映画『スタンド・バイ・ミー』を観た

こんにちは。
週1で何かしら記事を書こうと思っていたのですが、ついついサボり癖が出てしまいました。

ひとまず、このサボっていた期間にいろいろとインプットしていたのですが、特に印象深かったこの映画について。

『スタンド・バイ・ミー』

ジュブナイルロードムービーの金字塔。
観よう観ようと思ってなぜか放っておいたのを遂にみました。

いや、、、
これはすごい・・・
なにがすごいって、捨てシーンが1つもない。

この映画の屋台骨を支えているのは、それぞれのキャラクターの人物造形で、
12歳の少年たちの小さな旅路を追っていくことで彼らが日常に抱えている苦悩が浮き彫りになっていくというストーリーなのですが。

1つ1つのシーンやセリフが明確にそのストーリーと地続きになっていて、「子どもたち」「旅」「思い出の回顧」というハートフルなテーマを扱いながらも、推理小説を読んでいるときのような没入感を得られるという豪勢な作品に仕上がっていました。

おそらくですが、
今作られる多くの作品(映画、小説、漫画)は、先駆者がいてそれを下敷きに作られたものが多いので、
割と主題から外れた要素を入れがちになるんですが、
この映画は約90分という枠に伝えたい要素だけを順序良くぴちっと詰め込んであるなという印象でした。
(昔の映画に90分程度のものが多くて、最近の映画は120分超になるのもこれが理由かなと…)

以下個人的な所感。※ネタバレ含む

まず、彼らの抱えている葛藤は「家庭」に由来しているということ。
これってつまり、おそらくほとんどの人間が共感できる要素だと思うのです。
彼らは貧しかったり親に愛されなかったり社会的に蔑まれていたりするのですが、
それほど過酷な状況でなくても、誰しも「なんでうちはこうなんだ…」と悩んだ時期があるのではないでしょうか。

それは家族というものが、殊子どもにとっては親の思惑に従って決められた仮初の居場所にすぎないからということに起因しています。

子どもと言えど1つの人格。
親とはまったく違う脳みそと身体をもった1個体ですから、
中には気が合わない者同士や興味の持てない者同士が1つ屋根の下で共同生活をしなければならない場合も少なくはありません。

しかも親と子という関係は、
初めは『服従』という関係から始まることがほとんどで、
小さなころは何の疑問もなく受け入れていたことが、
物心ついてくると「なぜ自分はこの人の言うことを聞いて生きなければいけないのか」という疑念に代わるのは無理ないことだと思います。

しかし、この映画に関してはそんな家族に対する「愛情」も描かれています。
メガネの変わり者の少年は精神的に問題のある父親に耳を焼かれても愛していますし、
主人公の少年は、愛しているからこそ両親に愛されることを願いましたし、たった一人の理解者であった兄のことは本当に好きだったのでしょう…

他人と一緒に暮らしていれば、その人の様々な一面を見ることになります。
たとえば非常に暴力的な人がいたとしても、違う時にはその人の陽気だったり優しい一面が必ず見えてくるものです。
家族への説明のつかない執着とは、それぞれの人のプラスの一面を知ってしまっていることによる「諦めのつかなさ」がその正体かなと思います。

また、主人公の兄に対する思いはさらに複雑です。
彼にとって、兄は直接的にはまったく無害な存在のようでした。
むしろ彼には、兄のいい面ばかりが見えていたのではと思います。
だからこそ、なぜ兄のために自分が苦しまなければいけないのか…
兄なんかいなくなってしまえばいいのに、と祈ったこともあったのかもしれません…

いっそ両親も兄も諦めてしまえたら、どんなに楽だったことか。
でも、まだ小さな世界しか見えていない12歳の少年にはその選択はありません。
そこが「子ども」という存在の過酷なところです。

彼は小旅行から家庭に帰ったその後、どんな子ども時代を送ったのでしょうか。

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