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グラフトプレナー#7 お寺を家業に持つ、海野 峻宏さん

家業があって、それを自分に合った形でサポートしたり、進化させたりしている人のことを、僕らはグラフトプレナーと呼んでいる。いったいみんな、どんな活動をして、どんな毎日を送っているんだろう。第7回目は、お寺を家業に持つ、海野 峻宏さんを紹介。

プロフィール
名前:海野 峻宏(うみの・しゅんこう)
年齢 :28歳
家業:お寺
何代目:海野になってから4代目(お寺ができてからだと47代目)
事業承継:週末は法事等の手伝いをし、実家のお寺を拠点に活動している。
現在:宿坊を受け皿としたお寺の魅力の再発見や再構築を行う事業を行う「お寺ステイ」の取締役。

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群馬県でお寺を家業に持つ海野さんは、成人を迎えるまで、お坊さんになることからどうやったら逃げられるかをいつも考えていたほど、家業嫌いだったといいます。「継がなければいけないプレッシャーは隅に置いて、自由なことがしたい、継がない道を探したい」と思いながらも、小さい頃は"プチ修行"に連れて行かれていました。「一番印象的だったのは得度式と呼ばれる、お坊さんになる第一歩の儀式。京都の本山に行くんですが、小学4年生だった私は大号泣しながら頭を丸められて、連れて行かれました。坐禅も嫌い、梅干しも嫌い。本当に嫌でしたね(笑)」

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そんな海野さんが「腹を括った」のは大学2年生の時。東日本大震災が起こった時のことでした。禅宗のお坊さんが、亡くなった方の供養のためにお経を唱えて被災地を巡っている姿が、メディアに多く取り上げられているのを見て気持ちに変化がありました。「もしもの時に駆けつけられて、つらい思いをしている人に寄り添うことのできるお坊さんは尊敬できるし、不覚にもかっこいい!と思ってしまったのです。寺に生まれて育ったのに、何もできない自分がとても歯痒かった。まずは何をすればいいのか父(師匠)に聞いて、修行することにし、大学を休学して、修行に行きました。」
修行に行き家業を継ぐことを決めてから『楽になった』と彼は話します。「継ぎたくないとか、嫌だと思っていたのも家のことを知らなかったから、知ろうともしてなかったからだったんです。思考停止していたんですよね。まず家や、この寺がいつからあるんだろうという小さな事から知り始めました。すると、小さい寺だけどこの寺の歴史ってすごいんだとわかってきたのです。まずは知る事、知ろうとする事から始めるべきだなと思いました。」

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休学して修行し、家業を継ぐ決意を固めた海野さんでしたが一度家業から離れて働いてみようという思いから、大学卒業後はベンチャー企業に就職しました。その経験を活かして、気軽にお寺に宿泊したり、お寺で様々な体験をすることができるサービス「お寺ステイ」など家業のバックボーンを生かした事業を行なっています。
「修行に行って、この世界で生きて行くのだと覚悟したからこそ、いつも思考回路は家業ありきでした。お寺に何をかけ合わせようか考えていました。ITベンチャー系が多かったので、新しい情報に触れる機会が多く、ただお寺にいるだけでは知らなかったであろう世の中のことを知れるのは、これからの人生にも役立ちそうです」

平日は事業を続けながら、週末はお坊さんとして働く海野さん。「もともとは事業:お坊さんが、9:1の割合でしたが、今は6:4くらいの割合で働いています。これから少しずつお寺の割合を増やしますが、0:10にするつもりはありません。お寺の中だけにていては、世の中が見えなくなってしまうので、事業を続ける事で東京や他の地域に足を運び、外の情報に触れられる状況を作っておくべきだと思っているからです。」

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本記事の内容・表現は、取材当時の"瞬間"を『家業エイド』視点で切り取らせていただいた、あくまで家業を通して皆様が紡いでいる物語の過程です。皆様にとっての「家業」そして「家業との関係性」は日々変わりゆくもの。だからこそ、かけがえのない一人一人の物語がそれを必要とする誰かに届くことを切に願っております。

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