見出し画像

「男性の生きづらさ」はジェンダーロールの見直しで解決するのか?

ごきげんよう。

お久しぶりです。このようなプレスリリースが少し話題になっているようです。

【プレスリリース】Lean In Tokyo、11月19日の「国際男性デー」に先駆け、『男性が職場や学校、家庭で感じる「生きづらさ」に関する意識調査』を実施 | Lean In Tokyo http://leanintokyo.org/20191106press-release/

画像1

シェリル・サンドバーグ米フェイスブックCOO(最高執行責任者)が創設した活動団体Lean In Orgの日本地域代表サークルであるLean In Tokyoが独自に実施した男性を対象とした意識調査だそうで、男性が生きづらいと感じている内容が

「デートで男性がお金を多く負担したり女性をリードすべきだという風潮」
「男性は定年までフルタイム正社員で働くべきという考え」
「一家の大黒柱でいなければならないというプレッシャー」
「高収入で無ければならないというプレッシャー」

と並んでいて、ネットで様々な意見が出ているようです。

僕は男性ですが、幸い上記のようなことで「生きづらい」と生存を脅かされるほどまでに深刻に追い込まれたことはなく今まで来ましたが、そう感じる方の気持ちもわかるつもりです。

ただ、なんとなく思ったのは上記のような社会的なジェンダーロールの押し付けがあり、自分はそれに対して同意できない!というより、

「そうありたいが、やり続けられられる自信を確固として持てないという情けなさを感じる。」

「頑張って男としての役割を今は果たしたとしても、もしかするとそれをやり続けるのが難しくなる時が来て全てを失い、周りに迷惑をかけ、『約束が違う』と罵られたりがっかりされるのではないか?という不安がある。」

というの気持ちも少なからずあるのではないだろうかと思ったりします。


そしてパートナーに対してだけでなく、子育て世帯のお父さんともなると、なにより未来ある子供達にきちんとした育成環境を提供し続けられるのかというプレッシャーに押しつぶされそうになるギリギリでがんばっているのではないかと思います。

これはどちらかというと、日本においては終身雇用の崩壊、世界的に見てもテクノロジーの進化による産業寿命の短命化により、無産階級がいつ何時安定した収入を得られる状況から転落するか分からないことに起因するところであって、性別がいろいろ最近増えたとはいえ、それはジェンダーロールの押し付けが悪いのです!誰か他の性別と分担したり、そもそもみんなでそういう矜持は辞めちゃいましょう!って言ったところで「癌を風邪と言い換えたらよくなりますよ」みたいな嘘っぱちな話に僕は感じてしまうのですよね。

少々話はそれます。

僕はバブルの崩壊を中学生の時に迎えたのですが、当時僕が育った大阪は商人の街だけあって小学生のバブル絶頂の時には実家が商売をやっている友達の家の景気の良さたるや半端ではなかったのですよね。家はデカいの建てる、クルマはベンツは当たり前でクラシックカーやスポーツカーを親父さんは乗り回す、夏休みは家族や身内みんなでハワイ、週末はクルーザーで大阪湾をクルージングといった具合の友達がいました。
なんですが高校に上がるタイミングくらいでそんな羽振りが良かった家の子の何人かが高校の進学が難しいかもしれないという話が出てくるわけですよ。稼業がバブル崩壊のあおりを受けてダメになってしまったんですね。
そういう話が珍しくなかったんです。そんな友人の少年達も結局身内にお金を借りたとか奨学金をもらって進学したり、進学をあきらめて就職したりと大変な苦労をされてたのを見ました。
で、それから30年近く経って、もうかつての少年は40半ばのオッサンになっているわけですが、フェイスブックなどを見ると小さい時に天国と地獄を味わった少年たちはそれぞれ紆余曲折あっても、身内にお金を借りまくって必死に大学を出て、就職、転職を経て大企業の幹部をやってる男、地元で事業を立ち上げ立派に社長をやっている男、フリーランスとしてしぶとく稼いで立派に家族を養ってる男と、もちろん僕の知る中だけですがなんというか、、「強く生きている男」になっています。
逆に苦しそうにしているのは高校、大学と親御さんにそれなりに支援してもらいながら進学して順調に会社員として道を歩んで来た人達です。今まではなんとかやってこれたけれど会社でもポストもポジションも少なくなって肩を叩かれている。他で通用するわけでもない。今の生活を維持できるだろうか。どうしよう。と言っています。
子供の時に天国と地獄を見た男たちと話をすると一様に前向きです。
「まぁなるようにしかならんで(笑)もししくじったら、また昔のうちの親父みたいに一文無しになるだけや!子供になんて言うかやて?あはは。『ごめんな!父ちゃんもうお金あらへんわ。先月食べたステーキが最後!後はおまえら自分で稼いで食べや!』て言うわ!」とそういう感じです。
ヤケクソと言えばヤケクソですが、未来が不透明だとしても今を精いっぱい生きて、調子がいい時には家族におなか一杯食べさせて、ダメな時にはごめんなおまえたち。そういうリアルというか「原始的な世界と率直にぶつかる強さ」みたいなものが、仮に少年の頃に山あり谷ありという状況になったとしても身につくのだなと思わせてもらえます。

もちろん、経済的に右肩上がりでずっと家族を守ってやれたらそれはそれでラッキーですし、そうじゃなくても子供達は「強さ」を学べる。その落差があればあるほどよい経験になるのであれば、子供達に対しては良い時には精一杯贅沢を経験させてやるのも一つの教育と言えるかなと思います。
今は事業に成功した後輩にも前述のように子供の頃に家業がつぶれ極貧の生活に叩き落された男がいますが、這い上がる中でも決して卑屈にはならなかったのを覚えています。そうです。いいお店の美味しい食事も素敵な海外旅行もカッコいい外車に乗るのも「あぁ、どれも子供の頃やったことあるなー。懐かしいなぁ」という感じなのです。今はたまたま貧しいサイドにいるけれど細く長くで波風なく生きて来た人より知っている世界が広く、少年の頃の体験はちゃんとその人の中に資産として残っているんですね。

パートナーや家族に対して誠実で居たい。責任を果たし続けたいという気持ちはとても立派ですが、その矜持のせいで自分自身が息苦しくなってしまったり、そもそも家族みんなが必要以上にリスクを恐れてこじんまりしてしまう方がよっぽど愛する家族から「強さ」を奪い、将来的に逆に不安定にすることもあるんじゃないかと思ったりします。
もちろん無駄遣いしろと言う話をしているつもりはないのですが、あまり先のことを恐れず今してやることを精いっぱいしてやることが未来においても一番家族の為になるということもあるのではなかろうかと思います。

子供の頃に苦しい思いをしてそこから這い上がった男たちは、自分をそんな境遇に置いた父親に対して一様に感謝していると言います。もちろん結果論かもしれませんがネットで度々話題に上がる「毒親」論とはスタンスが全然違います。やはり経済的なものより精いっぱい家族に向きあう誠実さがあれば結局のところそれほど未来のことは心配せずともよいのではないでしょうか?なんでもかんでもジェンダーロールのせいにしてもあんまり建設的なことにはならないんじゃないかなと個人的には思っています。

では、ダメならダメでなるようにしかなりませんよ。父ちゃんが元気ないと家族みんなが不安になります(笑)

子供達にとってはどちらに転んだところでいい教育だと思って、今日も持ち場で思いっきりがんばりましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?