タイムフリーが終わる前に♪9の音粋(#キュウオン)「YMOのいないYMO特集」2023,11,20つまみ聞き

校内暴力真っ盛りヤンキー教室から逃避しテクノを聞いてサブカルが欲しかった中2時代の混沌を経てYMOを語るDJとドリカムからYMOへ後追いファンDJ2人の音楽トーク番組bayfm9の音粋(#キュウオン)月曜日。2023,11,20《YMOのいないYMO特集》タイムフリーが終わる前に是非お聞き下さい!ここではちょっとつまみ聞き。DJはスージー鈴木(スー)ミラッキ大村(ミ)

スー)2023,11,20第190回おっと!200回ももうすぐだ、と。今晩は「人類の進歩と調和」
(☆SE「ハジケ子ちゃ~ん!」自作SEマシーン)スージー鈴木でございます。
ミ)ミラッキ大村です。
スー)リスナーイベント「Eの音粋」(11/18大井町E-Lounge)がこの前土曜日ありまして、大盛り上がりという事でフフッ。
ミ)ありがとうございました。
スー)皆さんNO TWEETありがとうございます。(○○は嫌だ等“ここだけの危険トーク”があった^^;)
ミ)フフフッ。
スー)ラジオネームこなおさんからメール来てますね、こなおちゃーん!(☆9/4オンエア回からスージーさんが所ジョージの『Do Do Do』から切った「ハジケ子ちゃ~ん!」という音声をSEで多用し、通常のトークの中でも言っている^^;)《サイレントリスナーでしたが、驚きのあまり初めてメールします。「Eの音粋」に参加しました、クイズに正解して最後2人になりお相手の方とじゃんけんしました。お相手の方が御近所さんだったという》最後、盛り上がってましたね近所の話で。
ミ)リスナーさん同士で奇跡が起こりましたね。
スー)スージー鈴木カルトQというクイズで正解者最後2人が、非常にご近所さんだったと事でした。ありがとうございます、盛り上げて頂いて。
ミ)またやりたいと思ってますよ。
スー)半年に1回くらいやりましょうかね。よう喋ってましたね。
ミ)喋りましたねハハッ。
スー)さて、いよいよ《YMOのいないYMO特集》11/25がYMOのデビューした日、デビュー45周年。サザンとYMOは同じなんですね。1978年私が小学校6年生の時の事ですけれど。リアルタイムで私はYMOを直撃しまして、皆さんご存知のように、ミラッキさんが後追いですけどYMOに詳しいと。“YMO愛”がありますので今日はいつもの構成を変えまして、ミラッキさんと私が同じ曲の数、私がいつも歴史とか含めて理屈っぽい話をしてますので、今日はミラッキさんに深い話をしてもらい、私は1980年YMOピークの年のですね思い出話という事で、縦糸・横糸でやって行きたいと思っております。なので今日はミラッキさんから行きましょうかね。
ミ)はい、YMOがデビューする前の音楽からYMOを紐解いて行きます。
☆リズムの人細野晴臣に’74久保田真琴が紹介し、トロピカル三部作「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」「はらいそ」に大きな影響を与えた。
♪喜納昌吉&喜納チャンプルーズ『ハイサイおじさん』’72
☆坂本龍一がこの曲を分析して『テクノポリス』を作った。ベースパターンの近似性。
♪ピンク・レディー『ウォンテッド』
スー)1980年YMO全盛期ですけれど、大阪視点で行くとYMOはヤンキーとの親和性が高かったんですよ。漢字で『公的抑圧/パブリックプレッシャー』って書くとか人民服とか、竹の子族がYMOで踊ったとか、風俗化したんです。で、一緒にYMO以外のテクノポップが出て来たんですよ。それがテクノポップ御三家と言われる、プラスチックス、ヒカシューそしてP-MODELなんですけれども、定番シリーズで私が一番ガーン!と来たのはプラスティックスなんですよ。なぜかと言うとYMOまではヤンキー聞くんですよ。横浜銀蠅、アナーキー、YMO。しかしねぇプラスチックスまでは来ないんですよ。
ミ)ハハハッ。
スー)なのでここで文科系の主張をしようと。『ダイヤモンドヘッド』という曲プラスチックス2枚目のアルバム(「ORIGATO PLASTICO」‘80)からかけたいと思います。リズムボックス(今はリズムマシーンと言う)を使ってるのが新しかったんですよね。後ねぇ聞いて頂きたいのはリフがあるんですよ。テクノポップっていうのは。♪タッタータタタタっていうのが繰り返す。後にトーキングヘッズ(※米ロックバンド’74-‘91)とかの影響だと知るんですけれども、そん時はディーヴォ(※米ロックバンド’73-’91,’96-)もトーキングヘッズも知らなくて、これと言えばプラスチックスでした。少年時代中2の9月に出ました、プラスチックスで『ダイヤモンドヘッド』。
♪PLASTICS『DIAMOND HEAD』
スー)我が青春!中2。深夜に親が寝静まったのを見てこれを爆音でかけてロボットダンス踊るんですよ。
ミ)フフフッ!
スー)ホントに自分の体がプラスチックで出来てればいいなと思いましたねハハハッ。これ説明しにくいんですけれど、それぐらいハマった。無機質とか機械的とかそういうのがテクノポップで、YMOと別に音楽的には遠くって、今や別のモンって位置づけられますけど、当時は一緒くたでピコピコな音楽だろうという事でした。次のヒカシューも同じムーブメントとして語られましたね。ヒカシュー好き過ぎて、当時「ぼく、こんなにおバカさん」(※ヒカシュー著’81講談社)という本がありまして。そのタイトル見て親父が「なんて本買ってるんだ!」って激怒しましてね。
ミ)ハハハハッ。
スー)そん中で《リズムボックス使ってんのは自分達だけだろうと思ったら、プラスチックスがいた》っていうね。あのね近田春夫系で人脈は近いんですよ。ヒカシューは現在も活動中で今やもう全然別モンですけれども、テクノポップという括りという事で。これも一応音楽的には、バックの演奏は無機的でリフがあって♪ベンベンベンベンベンベンベンベン。当時の代表曲『パイク』って曲ですけども。さっきのプラスチックスもバックは凄い機械的なんだけれども、中西俊夫のボーカルがすっごくエモくって。わっけのわかんない英語言うんですよ単語ばっかり歌うんですけど。
ミ)あまり日本人であれがカッコ良くきまる人がいない中で。
スー)いないと思います。あれはアメリカツアーとかしましたから(☆3枚目アルバムを日米英独でリリース前後に欧米ツアー。トーキング・ヘッズ等と共演)、外国では物珍しい感じがしたと思います。何よりもリズムボックスが新しかったと思うんですけど。こちら(ヒカシュー『パイク』)もバックは機械的だと思うんですけど、ご存知巻上公一のボーカルというのが、なんとも言えない!プラスチックスがデビューした時のコピーは今でも持ってますが“デジタルなビートにのってキッチュに登場“。キッチュ・まがいものっていうのが、もしかしたらYMOと少し違ったのかもしれませんが、当時はそんな難しい事は知らずに”テクノポップ“と。YMOまではヤンキーは来るけど、ヒカシューまでは来ないだろうという事で。「回盤堂」という貸レコード屋で借りましたね。「夏」というアルバムから。
♪ヒカシュー『パイク』
スー)あぁ当時の中2病の自分に帰りますね。こんな感じの’80でございました。10時台1曲目私のパートでクイズがあります。これも’80です。’80,10,21長嶋茂雄の辞任会見の日に発売された、YMO系!しかしYMOではないポップな1曲でございます。’80,10,21。嵐寛寿郎(※戦前・戦後にわたり活躍した時代劇スター’03-‘80)が亡くなった日ですね。
ミ)当たった方から1名にサイン入りステッカーをお送りします。メール、Twitter・X、ファクシミリで解答を送って下さい。
【告知タイム】11/23(木・祝)昼12:51~3時間。9の音粋生放送スピンオフ特番「ジェネジェネ’90s鳴り響け僕らのJポップ」ヒャダイン、ミラッキ大村。bayfmのHP参照。
 
【21:00台後半】
スー)Twitter・Xでうめちよさんが《この時代に中2でいたかったというのがわかる!》この時代に中2でいる事が羨ましいってうね。パンク、ニューウェーブを直撃。リアルタイムの話をするとね、良くないですよ。
ミ)なんでですか?
スー)学校は荒れてました、スッゴイ校内暴力で荒れてて煙草の匂いプンプンしてガラスがパリーン割れて。ヤだったなあ。
ミ)金八先生でいったら第二シリーズですもんね。
スー)第二シリーズですよフフフッ。“腐ったミカン”になりそうでしたよ。(※“腐ったミカン”は劇中の有名なセリフ)ハハッそこまででもなかったですけど。でもまあ何となくそういう事からの逃避としてニューウェーブに走ったというのがありまして。だから決して明るい時代ではなかったという事は言いたいんですけど。たまーにこの歳になると、あの当時に帰りたいなという感じもありますけれどフフッ。《YMOのいないYMO特集》リアルタイム世代としてまた2曲くらい喋ります。これが大衆化して行くんですよ。繰り返しますけれど、その頃私はトーキング・ヘッズとかディーヴォとか頭ン中で整理できなかったんで、全部テクノ・ニューウェーブという括りで聞いてた訳なんです。とにかくまずはCMソングね、とにかくピコピコして来たんですよ「あ!テクノだ!」と思って。気が付いたら歌謡曲にもテクノポップの風というのが訪れたと。テクノ歌謡の先駆というと、まずは’81細野晴臣が作ったイモ欽トリオ『ハイスクールララバイ』。その前にここでかけましたフフッ榊原郁恵“人力テクノ”『ROBOT』。でもリアルタイムで見てて、『ROBOT』はテクノとは距離があったって言いましょうかね、歌謡曲だなって感じがしたんですよ。「ヤンヤン歌うスタジオ」(※テレビ東京’77-‘87音楽バラエティ番組)見てて「あれ⁈これってテクノだ!」って思った曲があるんですよ。’81.6桜田淳子『ミスティー』って曲で、良くできてんですよ。
ミ)聞いた事ないな。
スー)なんかテクノ歌謡って割とお笑いの風体をするのが多かったんですけれど、ビートたけしの『俺は絶対テクニシャン』(‘81)とかね。お笑い系でピコピコって感じが多かったんですけれど、これはカッコイイなと。ああYMOの流れはこっちまで来たなという事でございます。編曲を見たら大村雅朗なんですよね、だから’81にテクノっぽい要素っていのを吸収してる。今聞いたらYMOというよりはリップス(※リップス・インク’80前半活躍の米音楽ユニット)の『ファンキータウン』(‘79)とか、当時のニューウェーブ洋楽の方の重心が強いと思うんですけれども。ただまあ大村雅朗という人が電子楽器を使いこなして、後の『そして僕は途方に暮れる』(※’84大沢誉志幸)とか『You Gotta Chance』(※’85吉川晃司)そして『My Revolution』(※’86渡辺美里)に至る、一番始めの導火線みたいな感じの曲かなあと思いまして、’81なんですけどこの曲をかけたいと思います。
♪桜田淳子『ミスティー』
スー)《たとえあなたと私がプラスチックの愛でも》当時「あー来たなあ、時代が変わったなあ」という感じがしましたね。’70代から歌謡曲を追っかけてて、こんな感じの音っていうのにびっくりしたんです。この番組で繰り返し言ってますけれど「新しい音楽のムーブメントはお笑いから起きる」と。今目の前にシングルジャケット持って来たんですけど、これYMOの「増殖」(4作目’80,6)っぽくありません?
ミ)おー!顔がいっぱいある!ミカンの上に顔がいっぱいある!確かに。
スー)ハッハッハッハッ!さっき申し上げた、ビートたけし『俺は絶対テクニシャン』作詞来生えつこ作曲遠藤賢司ハハハッどんなソングライターチームやねん。これは’81,2なんですよ。だから「BGM」(YMO5作目’81,3)の1ヶ月前かな?だからその辺ある意味テクノのピークなんですけれど。「BGM」で「あれっ⁈」っとみんな思う訳です。スネークマンショー「急いで口で吸え!」(プロデュース細野晴臣)も’81,2なんですよ。だから’80でテクノっていうのはお笑いでもかなり新しいという事になるんです。今ジャケット見せましたのは、あのねのねの『みかんの心ぼし』。私しか盛り上がってませんけど、あのねのね今年結成50周年です。
ミ)ハハハハッ。
スー)「リハビリライブ」っていうの、私観に行きましたハハッ。まあそれはいいんですけど。テクノをかなり早く’80,9の段階で(取り入れてる)。で、シュールなトークをするんですよ。多分ね「増殖」の影響っていうのが、ジャケットだけじゃなくって音楽性フフッ音楽性と言いましょうかお笑いの感覚にもあるんじゃないかと思うんです。当時「シュール」っていう言い方が少しずつ出て来始めて、’70代の分かりやすいせんだみつおとか(笑福亭)鶴光とかじゃなくって、もうちょっとすましたクールなスネークマンショーとかがカッコいいという時代になってる。その中で’70代のお笑いを制したあのねのねがいち早く’80代に焦点を絞って、テクノサウンドをバックにシュールな事をずっと言って行くと。
ミ)はあ。
スー)当然bayfmにはフフッ無かったんで、自前のレコードです。“お笑いテクノ”’80,9。
♪あのねのねの『みかんの心ぼし』
スー)このエンディング、ナイスエイジ(※『Nice Age』YMO「増殖」)ですよ。
ミ)確かに!意識してますねー。
スー)ハッハッハッ!多分“増殖チルドレン”だと思うんですけど。どこがYMOやねんというツッコミもありそうなので、そろそろミラッキさんに戻したいと思います。
 
☆テクノ×歌謡曲で1番早い?’79,5アルバム「天然の美」YMOが4曲関わっている。YMOに注目したのは近田春夫が一番早い?作詞山口洋子作曲近田春夫編曲・演奏YMO。
♪近田春夫『ワン・シーン』
スー)もう最高ですよ!♪アゥアゥア~ア~。校内暴力時代の話をすると、近田春夫が好きっていいにくいクラスの雰囲気だったんですよ。
ミ)そーなんだ。
スー)ハハハハハッ大好きでね。ホント全てのモノを批評してる感じ。でもすみません、これ大阪では無理でしたね。息をひそめてアハハハッ俺どんだけコンプレックスあんねん、校内暴力に。暗い話でごめんなさい。
ミ)ハハハハハッ。YMO再生の‘93段階では“サブカルチャー”っていう言葉がメインに出て来たっていう。
スー)俺の青春時代にもサブカルって言葉くれよ!ハハッ。サブが欲しかったんだよ!今の近田春夫聞いて思い出しました当時の気持ち。大好きだったんです。
ミ)このアルバムはこれから主流になる音楽を提示してるって言う。
スー)ハハッでも早過ぎるっていうのか何をしようとしてるのかちょっと分かんない。売ろうとしてるのかお笑いなのか。さすがセンセイ!
ミ)今日はスージーさんの当時の本音が漏れる感じでイイですね。
スー)あン時のヤンキーの名前言うたろかなここで、実名言ったろうかな。
ミ)ハハハハッ言ったところで。
スー)すみません。
ミ)次も編曲と演奏でYMOの姿を聞く事が出来ます。
☆『春先小紅』のB面。坂本龍一《海外で一番受けた曲》プロデュース坂本龍一矢野顕子。
♪矢野顕子『在広東少年』
スー)ああいいなあ。YMOのライブ映像思い出すなあ、心斎橋のソニータワーで見た。矢野顕子だけ凄い元気なんですよ、他は割と無機的なんだけど。
ミ)跳ねながら笑顔振りまきながらね。
スー)あと大村憲司氏のギターですよね、元「赤い鳥」(※’69-74フォークグループ)ですよ。
ミ)今の矢野顕子さんのけだるい歌い方からオンしてくる歌い方は…。
スー)いやあちょっとねぇかなり危ないモノ見たなって感じしましたよ、心斎橋で。凄い大画面で見るんですよYMOの映像。無料でやってて。「ああこの人ヤバイんだろうな」と思ったのが、後の矢野顕子ですよハハハッ。
ミ)ハハッ。
スー)もう1回言っていいですか?あの頃の俺にサブカルという言葉をくれ!
ミ)アハハハッ!今日の名言。
スー)どす黒い心が現れてますね、あの当時のね。
ミ)ハハッTシャツにしたいですよ9の音粋の。
スー)FUJIのカセットの紙のTシャツ着たいですね。
 
【22:00台前半】
スー)いつもとは違った構成でお届けしております、新鮮ですね。
ミ)新鮮です。
スー)私がむき出しになって行くところがフフッちょっと落ち着きますね。
ミ)嬉しいですよ、リアルタイムの当時中2のスージーさんを見られて。
スー)なんかあんまり尊敬されてる感じがしないな。老人を見る目でフフッ。
 
【告知タイム】
△スージーさん12/12(火)19:00南青山BAROOMスージー鈴木のレコード研究室vol.17「1985年紅白歌合戦再現ナイト」中森明菜、チェッカーズ、阪神タイガースを振り返る。オリジナルカクテル「ジュリア・デ・アモーレ」ご用意します。飲んだら誘い誘われる、カーニバルになるっていう^^;
 
スー)(10時台1曲目)クイズ正解が2通来ました。良かった~。そうですよね発売日で逆検索できないですもんね。逆検索できない中をすり抜けて2通。あみーごぜぇっとさん清水のmasakiさん。この前のイベントでフフッあんまり「常連常連っていうのを言うな」って話なんですけどハハッ常連が来るんだから。
ミ)ハハックイズの正解はしょうがない。
スー)しょうがないですね。清水のmasakiさん《シーナ&ザ・ロケッツ『ベイビー・メイビー』でしょうか。’80中1でした》という事です。フフッもうすぐ還暦になるメンバーが頬を寄せ合い、昔話をする番組でございます。決して未来に向いてない、なーんて言うな。あみーごぜぇっとさん《シーナ&ザ・ロケッツ『ベイビー・メイビー』かな、掃除しながら聞いたり聞かなかったりしてます苦笑》聞いてないのかよ!
ミ)ハハハッ。
スー)じゃ、聞いてもらう為にあみーごぜぇっとさんに赤いステッカー差し上げます。そうなんです、シーナ&ザ・ロケッツ『ベイビー・メイビー』という曲でございます。いよいよ私もメンバー絡みの音源なんですけれども’80,10,21。アルバムで言いますと「チャンネル・グー」で細野晴臣と高橋幸宏の共同プロデュース。この曲自体は作詞がシーナで作・編曲が高橋幸宏。このサウンドがいかに先進的だったかというエピソードがありまして、ちょっとこの曲を先に聞いてみて下さい。♪BGM~ F.R.David『Words』っていう有名な洋楽なんです。これがCMソングで使われて私ね「あ!『ベイビー・メイビー』だ!」と思ったんですよ。「なんだ今更使われてんのか、若しくはカバーかな」と思った。こっちの方が発売が遅くてこれ’82,10なんですよ。サウンドのタッチっていうのが凄く似てるんですけれども、これ聞いて『ベイビー・メイビー』じゃないかと思う位、‘80のYMO近辺のサウンドが新しかったっていう事なんです。
ミ)はあー世界的にも。
スー)そうなんです、YMO世界ツアーに様々なミュージシャンが観に来たっていう話です。確かに日本発のサウンドで洋楽にここまで強い影響を与えたってのはあまり無いんじゃないかと思います。今(BGMで)鳴ってるF.R.David『Words』って曲はヒットしたんですけれど、その2年前に同じようなこういうキラキラサウンドを使ってて、という事はこのサウンドは世界的に新しかったんじゃないかと、思ったりもしました。実際の影響がどこまでかはさておき、高橋幸宏の作ったサウンドは新しかったという事を実感して欲しいと思います。
♪シーナ&ザ・ロケッツ『ベイビー・メイビー』
スー)こういうサウンドを世界に先駆けてYMO近辺が作ったと言っても過言ではない、これは言えると思います。次も(オンエアは)2回目なんですけれども大貫妙子『CANAVAL』
たくさんリクエスト貰ってますね。これは早くって’80,2ですね。’80は月単位でテクノが浸透して行くんですがこれはかなり早い。バックYMO&大村憲司なんでさっき(矢野顕子『在広東少年』)と同じですね。アルバム「ROMANTIQUE」ってのがありましてA面が坂本龍一B面が加藤和彦のプロデュース。加藤和彦っていう人も私の頭の中ではテクノの引き出しに入れてたんですけどやっぱりYMOに比べると…という事で昔の人って言うイメージっていうのを、僕「恋するラジオ」(※スージー鈴木著’20,8ブックマン社)って本に書きました。細野晴臣と加藤和彦は同じ昭和22年(生まれ)なんですよ、でも細野晴臣の方が圧倒的に新しく見えたっていう不思議な所なんです。後に大貫妙子はヨーロピアンの方向へ(行く)このアルバム「ROMANTIQUE」っていうフレーズに象徴されるんですけど、そん時はわかんなかったですね。“テクノ文化の人”と思っておりました。
また東大阪ヤンキー話ですけど、漢字が流行ってアナーキーってのを「亜無亜危異」って書くのが流行ったんですよね。私もそれがおしゃれかなぁと思って、イエローマジックオーケストラを「黄色魔術音楽団」書いて、プラスチックの下敷きにね。
ミ)ハハハハッ。
スー)ヒカシューを「秘歌集」シーナ&ザ・ロケッツのシーナを「死異奈」って書いて、ヤンキーっぽいなと思っててね。プラスティックスどうするかって話なんです。「化学合成樹脂状軍団」って書いてヤンキーに笑われまして。「お前カッコ悪!」って笑われて、わっ!って隠した事覚えてますよ。
ミ)アハハハッ!
スー)すみません昔語り。そんな状況の中で私はこの曲を聞いておりました。難しい事全く分からずに。
♪大貫妙子『CANAVAL』
☆’96,12発売。NAMCO勤務ゲームミュージック作曲家4人。YMO『東風』パロディ。
♪Oriental Magnetic Yellow『MAGNETIC YELLOW(SHANG POO)』
☆NAMCOゲームミュージックを聞いて育ったミュージシャンの1人。高橋幸宏の歌を彷彿とさせる。
♪サカナクション『ユリイカ』
スー)そろそろちょっとメンバーの曲を聞きたいですねー。
ミ)行きますか。
スー)ソロぐらいは許されるんじゃないですかね。という訳で最後のゾーンはいよいよYMO大ブームの1980年ソロ名義もかかるかな~?
 
【ラスト・ゾーン】
スー)ミラッキさんのYMO愛がほとばしってますね。
ミ)スージーさんの1980年がほとばしってますね。
スー)こういうのをやるとなんとなくね、「若いくせにYMOか俺はリアルタイマーなんだ」っていう事言いたくなるんですけれど、多分それ私スパイダースファンから思われてますからハハッ。(☆スパイダースこそ日本ロックの始祖だと、この番組でスパイダース曲のオンエア多数のスージーさん^^;)語り継ぐのはとてもいい事。整理されてプラスティックスやヒカシューと違うYMO、それもはっぴいえんどから含めて歴史の体系が出来てるからいいいなあと思うんですよね。逆に言うと1980年生きてる時は混沌がありまして、もう訳のわかんない事があったんですよ。これは若いYMOファンから「スージー鈴木はYMOをわかってない」って何回も言われるんですけど、ホント「BGM」(YMO5作目’81,3)は残念やったんですよ。あっちゃー!この歯ブラシとか思ってハハハ。
ミ)アハハハハハッ!
スー)だからそれが整理されてこれこれこうという説明付きで今あるからね、歴史は語り継がれるんですけれども。正直混沌という状況がありまして、その混沌は’80からもうあったんですよ。FM大阪で「ザ・ミュージック・ネットワーク」って番組(※‘78?-’85?制作桑原茂一)があって、坂本龍一のシングルがかかるぞ『WAR HEAD』っていう曲らしいと。当時FM雑誌で曲目わかりますからね。聞こう!録音しよう!と。次の日「あれはなんだ?」フフッ。その『WAR HEAD』かけたいんですけど、YMOファンならご存知作詞をするクリス・モスデルが、ラップと言いましょうか坂本龍一のバックトラックでずっと何か言葉喋ってるだけなんですよ。当時中2の国語の文法で“格助詞”を暗記しなきゃいけなかったんです。“が・の・に・を・へ・と・で・より・から”。これを悔しいから『WAR HEAD』でラジカセで流して、お互い運動場で叫んで格助詞を覚えました。今でも覚えてますからね。
ミ)ハハッ努力で意味のある曲にしたんだハハ。
スー)というくらいこの曲を聞いた時の驚き、’80,7発売これはねえかなりびっくりしました。どんな曲か!
♪坂本龍一『WAR HEAD』
スー)“が・の・に・を・へ・と・で・より・から”!“せ・〇・き・し・しか・〇”!なんだ〇って⁈ハハハッ。すみません今日は自分語りで。
☆高橋幸宏ソロワークス『WAR HEAD』1ヶ月前発売アルバム「音楽殺人」“難解”坂本・細野より明快ワークス。ミラッキ・スージー2人ともこの曲からモータウンを知る。
♪高橋幸宏『STOP IN THE NAME OF LOVE』
☆リスナーも気づいているご本人登場。「パブリック・プレッシャー/公的抑圧」海外のライブ音源。オリコンアルバムチャート1位。
♪イエロー・マジック・オーケストラ『ジ・エンド・オブ・エイジア』
スー)《YMOのいないYMO特集》最後いましたけど、いいですよね。(ご本人登場は)定番のフシもありますがフフ。ミラッキさんにとってYMOとは?
ミ)まだまだ研究したい科目です。
スー)私はホントに洋楽を含めたポップスへのGatewayって感じしましたね。YMO経由で知った曲がいろいろあり、ヤンキーとかなんとか言いましたけれど、YMO知っといてよかったなあと思いました。
来週は手前味噌続くんですけれど、私が11/26に誕生日を迎えますので自分語りを来週も続けようかなという事で《スージー鈴木~私の履歴書2~》という事で1990年に会社員となってから今までの音楽人生という事でめぼしい曲をかけて行こうと思っています。
11/26はどんな人が誕生日にいるでしょうか「bayfm9の音粋お相手はアシスタントディレクター岡部いさこ・大野智くん、ミキサーえもりちゃーん・フワちゃん、ディレクター浜野ツトム・ティナ・ターナー、プロデューサー西宮ひろき・下條アトム。
ミ)DJはミラッキ大村と。
スー)スージー鈴木、同じ誕生日はパ・リーグ。
ミ)ハハハッ。
スー・ミ)ありがとうございました。
===終了===
 
★みにょん:YMO周辺特集!と楽しみにしていたが、自分自身思ったよりなぜか盛り上がらなかった。いいなという曲もたくさんかかったけれど。スージーさんの暗黒思い出語りは面白かったし、音楽といつどういう風にかかわったかは、どんな時代だったかを浮き上がらせる音楽史の語り方だと感じた。モヤモヤの原因は、音楽的に総合的な解説についてはやはり専門家であるスージーさんからもっと、整理した情報として聞きたかった、ミラッキさんはむしろファンとして語るスタンスが自然なのではないかと引っかかったからかもしれない。

☆来週(11/27) 《スージー鈴木~私の履歴書2~》1990年に会社員となってから今までの音楽人生にちなんだ曲。
☆番組特製ステッカー:シェア大賞・リンゴ衛門さん:メール大賞・アイラブニューヨークさん


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