スライド2

社会の中で居場所をつくりたい。マネージャーの彼女が「福祉と民間のはざま」で働き続ける理由

ゼネラルパートナーズで活躍する女性マネジャーのうちのひとり、鈴木房子。「あえて話すほどのキャリアでもないけれど……」と前置きしながら、いつも笑顔で働く裏にあった想いや葛藤を話してくれました。今回は、ゼネラルパートナーズの中でも長い社歴を持つ彼女のキャリアをひも解きます。


学生のころから漠然と、働く女性にあこがれをもっていたけれど

鈴木さん1

▲2005年、まだ創業間もないゼネラルパートナーズへ入社


私がゼネラルパートナーズ(以下、GP)に入社したのは創業間もないころでした。入社から13年がたった2018年現在は、発達障がいの方専門の就労移行支援事業所である「リンクビー秋葉原」と聴覚障がい専門の就労移行支援事業所が併設されている「いそひと大手町・リンクビー大手町」の2拠点で施設長を務めています。

就労移行支援事業は、障害者総合支援法に定められた障がい福祉サービスのひとつです。就職のためのスキルアップ研修をはじめ、障がいに関する自己理解を深めるワークやストレスマネジメント研修、就職活動のサポートなどを行なっています。


私は新卒ではアパレルの営業をしていました。中学生か高校生のころから漠然と、仕事で活躍している女性にあこがれをもっていましが、私が社会人になった当時は、就職氷河期真っただ中で、かつ、女性の就職先として男性同様に門戸が開かれているわけではありませんでした。

そこで、当時女性総合職採用をしていたアパレルの会社を受け、入社することにしました。

時代が時代だったこともあり、今では考えられないほどハードな職場でした。でも気の合う同期や社員がいて、「人」に恵まれてなんとか7年続けます。その後、掲げていた「良い点にフォーカスした組織変革」という理念に惹かれて人材コンサル会社に移りましたが、妊娠をきっかけに退職。

しかし、仕事を辞めて時間ができてみたら、「社会とのつながりがないまま、置いていかれてしまうんじゃないか」という焦燥感が出てきました。

まだ、周りの友人もまだ結婚していなかったり、同僚も子どもがいなかったり、みんな働いてキャリアを築いている中で自分だけ取り残されているんじゃないかという感覚があって。しかもひとりで子育てするのもすごく大変で(笑)、やっぱり仕事がしたくなりました。


出産後は働きたいと思っても、働いていないのでもちろん保育園には入れないわけで。保育園に入れられないとなかなか面接も行けなくて、一度キャリアが途切れてしまった後の再就職の難しさをまざまざと感じました。

出産前の営業職がとにかく残業続きだったので、育児との両立はあきらめて子育てをしながら働けそうだなと、派遣で事務の仕事をはじめたのですが、やりがいを見い出せなくて。2人目の産後に「また働きたいな」と考えている時に、GPを創業したばかりの進藤均(代表取締役社長)から電話があったんです。


代表からの突然の電話が、入社のきっかけだった

鈴木さん2

▲大学時代の鈴木(前列中央)と、代表の進藤均(後列右端)。
彼は同じサークルに所属する仲間のひとり。


GPでもあまり知っている人は多くないんですが、実は私と進藤は大学の同級生で、かつ、同じサークルの仲間だったんです。“大学時代=サークル活動”みたいな生活でしたので、青春時代を共に過ごした感じ?(笑)。卒業後はあまり連絡はとっていなかったので、突然の電話にはびっくりしました。

「今何してんの?うちの会社で働く気ある?」と言っていただき、HPを見たら「素晴らしい会社じゃ~ん是非!是非!」となって(笑)。当時まだ子供が2歳と0歳でしたので、「1日5、6時間しか働けないけどいい?」と伝えて、「それでもいいよ」と言ってもらえ、最初は本当にお手伝いみたいな感じから始まったんですよね、実は……。


短時間勤務とはいえ、仕事と育児の両立は大変なことばかりでした。0歳と2歳の子を保育園に預けていましたが、同じ保育園に入れず、別々の保育園だったので送迎も大変。下の子は小麦・大豆・卵・乳製品……などほぼすべての食品に食物アレルギーがあり、その対応も本当に大変でした。

でも仕事はとても楽しかったし、正直自分ひとりになれる時間ができ、ありがたかった。実は本格的に大変だったのは、子どもが小学生に上がったときでした。

わずかですが残業もするようになると、娘から「なんでうちのママは家に帰ってくるのが遅いの?」と泣かれることもしばしば。親子でワーワー泣きながら「あ~もうだめだ……」と、会社を辞めることを本気で考えていた時期もありました。仕事も家庭もどっちも中途半端な自分がすごくしんどかったです。


それでも子育てが一段落してきたいま、振り返ると、仕事を続けてきてよかったなと思います。当時と比べると社会で働く女性も明らかに増えてきて、GPも徐々に制度が整い働きやすくなりましたし、同じ思いや考えを語り合える仲間もできた。子どもが手を離れてきた今、自分もやりがいのある仕事ができていることは救いです。あんなに大変だったけど、辞めなくてよかった!(笑)

娘が高校1年生になり、いろいろな話ができるようになってきたのですが、大学進学や進路の相談をされている時、社会的な目線で話ができるのは仕事をしてきたからこそかなと。ニュースで聞いた話とか過去の自分の話ではなく、仕事をしながら感じる世の中の流れとか、過去ではなくて今の価値観みたいなものを子供たちと話ができる気がしていてうれしいです。


福祉と民間のはざまにある事業だからこそ、高い水準でサービスを提供できる

鈴木さん3

▲マネージャーとしての私の役割は、メンバーそれぞれの強みを活かすこと


入社当初は総務のサポートような仕事をしていましたが、その後は、しばらく人事を担当していました。社員の採用では、GPの良さである会社の事業やサービスを応募者に伝える機会が多くありますし、人事制度を構築するにあたっても現場の業務を経験していないことは、このままGPの人事としてキャリアを積んでいくにはネックになるなと思っていたんですよね。

子どももある程度大きくなり、時間を取れるようになったので、現場への異動を考えるようになりました。その時、就労移行支援事業がこれからつくり込んでいくタイミングだったのと、移行支援事業そのものに興味があり、「もし異動できるなら就労移行へ」と希望しました。

最初は、当時サポートできていなかった統合失調症の方を対象にしたリドアーズを立ち上げた後、施設長を2年経験し、現在に至ります。経験のないことばかりでしたので大変苦労もしましたが、自分の意思が直接反映できる現場の面白さを改めて実感しています。

就労移行事業の事業所では、職員間での打ち合わせで利用者さん一人ひとりに対して丁寧に支援策を議論していきます。課題を確認するのはもちろんですが、できる限りポジティブな面にフォーカスすることを心掛けています。支援をする中で少しの変化も見逃さず、良くなった点など共有し合い、利用者さんの就職が決定した際などは職員みんなで本気で喜び合っています。その瞬間は、特にうれしいひと時です。


あと、目標数字を達成していくのも好きなんです。

就労移行支援の事業は「福祉と民間のはざま」と見ることもできると思います。 私は売り上げを上げることって全然悪いことじゃないと思っています。民間会社が運営している限り資金は必要です。売り上げを上げるから、いい人を採用できる。

その人に高いパフォーマンスを出してもらって、そうすると利用者さんにいいサービスが提供できる。すると利用者さんが、希望の就職先に行けるような支援ができるわけですね。

高い水準で循環をつくっていきたいから、そういう意味で、売り上げを達成することにはコミットしていきたいし、それが人のためになっているというバランスが好きです。


移行の事業所ではチーム支援が大事だと思っています。事業所の社員は6~8人ですが、それぞれに違う経験や強みがあります。たとえば、上司役で採用した方は、福祉の経験はないけど企業で上司の経験がある方です。

一方で、福祉の業界で支援をずっとしてきた方もいます。利用者さんが企業のことでわからないことがあれば、上司役の方に話を聞けばいいし、メンタルが落ちて悩みを相談したいということなら、寄り添ってくれる方に話をすればいい。それぞれが経験や強みを活かしていただくことで、個々の強みが掛け算になり、チームとしての力になっていくと思うんです。

マネジャーの私もできないことはたくさんあるし、全部できなくてもいいと思っています。それぞれのメンバーがそれぞれの強みを出せるよう、いつも楽しく笑いあえる職場・雰囲気づくり、つまりは安心安全な働く場所をつくれるように常に心がけています。


私もみんなも、“居場所”がほしい それをつくるのが私たちGPの仕事

鈴木さん4

▲生きづらさをなくし、フラットな社会をつくりたい


私は、人間には”居場所”が必要なんじゃないかと思っていて。利用者さんの中にはいままで安心した居場所を感じることができずに、現在に至っている方が少なくないように思います。

発達障がいの方は、病気と診断されるまでにも「何か人とは違うな」という違和感を抱えがちです。家族の中にも、学校という社会の中にも居場所がなくて、友達とも分かり合えない。ありのままの自分を認めてくれる存在、安心安全な場所を感じられないことは、すごく苦しいことだと思います。

リンクビーは「自分らしく生きる」を支援の方針としています。ありのままの自分を自分らしく生きるためには、安心安全な場所、“居場所”が必要ですよね。様々な職業スキルを身に着けることも大事かもしれませんが、利用者さんが「ここは居場所なんだ」って感じられる場所があれば、就職でも何でもうまくいくのかもしれないな、と最近感じます。


私もきっと、家庭という場所以外に、社会の中にも居場所が欲しかった。とてもシンパシーを感じるし、だからこそすごくこの仕事にもやりがいを感じます。

入社のきっかけは進藤からの1本の電話だったわけですが、私はフラットな考えを昔から大事にしてきました。肩書きがある人が偉い、立派だと思うことももちろんありません。ましてや、“障がいがあるから”“マイノリティだから”という理由で生きづらさを感じる社会ってすごく変ですよね。良い社会なわけがない。


GPは、入社した時と今では仲間も沢山増えましたし、多くのことが変化しました。ですが、大事な根っこの部分は何一つ変わっていないと思うんですね。現在感じている問題や目指す社会というところで私はすっごく腑に落ちている。

「なんかおかしいよね」と思うポイントが同じ仲間と仕事ができること、所属している会社のビジョンに自分が納得できていること。コミットして働き続けられているのはそれがあるからなんだと思います。



この記事が参加している募集

社員紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?