「締め切りに追われる」という感覚

 こんにちは、あるいは、こんばんは。
 文系大学院生のアーニャです。

 同時並行でいろいろ記事を書いているのですが、どれもまとまらず。ということで、今日はちょっとした記事を書いておきます。

 さあて、今週のスパイファミリーは~

・原稿を依頼される
・原稿を書くって意外と大変
・締め切りに追われる

の3本です。

・原稿を依頼される

 大学院生になったり、ちょっとした専門家になると、ごくたまに原稿を依頼されたり、講演を依頼されたりすることがあります。
 私の場合は、知り合いが小さな雑誌を出して出していたこともあって、「何か書いてよ」という簡単な依頼からはじまりました。
 最初は学部の4年生のころだったでしょうか。当初は、私のSNS(短文投稿サイトではない)への投稿などをご覧になっていただいていたようで、「自由に書いてくれ」と、最初からテーマは自由でした。

 以降、人づてに、時たま小さな雑誌や機関誌などから依頼をいただくのですが、依頼されるときはたいていの場合以下のような連絡があります。
・「テーマ」
・「だいたいの枚数」(400字詰め原稿用紙の枚数)
・「締め切り」(多くは前月の〇日ごろまで、といった形)

 また、こちらから「売り込み」(?)にいったこともあって、どこかに書いた記事のコピーやデータを編集の方にお送りしてみたこともあります。

 今の私は、月一の連載を2本持っています(令和6年2月現在)。
 私の場合ですが、原稿の文字数は大体3000~6000文字といった場合が多いです。

・原稿を書くって意外と大変


 過去書いた記事を編集の方に送って、「よかったらぜひ!」と連絡する「売り込み」(?)。
 これをやってみたときに言われた一言で、とても印象的だった言葉があります。

こんなに専門的だと、うちの読者には難しいと思うので、もう少し簡単にしてくれませんか

 原稿を掲載してもらう雑誌や機関誌は、一般の方が読むもの。学術論文のようなレベルのものを書いては、「読者にとってわかりづらい」ものになってしまいます。
 そもそも、「大学の授業で書くレポート」レベルのものであったとしても、一般の読者には難しいものです。

 かといって、専門家としての立場である以上、「学術的な正確性」は外せません。ここで、大きな葛藤が生まれます。「分量」と「難易度」です。

 例えば歴史の話をするとしたら、(最近、大河ドラマで話題の)「花山天皇」という人物名ひとつとっても、辞典に掲載されている事柄を全部載せたい気持ちになったりします。
 「花山天皇は〇歳で出家して~」といった一言も、「実は藤原摂関家との関係が…」と語りだすと長くなります。
  
 この点で、全体の「分量」を考えると、くどくなったり、不必要に文量を使ってしまうとおかしくなったりします。そうすると、さらっと流さなくてはいけない部分がでてきます。
 「全体を貫くテーマ設定のなかで、どのような点を文章にしたいのか」というある程度の設定を考えておかなくてはなりません。

 次に「難易度」です。
 これは、「読者にとっての難易度」であり、「書き手にとっての難易度」でもあります。話の「分量」を考えるよりも簡単です。
 
 まず、読者にとっての難易度とは、「読者層の前提知識」や「史料読解能力」をどの程度と考えるかによります。
 先に挙げた花山天皇と、次代の一条天皇について、とある史料にはこのような記載があります。

花山天皇。節下右大臣兼家。
寛和元年乙酉十月廿五日乙丑。十一月節。
一条院。節下右大臣為光。
寛和二年丙戌十月廿三日戊午。二条末。

『大嘗会御禊日例遷都以後』(『群書類従 第七輯 公事部』p134)

 学術論文の場合は、これをそのまま引用するでしょう。また、下に記載の「『大嘗会御禊日例遷都以後』(『群書類従 第七輯 公事部』p134)」もそのまま脚注に掲載することでしょう。何より、正確性が大事ですから、引用も間違えるわけにはいきません。
 しかし、一般向けの雑誌記事では、なかなかこのまま掲載するわけにはいきません。引用文献の名前を挙げるだけで文字数がとられてしまいますし、何より、「史料そのままだと、読者が読めない」ことがありえます。
 すると、長文の場合は自ら現代語訳したり、要約して紹介することもあります。


 この場合、(悪く言えば)「史料をそのまま引用してしまえばいい」論文と違って、「自分でしっかり史料を読解できていなければ、正確に読者に伝えられない」という「書き手側の難しさ」があります。
 すると、簡単に、わかりやすく書いてあるように見える記事だからこそ、書き手は「大量の参考資料や文献を読み解いて、一般向けにわかりやすくかみ砕いて、さらに文字数も気にしながら書きたいことを書く」という、かなり難しいことをやっているとも言えます。
 
 とはいっても、一般向けの雑誌や機関誌に書くことは、「専門家や、その分野のファンにしかわからない議論」を、自分の責任で「わかりやすく多くの皆さんに伝える」ことのできる大事な仕事であるともいえます。


・締め切りに追われる

 「自分、原稿の締め切りに追われててさあ…」
っていう言葉、なんかカッコいいですよね。

 まさか自分もそうした立場に置かれるとは、あの頃は思ってもみませんでした。
 ちなみに、学術論文を書く立場になってみても同じなのですが、学会誌にも締め切りがあるところが多いです。(例:毎年2月末、4月と10月など)。
 そうした意味では、「一般向けの記事で締め切りに追われること」も、学術論文の締め切りに向けてどのようなスケジュールを立ててゆけばいいかを体感するよい機会であるともいえます。

 ここまで簡単に書いてきましたが、「一般向けにわかりやすく書く」ことは、実は専門家向けに書く以上に難しい気がしています。
 慣れていけばいくほど、「テキトーに書く」ことも可能なのかもしれませんが、私は慣れていませんので、一つの記事を書くたびに数十の文献を読んで書いています。

  勉強会やゼミでレジュメを作って発表できるんじゃないか…?というくらいの資料を集めて、さらに分量も考えて、読者にもわかりやすく…

 悩みは尽きません。
 ちなみに私の体験談ですが、「今日は執筆のやる気でないなあ」という日と、「なんだか筆がノッてきたぞ!」とどんどん書ける日は、実際にあります。問題は、これらを締め切り前にうまくコントロールできるかでしょう。

 さて、ここまで書いてきた、このnoteの記事も、ある意味で「一般の方向けの記事」であるともいえます。
 私の文章はわかりやすかったでしょうか。それとも、読みづらかったでしょうか。
 これからも「締め切りに追われる日々」と、「原稿を書く難しさ」と向き合っていきます。



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?