ぽつり。【風の子さんの守護ガイドさんからのメッセージのその後】
風の子さんのこちら↓の企画に応募したのは、10/19のこと。
(現在は無料募集は終了しています。)
守護ガイドさんからこんなメッセージが受け取れる。
・今、ガイドがあなたに伝えたい事。
・愛について。(愛とは何か)
そして、風の子さんからのメッセージに気づいたのはBIPSのワークショップ初日だったと思う。
BIPSのワークショップはものすごく濃いので、全部を逃さずに吸収したくて焦っていたわたしは風の子さんに「終わってから確認します」と取り急ぎメッセージを送ったのだけれど、どうしても気になって、夜にこのメッセージを受け取った。
「わたしはひとりだ」
たしかにいつもそう思っているのだけれど、自分ではそう悪いことではないと思っていた。
ひとりでさみしいと思う時ももちろんある。
けれど、ひとりで立てる、そしてその上に自由があるということはわたしにとって一番大事なことだ。
むしろ、子どもが産まれてからひとりの時間がとれなかったことは離婚の一因だったと思っている。
「母の時間」「妻の時間」「働く時間」…自分だけの時間がなかった。
今はバイクをひとり走らせる夜、「寒いのも悪くない」としあわせを噛み締める。
ひとりを味わうときは失ったものや得たもののことを思うからか、いつも少しだけ寒くて、だけどだからこそ内側がきれいに澄んでいくような気がする。
まぁ強がりなのかもしれないけれど。
でも、いろいろな存在?にいつもこんなようなことを言われる気がするから、なんかあるんだろう。
YUKIEさんのリーディングでも「ORPHANED/孤児」のカードを引いていたしね笑
けど、今度こそ心当たりがないんだよな。(勝手に終わった気がしてた)
守護ガイドさんからのメッセージでのわたしのイメージはこんな感じらしい。(風の子さんビジョン)
そのとき受けていたワークショップでは、「境界線」ということがテーマでわたしはその境界線を引き直すべく、赤ちゃんと子どもをやり直した。
自分の少し外側に境界線が引かれると、自分と境界線の間に生あたたかい空気が注ぎ込まれ、わたしは少し安堵した。
境界線がないと、ひとは吹きっさらしのまま生きていくことになる。
健全な境界線とは家と同じような意味合いを持つのだ。
境界線の内側の空気は外界の冷たい空気を少し和らげる。
攻撃を受け止めるクッションになり、侵害から身を守ってくれる。
境界線がなければ、外側と内側の空気や水はすぐに混じり合い、汚染あるいは中和されてしまう。
ひととひととの間には、「間」が必要だから人間なのだ。
間のない会話は息苦しいし、仲間にはちょうどよい距離感は不可欠だ。
わたしは、ずっとこの「間」を上手に取ることのできない人間だった。
だから、必要以上にひとを遠ざけてあえてひとりになる必要があったのかもしれないと思う。
だってひとを好きになって近づけば近づくほど傷つけ合うなんてそんなの耐えられない、そう思いません?
だったら、何も期待しないで最初からひとりでいた方がいいじゃない?
「あなたは諦めているのよ」
それは、目の前の世界に参加せずに、現実を遠巻きに見ているということ。
諦めていることも実はいろいろある。
例えば、目の前のでっかい男の人に絶対に力で敵わないってこと。
女であるということに絶望している。
それは女である利点と足し算をしたとしても、プラマイゼロになったりはしない。
でも、最近違ってきたと思っていた。
目の前の世界に素手で触って、ひとに向き合ってちゃんと関わろうとしているつもりだった。
「諦める」の手前で、なんとか踏みとどまっているつもりだった。
ふと、思い出した。
瞑想のときだったか、何かのワークをしているときだったか。
出産のときの記憶だった。
わたしは、分娩台の上にひとりでいる。
下半身丸出しの状態で、分娩室に置かれた高い台の上に横たわっている。
隣の分娩室から熱気が漂ってくる。
少し前にお産が始まり、医師も看護師もみんなそっちに行ってしまった。
わたしは広い分娩室にただひとりここに取り残された。
床から冷気が漂ってきて、寒く物悲しい。
腰に激痛が走る。数分おきの陣痛に襲われる。
ここから落ちたら、事故として扱われるのだろうか、とふと考えるけれどそこまでの高さがなくて残念な気持ちになる。
今も、わたしの一部がこの冷たい分娩室に取り残されている。
置いていかれることが苦手だ。
誰でもそうだろうけど。
置いていかれると、何もできない小さな子どもに戻ってしまった気がする。
小さいころ、わたしの母はいつも寝ていた。
さみしくなったわたしは、何度も何度も母を揺り起こすけれど起きない。
邪険にされる。
置いていかれたら最後、もう追いかけたとて邪魔にされるだけで、もうどうしようもないのだ。
男女関係でも同じ。
わたしは、置いていかれるのがいやで先にひとりになることにしたのだ。
BIPSのどんな話だったか思い出せないけれど、手を前に伸ばすことができない子どもの話があった。
わたしもそうだ。
誰かに助けて欲しくて、ひとは手を前に伸ばす。
けれど、わたしは怖くて手を前に出すことができない。
そんな自分をワークショップではじめて知った。
縮こまって動かない腕を無理やりにでも前に伸ばすのだ。
そうすれば、同じように取り残された誰かに手が届くかもしれない。
最近そんなことを考えている。
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