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「英語学習」という底なし沼

高校時代の英語の成績は、いつもクラスでビリから3番目くらいだった。

ひとりで海外をフラフラ旅したり、アメリカで居候生活をしたりしているうちに、もう少し英語を話せるようになりたいと思うようになった。

28歳ごろから少しずつ勉強を始め、37歳のときに英検準1級に合格した。
ずいぶん遅い到達だが、勉強を始めたのも遅かったし、なんといっても地頭が悪いのだから仕方がない。
今でも細々と勉強は続けている。

20年以上前に取った英検準1級

英検1級は受験したことがない。
過去の問題集をざっと見たところ、とても合格できる気がしない

昨年、久しぶりに受けてみたTOEIC(トーイック)のスコアは860点だった。
病気のため日中を通して起きているのが難しい状態だったことを考えれば、上出来だと思う。
そもそもこの歳になると、老眼で文字もかすんで見えるし、2時間トイレに行かないというだけでも大変なことなのだ。

去年の今ごろ受験したTOEIC

TOEICのスコアは航空機のパイロット700点以上、外資系企業で足切りされない目安が800点以上などと言われる。
この「860点」という得点も少しは自慢させてほしいと思うのだが、この程度で「英語が得意です」などと発言した日には、とんでもない袋叩きに合う。

翻訳通訳といった英語のプロたちは、英検1級・TOEIC900点くらいでようやく見習いとしてスタートするという世界で生きている。
世の中には「TOEICで3回連続990点(満点)」だとか、「資格5冠保有(英検1級/通訳案内士/TOEIC 980点/国連英検特A級/工業英検1級)」などという人たちも少なからずいる。

CEFR(セファール)というヨーロッパの言語学習の基準では、低い方からレベルをA1、A2、B1、B2、C1、C2の6段階としていて、TOEIC 860点というのは「B2」くらいに該当する。
「上級」には届かず、「中の上」くらいだ。

たしかに毎日デザインの仕事締め切りに追われ、そんなに必死に英語の勉強はしていなかったかもしれないが、それでも30年もやって「中の上」とはあんまりだ。
ほかの勉強に費やせば、人に教えられるくらいの何かを身に付けられる年月だろう。
「仕事に生かす」という意味では、英語学習というのはあまりタイパがよいものではないのかもしれない。

台湾人の友人T君は語学の勉強のことを「discouraging(やる気をそぐような)」と形容した。
これにはほんとうに同感だ。
いくら勉強してもキリがない底なし沼のようだ。

この先も勉強を続ければ「英検1級」「TOEIC900点」くらいにはなれるのではないかという人もいるが、その人たちは「老化」というファクターを甘く見すぎている。
単語を覚える速度は遅くなる一方で、今まで覚えた単語はどんどん忘れていく。
その衰えるスピードは年々加速するばかりだ。

一縷の希望としていることは、「若い頃のことはよく覚えている」という記憶における一般的な傾向だ。
自分のことでいえば、仕事で長年使っていたIllustratorとかPhotoshopとかいったソフトウェアは、久しぶりに触って自分の手足のように動かすことができる。

英語についても、「頭はだいぶボケてきているけど、日常会話程度の英語は話せる」といった老人になれたらいいなと思っている。
独身男性の寿命の中央値は65歳らしいので、ボケるような歳まで生きていられればの話だが。

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