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物語2 『肉体的な成長をするためにはリアルを体験する その2』

①世捨て人にならないようにしましょう

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大天使ミカエル:(※以下「大天使ミカエル:」の記載を省略)
潤さんあなたも精神的なものに行きがちではないですか、こういうスピリチュアル性のものに興味をもって仕事をしているので、精神的なものに興味を惹かれがちでしょう。


あまりにもこの世の中が汚れていると思いすぎないように、これはこれで、その中をうまく泳ぐ、楽しんで行きていくということももう少し身につけていけばいいんではないでしょうか。

あまりにも思苦しい、辛い世の中だと、息苦しいだとか、世の中に対して思いがちだけど、そうではないですよ。
あなたたちが思うほどこの地球は悪いものではない、ただそれは肉体的なものをもっと、感覚を大事にしていけば、この世界、今の地球はもっと生きやすくなるはずです。


この地球に精神的なものばかりを求めて生きていくのはお門違い、本来の目的からするとそれは違いますよ。
精神的なものに満足していたら地球で生まれてくることはありませんでしたから、厄介な重力、重しみたいなものをわざわざ選んできたということはそれを楽しまないと本来この地球を選んだ意味はないではないですか?


自分は弱い、この世に生きづらいということも正当化してあなたはしていますが、それでは成長は見込めません。


あなたが弱いと思っている殻や、バリアーを張って、生きにくいものであると自分にレッテルを決めつけることで自分を守っている。
もうその殻から出なければいけないことは分かっていることでしょう。
ただ、それは自分にとって楽である、正当化できる、弱いというシェルターに自分が逃げる架空のものを作っているのだが、そうではない。


②小さなことはコミュニケーションや愛の積み重ねであり、その積み重ねが自分を強くしていく


潤:優しい人たちに何かこの世の生きにくさに対するアドバイスやメッセージはありますか?

誤解して欲しくないですが、優しいと弱いを混同してはいけない。
真の優しさは強さでもあります。
本当の意味での優しさというのは強さも内包しています。


そういった強さというのは力の強さではなくて、
相手を許し受け入れる、愛する、そういったあなた方がいうような人間力、包容力というもの、それが強さです
それが真の強さです。

あなたがいう優しさというのは、センシティブな、傷つきやすいもののことを言うのではないですか、先ほどじゅんさんに伝えましたよね、優しすぎる、弱すぎると言いました。

だからと言って優しいことが弱いと言うことではないです。
傷つきやすくて、弱くて逃げようとするところがある。
醜いものを見たくない、自分はこの世界に生きづらいと言うことを言い訳にしている。

優しさというものはマリア、キリスト、神から遣わされた人々を見てきてもわかるように彼らは優しさもあり、強さもありますよね、優しさというのは弱いという解釈は違います。

私は優しいから弱いのである、
弱いから傷つきやすい、だからこの世界では生きにくいという風に解釈してはいけません。
ですからそのために地球を選んで、いろんなことを選んで、


真の強さというものを身につけていかなければなりません。
勇気がいることでしょう、引きこもっている、私は優しいから世間から引きこもっている、それは優しさではありませんよ。
やはりどんどん出ていかなければなりません。

傷つくことを恐れてはいけません。
そういった体験をする中で、自分が本来持っている強さというものを体験することによって、知ることでしょう、そこから真の強さ=優しさというものを知ってください。

そういうものをあなたが私に質問したというものは、優しい=弱いという認識の誤解を解くためにあなたに伝えています。
光の子というものはもっと強いものですよ。

優しい=弱いではありません。
それを一つずつ、身の回りにできることから、実践していくことが大切です。
それは修行ではなくて、日々の些細なことに愛をかけていく、ほんの小さなこと、身の回りで、大層なことではなく、その積み重ねが、あなたの本来の強さを呼び覚ましていくのですから、


そしてある日、自分は思ったより弱くない、強いというのをある日気づくものなのです
焦らないでいい、そしてそれはそんなに大層なことではない。

小さな日々の積み重ね、意識するレベルほどでもない愛の積み重ね、美しい花がある日あなたの心の中に咲いてることに気づくでしょう。一面のお花畑を咲かせようというようなことはしなくていい。
足元の花一輪を大切にする。

それを咲かせることを大切にする、それであなたは強くなっていきますから。
それはあなたの強さや弱さを同じところで天秤にかける、同じ土壌でそれを優しさと弱さを同じレベルで土俵で測ろうとすることはそういったことも考えないで良くなるでしょう。
日常で小さな愛の花を咲かせることで十分。



③肉体を使ってコミュニケーションを行っていくと、自分が強くなっていく不思議

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潤:小さな愛の具体的なことってありますか?

目の前の人に対して思ったポジティブな言葉、褒めるとか、そういったものは惜しげなく、思ってるだけでなく、(言葉や体の表現で)出したらどうですか
美しいね、可愛いね、美味しいね、そういったポジティブな言葉を目の前の人に遠慮せずにかけることです。

電車の中で例えば席を譲ろうとか、そういったときに躊躇する前にどうぞと声をかける。
重い荷物を駅で持っている人がいれば、すぐさま駆け寄るとか、妊婦さんとか辛そうな人を見かけたらすぐにその人に行動に移す、その行動に写すということが、肉体的な成長ということにつながります。

電車の中で例えば席を譲ろうとか、そういったときに躊躇する前にどうぞと声をかける。
重い荷物を駅で持っている人がいれば、すぐさま駆け寄るとか、妊婦さんとか辛そうな人を見かけたらすぐにその人に行動に移す、その行動に移すということが、肉体の成長ということにつながります。


そういった表現を肉体的に使いなさい、言葉を使う、相手を褒めるということが、肉体を使って愛情を表現しなさいということなのです。
体を通して愛を表現するということですよ。


それは大層なことではないですよね。
それがすなわち肉体を使って愛情を表す。
あなたの愛を五感、話す、行動に移す、言葉をかけるとか、五感を使って目に見えるとか、相手にわかるようなやり方で伝えなさい。


あなたの愛を五感、話す、行動に移す、言葉をかけるとか、五感を使って目に見えるとか、相手にわかるようなやり方で伝えなさい。
それがすなわち肉体を使って愛情を表す。


広い意味でいうと肉体的な修行は(生まれた時から)始まっていますよ。
日常レベルで簡単なことから実践して行きなさい。
それがすなわち肉体の修行であります。
簡単なことですよね、明日からでもできますよね。
それが魂と肉体の成長ということでもあるので、個々の持つものが成長を持つ強さですよ。


肉体的な五感を通じた修行でもあります。
それが魂と肉体の成長ということでもあるので、個々の持つものが成長を持つ強さですよ。
肉体の成長の強さというのが真の強さ、優しさ。


それが肉体、精神的な強さが備わって初めて優しい、強さというものになります。
そのために特別なことをする、言葉をかける、身の回りのこと、家族、兄弟、職場、身の回りの人に簡単なことでいいので、ポジティブな言葉をかけたり、行動を移すということをしていけば、肉体的な五感を通じた修行でもあります。



潤:他に肉体を使って表現することの具体例はありますでしょうか?

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例えばスーパーでレジの人にありがとう、と返す。
言い換えるとコミュニケーションでもあります、コミュニケーションと言い換えれば良いでしょうか。


潤:つまり全体的に今回のお話をまとめると、
①強い人間になっていくためには肉体を通して実践していけるコミュニケーションや小さな愛を行っていく必要がある。それで自分本来の強さを呼び覚ますことができる。
②コミュニケーションは小さな愛の積み重ねであり、それが肉体的な修行にもなる。
③人は精神的な成長を求めがちだが、(今回のテーマで語っているような)肉体的な成長をもっと頑張って欲しい(とミカエルは勧めている)

ということですね。
肉体的なコミュニケーションをなめてはいけなさそうですね。
精神的なものを追求してきた人にはとてもギャップがあって人間臭いテーマですね。



五感を使うというのは、体、話す、聞く、味わう、言葉で持ってコミュニケーションを図る、そこで愛のある言葉を交換し合う、ご苦労様、おはようございます、ありがとう、ごめんなさい、そういった挨拶も言葉という五感を使って肉体を使った修行、トレーニングなんですよ。

例えば今電車の中でスマホを使って、外部との接触を極力避けようとしていますよね、自分の外界から遮断しようとしていますが、それは悪い情報だけではなく、いい情報、良いコミュニケーションも遮断していることでもあります

ときには悪い情報を遮断することも必要ですが、いつもいかなる時も外部を遮断することではありません。
なぜならあなたは一人では行きていけないからです。
一人で生きていると思うのは傲慢なことです

あなたがいつもしているヘッドホンを外しなさい。
あなたの世界にいつも閉じこもってはいけません、それは引きこもりも一緒です。
外の世界から遮断するということは弱いという言い方もあるけど、ある意味傲慢なことです。


一人で生きて生きたいという思いもあるのです。
それを自分が悲劇の、世の中の不幸を背負っていると思うことは傲慢なことです。
あなたはあなただけの世界で回っている訳ではない、そういうためにも他者を知る、ときには面倒でしょう、あなたの論理は他の人の論理と合わない場合がある、魂の進化の度合いと違うので、ぶつかること、相いれないことは当然のことです。


それが受け入れられないから引きこもるというのは傲慢なこと以外の何ものでもない、それが悲しみを背負っているという風に受け止めるのは違います。
弱いから引きこもっているという言い訳ではなく、他者と自分が違うと思って自分中心にならないから、引きこもるというのは違います。

親の庇護があるからあなたは引きこもっていることができるんでしょうということになります。
傲慢さと弱さをすり替えてはいけない。
自分が弱者であると思いたがるものほど、凶悪なことをして、人の命を奪うような残虐なことをするでしょう。

本当に弱い人がそのようなことをしますか?

それは自分が虐げられている弱者であるということを他者を攻撃していいと、すり替えている、学びが足りない、そのものが本来学ぶべきことが学べなかったという悲しいことだけれども、その者がそういう形で何か、他者に対しての学びの元になっているのかもしれない、そういう役割をその(学びが足りなかった)ものは与えられてるのかもしれない。


潤:本当に弱い人が残虐な恐ろしいことはできないのでしょう、そういうことができる人はその行為に正当性を持たせることができる人なので、自分が何に対して正当性の持たせるかはちゃんと選んでいきたいですね。

今回のお話を通して私が思ったのは、「東京の人は冷たい」とよく言われていますよね、例えば東京に住む人のいくらかがミカエルが語ったようなコミュニケーションを取り始めていけば、街を歩いていて、知らない人と会話のきっかけが増えることになり、

そういうのが日常的なものになっていけば街に対しての見方もよくなるし、人に対しては「人と関わるのっていいね、楽しいね」という風な見方が自然と社会に対してできるようになるんじゃないかと思いました。

外を歩いても人との間には遮断の壁があって、繋がるきっかけなんてなく、勇気が必要になってしまいます。

この私たちが作っていける社会が行きつくパターンにはそういう選択肢もあるんだよと思ってもらえれば嬉しいです。
今の社会は何も行われないのであれば、そのままだし、しかし別のビジョンに沿ってつきうごけば、そのビジョンの社会に近いていく可能性はあると思います。
そのビジョンをいくらかの人でもイメージできるようになれば、そのビジョンの力は強まり、再現しやすくなるのだと思います。

今の社会は私たちの前の代が作ってきたもの、私たちのお父さんやおじいちゃん、そのまた上の代が残した社会です。
託された社会は私たちが変えることができ、生きやすい社会を作ることができるし、そういう(コミュニケーションが豊富に行われる社会であるという)選択肢がある、存在すると思ってもらえれば幸いです。
ビジョンがあれば実行に移すことができる。

だけどビジョンがないと実行に移すことさえできない、今回はそんなビジョンがあるんだよという一つのお話でした。
最後までお読みくださってありがとうございます。

いつも読んで下さりありがとうございます^^本などの学び代に使わせていただきます。皆様にさらに価値のある情報を届けられるようにします!