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林美沙希さんの知人に会った話

先日、林美沙希さんの知人女性話をするという幸運に恵まれた。

「アクセス数を稼ぎたいあまりそんな嘘をつくようになったのか」
「美沙希さんのことを好きすぎて、とうとう現実と妄想の区別がつかなくなったのか」

こんな声も聞こえてきそうだが、嘘でも妄想でもない

その女性、Aさんが嘘をついているというわけでもない。
美沙希さんのSNSAさんの名前や写真を見たことがあるし、AさんのSNSにも美沙希さんが登場している。

残念ながら彼女の名前年齢職業などをここに書くことはできない。
誰であるかを特定されてしまうとAさんに迷惑がかかるし、私の正体がバレてしまうことにもつながる。

5分ほど立ち話をさせてもらったのだが、心の中に「ああ、今、美沙希さんの知り合いと話をしているんだ」という興奮喜びはなかった。
自分という人間が急に恥ずかしくなってきてしまったのである。

もし自分が坂口健太郎さんみたいな若いイケメンだったら、あるいは前澤友作さんみたいな大金持ちだったら、「今度美沙希さんを紹介してくださいよ」なんて軽口を叩けたかもしれない。
しかし現実の私は、無職精神障害者ジジイなのだ。

途中からは恥ずかしさから変な汗が出てきてしまい、早々に話を切り上げて立ち去りたい気持ちにすらなった。
美沙希さんのインスタをフォローしていることはかろうじて言えたが、「彼女のファンで」だとか、ましてや「そのことをnoteに書いています」などとは言えなかった。

その帰り道、「怖い」という感情も芽生えてきた。

美沙希さんテレビの中の、別世界の人のはずだった。
私の人生にはこれっぽっちも交わる可能性がないから、「美沙希さん、好きだ!」などというたわけた記事を書いていられたのである。

それが、急に自分の現実世界につながりはじめた。
無職精神障害者小汚いジジイである自分の姿が美沙希さんの目の前にさらされるようなことがあった日には、もう恥ずかしくて生きていけない
恐ろしすぎる。

若い頃、私には「憧れの人に会うことができる」というありがたい能力があった。
画家の横尾忠則さんやイラストレーターの湯村輝彦さんにお会いできた話は以前の記事にも書いた。
イベント会場でなら、岡田有希子さんやダライ・ラマさんに握手をしてもらったこともある。

しかし歳とともに、もうその力はなくなってしまったものだと思っていた。
すっかり油断していた。

もちろん会ってみたいに決まっている。
しかし、自分の姿は絶対に見られたくない

美沙希さんは、いつも難しい課題を私に突きつけてくる。

トップ画像:PexelsSHENG YE(※写真の女性はAさんではない)

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